第10話 少年の仇

 幾つかの川、山、谷を越え、弦義と那由他はロッサリオ王国まであと山一つという所までやって来た。その間、幸運にも追っ手と出会うことはなかった。

「今晩はここで良いだろ」

「ああ。薪を探して来る」

 何度も野宿を経験する中で、弦義は外で過ごすことに慣れていった。最初こそ何も出来なかったが、七日経つ頃には釣りも採集も一人でこなせるまでに成長した。

 今も、野宿すると決めた場所を整えるのは那由他に任せ、弦義は一人で木々の間を歩く。薪に使える乾いた木の枝を集めていくと、すぐに両手いっぱいになった。

「これくらいで良いか。……ん?」

 弦義の耳が、遠くの喧騒を捉えた。こんな山奥で誰かが言い争いをしている声がして、弦義は首を傾げる。無視すれば良いのに興味を惹かれ、そろそろと足を忍ばせて近付いて行く。

 幾つかもの木々を越え、徐々に声が鮮明になっていく。その中に最近聞いた声を聞き、弦義は耳を疑った。

「―――ぐっ」

 小さな人影が、殴られて木の幹にぶつかった。それがすぐ近くだったようで、大きな音に弦義の体がビクッと反応した。

 呻き声を上げる誰かを見下ろし、巨漢が二人下品な笑い声を上げる。

「何だぁ、もう終わりかよ?」

「親父、生き残りはこいつで終わりなんですかい?」

 親父と呼ばれたのは、もう一人よりも更に大柄で筋肉質な男だ。太く幹のような腕を伸ばし、自分が殴り飛ばした相手の胸倉を掴んで持ち上げた。

 弦義の位置から、親父と呼ばれる男の顔と首を絞められ苦しむ少年の横顔が見えた。少年が誰かを知り、弦義は驚愕する。

(嘘だろ、白慈はくじ⁉)

 両手で男の手を掴み、足をばたつかせる白慈の姿が見える。弦義は助けるタイミングを見計らいながら、三人の動きを注視した。

「離せ、よ」

 苦しめられてもなお、白慈の目に諦めの影はない。それどころか挑発する目つきで男たちを睨みつける。白慈の態度が癪に障ったのか、親父はこめかみに青筋をたてると、力任せに白慈を投げ飛ばした。

「……っ」

「生意気なガキめ。育てた男に似て、こっちを嘲るような顔しやがる」

 育てた親に似て。その言葉で、弦義は男たちの正体に気が付いた。彼らは、白慈の育ての親である山賊たちを倒した敵側の山賊だ。

(早く助けないと。でも、非力な僕がどうやって……?)

 飛び出しかけた弦義だったが、冷静な自分が待ったをかける。一人で十分に野棘と戦えずに追われた自分が飛び出して何になるのか、と。

 しかし弦義が迷う間にも、白慈は一方的な暴力にさらされ続ける。一度では飽き足らず、親父と呼ばれる男は二度三度、白慈を乱暴に扱った。

「う……ごほっ」

 口の中で血の味がして、視界が霞む。白慈はよろよろと立ち上がりながら、ぼんやりと目の前に迫る拳を見詰めていた。やけにゆっくりと向かって来るように思える拳を前に、覚悟を決めて目を閉じた。

(ごめん、かしら。みんなの仇、オレには討てな……)

「白慈!」

 かつての仲間と同じように死を受け入れようとしていた白慈の耳に、青年の叫び声が響いた。驚き目を開けるのとほぼ同時に、白慈の体が何かと共に吹き飛ばされる。

 地面に叩きつけられたが、白慈には殴られた衝撃がない。その代わり、自分に覆い被さる誰かが呻いた。

「痛……」

「つ、弦義さんっ⁉ どうして……」

「どうして? 薪を探して歩いていたら、きみを見付けたから」

 確かに、辺りには薪になりそうな枝が散乱している。集めていたであろうそれらを放り捨て、弦義は白慈を庇ったのだ。

 唖然と自分を庇う弦義を見ていた白慈は、大きな舌打ちを聞いて我に返った。

「何だぁ? 新手の登場かよ。……貴様、何者だ?」

 じろじろと弦義を観察する親父たち。ここ一週間程は川の水で体と服の汚れを落とすくらいのことしかしていないため、衣服の汚れが目立つ。

 しかしそれでも隠し切れない洗練されたデザインと高貴な雰囲気に、彼らは何かを察した。ひそひそと短い話し合いをすると、親父と共に白慈に暴力を振るっていた男が鋭く指笛を鳴らした。

 ピューイという高い音に、幾つかの地点から同様の音が返って来る。鳥の鳴き交わしのように何度も繰り返す中、音同士の距離が縮まっていく。

「仲間を呼んだのか」

 指笛の鳴き交わしがなされる中、弦義が険しい顔で親父と呼ばれる男を睨む。すると男は鷹揚に頷き、太い人差し指を弦義に向けた。

「そうだ。……あんた、アデリシア王国の廃王子じゃないか?」

「どうして、わかった」

 ヒュッと喉を鳴らし、弦義は尋ねた。こめかみを冷汗が伝う。それを知るはずもない男は、にやにやと卑屈な笑みを零した。

「何故? そんなの簡単だ。あんたを捕えて引き渡せば、報奨金がたんまり頂けるってお触れが出たんだよ。しかも、生死は問わないときた」

「成程」

 これも野棘の策の一つだと察し、弦義は奥歯を噛み締めた。

 確かに、表立って兵士を動かせば目立つ。しかし、元々裏の世界の住人である盗賊や山賊といったアウトローの人々を使えば、大多数の国民に気付かれることなく弦義を始末出来ると踏んだのだろう。

 懐から取り出した密書を振り、にやつく山賊たち。その文書には、弦義の髪色や瞳の色等の特徴が細かく書かれているらしい。やがてドカドカという足音が幾重にも聞え、十人程の屈強な男たちが集まった。

「弦義さん、逃げて」

「嫌だ。もう、誰かを守れないなんて、ご免だ」

 弦義の脳裏にあったのは、幼い頃から自分を慕ってくれた亡き弟妹の姿だ。無惨にも野棘の一派に殺されてしまったが、彼らのように身近な誰かを、弦義はもう失いたくない。

 あまりにも悲痛なその言葉に、白慈はそれ以上言い募ることが出来なかった。しかし、二人いるからと言って、危険が半減するわけではない。

「逃げないたぁ、感心な元王子だ。……サンドバッグになる準備は良いか?」

 ボキボキと指を鳴らし、山賊たちが近付いて来る。

 弦義は背中に白慈を庇ったまま、腰の剣の柄を握った。せめて、白慈を逃がさなければ。その思いだけで剣を抜こうと力を入れる。

「オオオッ」

 親父と呼ばれる男と最初から共にいた巨漢が、まず弦義たちに殴りかかって来た。弦義は躱そうと足に力を入れるが、その瞬間、背中に痛みが走る。白慈を庇った際に殴られた背中が痛みを訴えたのだ。

 痛みを感じ、弦義の動きが鈍る。その好機を、男が見逃すはずもない。弦義は万事休すか、と白慈を抱き締めて敵に背を向けた。

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