第18話 名も無い想い

 その夜、一人部屋を与えられた那由他は部屋で月を見上げていた。

 弦義と白慈にも部屋が与えられており、彼らの部屋は隣り合っている。和世は兵寮に自室があるため、そこで休んでいるはずだ。

「明日、グーベルク王国に向かおう」

 長く居座れば、それだけ故国奪還の夢は遠退く。弦義と那由他を狙う刺客にも会いやすくなるだろう。弦義の判断により、明日ここを発つ。

 コンコンコン。那由他の部屋の戸が遠慮がちに叩かれた。

 那由他は窓枠から飛び降りると、そっと戸を開ける。その先に立っていたのは、巫女装束に身を包んだ常磐だった。

「お前……」

「夜分遅くに、ごめんなさい。あなた方がここを発つ前に、どうしてもお話しておきたくて」

「……入れよ」

「えっ。は、はい」

 何故か頬を赤らめ、常磐の姿は廊下から消える。

 那由他は常磐を椅子に案内すると、その向かい側に座った。緊張の面持ちでいる常磐に、ここへ来た理由を問う。

「で、どうかしたのか?」

「まずはお礼を言わせて下さい。……夜盗から助けて下さり、本当にありがとうございました」

 深々と頭を下げ、常磐は昨夜の戦いを感謝した。しかし那由他は、素っ気なく頭を振った。

「そんなに感謝されることじゃない。俺は、俺を狙って来た奴らを返り討ちにしただけだ」

「だとしても、わたしはとても嬉しかった」

 那由他に突っぱねられても、常磐は柔らかな笑みを絶やさない。そんな彼女の表情が、那由他の胸をざわつかせた。

 こほん。那由他はその違和感に蓋をするように咳払いをすると、常磐に本題を促す。常盤も首肯し、ここへ来た目的を話し始めた。

「わたしは、あなたに『あなたは誰かを元につくられた』というようなことを言ったことがありますよね。そのことについて、もう少し話しておきたかったんです」

「俺は、ホムンクルスだ。人であって人でなく、未完成なまま放置された戦闘兵――」

「戦闘兵器なんかになってはいけません!」

 キンと響く声で、常磐が那由他の言葉を遮る。思わぬ言葉に驚き目を見張る那由他を見て、常磐は顔を真っ赤に染めた。叫ぶと同時に立ち上がっていたため、そろそろと座り直す。

「……わ、わたし、会ったんです」

「会った?」

「はい。―――あなたの中に眠る、“夏優咫”さんに」

「なん、だと?」

 今度は那由他が身を乗り出す番だった。先程とは違う驚きに満たされ、那由他は二人の間にある机に手をついた。

「教えてくれ。彼は、夏優咫はどんな……」

「そのために、わたしはここにいます」

 動揺する那由他を落ち着かせるように、常磐は己の目を閉じた。

「彼、夏優咫さんと会ったのは、あなたを保護した直後の夜でした。夢の中で、彼はあなたにそっくりな見た目をしていて、でも夕暮れのような赤い瞳を持つ人でした」

「……」

 那由他は黙って、眼帯に隠された自分の左目に触れた。そこに夏優咫から唯一残った目があるからだ。

「夏優咫さんは、わたしに自分が那由他さんの元になった存在だと明かしました。そして、こう言ったのです。……『あいつが幸せになれるよう、助けてやってくれないかな』と」

「しあわ、せ……?」

「はい、『幸せ』です。わたしは、わたしに出来ることならばと答えました」

 すると、夏優咫は楽しそうに笑って言った。『きみは、きっとあいつの運命だから』と。更に、『今言ったことは秘密だよ』とも。だから、常磐は言わない。

 夏優咫が『運命』と言った意味を、まだ常磐自身が理解し切れていないことも理由だが。しかしそこを理解出来なくとも、神に仕える巫女として出来ることはあると信じたい。

「ですから、必ず目的を遂げたらここに来て下さいませんか? きっと会いに来て下さると、約束して頂きたいのです」

「どうして、そんなことを」

 常磐の言う目的とは、弦義の祖国奪還のことだろう。それを果したらロッサリオ王国を訪ねろとは、どういうことか。那由他が尋ねると、常磐は首を横に振った

「わかりません。ただ、わたしがあなたに逢いたいのです。……きっと、あなたはこの旅で大きく変わるでしょう。出逢いを経て変わり、何かを掴んでいくことでしょう。その果てを、見せに来て下さい」

 待ち、変化を見守ること。巫女とはいえ祈ることしか出来ない歯がゆさを抑え付け、常磐は微笑む。それしか出来ないのではなく、それをすることが出来るのだと考え直して。

 その頃にはきっと、この胸の高鳴りの意味もわかるだろう。

「わかった。約束しよう」

 真剣な面持ちの常盤に、那由他は約束した。

 達せられる頃にはわかるだろう。彼女の笑顔に胸が揺さぶられるその意味が。

 それから、二人は少しだけ話をした。主に、那由他たちがこれから行くグーベルク王国について。ロッサリオ王国と同様に弦義と懇意だが、また違った趣のある国だということを。

 夜半となり、常磐が暇を告げた。

「では、おやすみなさい」

「ああ。……そうだ、那由他で良い」

「え?」

 聞き返すために振り向いた常磐に、那由他は言う。常磐の顔を直視出来ない理由もわからないまま。

「那由他で良い。あと、敬語も要らない。わかったか、常磐」

「―――うん、那由他」

「おやすみ」

 ふっと表情を崩し、那由他は常磐を見送った。扉を閉じ、無意識に息を吐く。そして、あてがわれたベッドに背中から倒れ込んだ。

「何なんだよ……」

 呟かれた独白に応える声はない。しかし、手の甲で隠された顔がうっすらと赤く染まっていることに、月だけが気付いていた。

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