休日

 山の展望台で紬と言う車椅子の少女と出会って3日が経った。あの日以来展望台を訪れていないので、彼女とは会っていない。紬と過ごす時間を心地良く感じたのは事実だけど、それを毎日感じていたいと言う欲は生まれなかった。


 今日は休日。

 海斗は脳外科医の1人が所有する2階の応接室から出て来た。いつもの感情の読めない表情で院内の廊下を歩く。グレーのパーカーの上から黒のジャケットを前ボタンを留めずに着て、黒のパンツを合わせた出立ちだ。

 彼は、物事への無関心さを親に心配され始めた頃からあの応接室でカウンセリングを受けていた。前回と同じく今回話した事も最近の出来事や世間話などの他愛もない内容だったが、紬との事を話すと驚いたように目を見開いた。彼女との関わりを保ってくれといつになく急かられもした。脳外科医いわく、それが大きな変化に繋がる可能性があるとの事。


 そんなこんなで人の少ない病院独特の匂いがする廊下を歩いていると、前方から見覚えのある少女が車椅子を押されてこちらへと向かっていた。彼女は移動を手伝ってもらっている女性の看護師との会話に夢中になっていて気付いてないが、海斗は気付いた。

 −−−−紬。僕を妙な感覚へ招き入れる車椅子の少女。


 話しかけられる気がしないので、軽く一瞥して横を通り過ぎようとする。が、さすがにすれ違い様に気付かれたらしく、看護師に止まるよう命じた後、車椅子から身を乗り出すようにして振り返った。


「海斗さん」


 名前を呼ばれて、歩みを止める。青年が振り返る頃には看護師と共に紬と車椅子がこちらを向いていた。人と話す事に慣れない海斗は小首を傾げる事で意思表示をする。


「お見舞いに来てくれたんですか?」


 嬉々として紬は尋ねた。しかし彼は、山の展望台で会った時と同じで感情の読めない表情をしている。あまりにも彼の表情が変わらないものだから、返答に困る質問をしてしまったと思った。


「……用事ついでに」


 歯切れの悪い返答。

 お見舞いに来た事が本命でない事を突きつけられたけど、お見舞いに来てくれようとはしてくれていた。その気持ちが嬉しかった。


「それでも、嬉しいです」


 心の内がいつの間にか言葉として紡がれる。気にはならなかった。だって、その気持ちが事実である事に変わりはないのだから。

 私と彼の打ち解けた会話を聞いて、看護師の女性が彼が誰なのかを尋ねてくる。この前話した人だと告げると、喜びの声を漏らした。紬ちゃんの世話をしてくれてありがとうなどと、まるで親のような事を言う看護師の女性。相変わらずの感情の読めない声で海斗は受け止めた。


 −−−−彼はどうしてこんなにも無表情なのだろうか。


 今までのやりとりを見て、ふとそんな疑問が脳裏を過ぎる。彼は特に驚いたり、喜んだりする事もなく会話をする海斗。私が話している時も、看護師の女性が話している時も。それが不思議でならなかった。どうにかして知りたいと思った私は、彼と2人にしてくれないかと看護師の女性に頼む。間も無くして彼女は快諾してくれて、彼との2人きりの時間が生まれた。


「2人でお散歩しましょ?」


 微笑を浮かべて誘うと、彼は良いよと答えてくれた。いつも通りの感情の読めない顔で。



 散歩のルートはこの病院から展望台のある山までの曲がりくねった道。どんな入院患者でも気軽に利用できるよう、点字ブロックや手摺りなんかで細かく整備されている。それに、両脇の花壇に植えられた花々のおかげで、隣接している介護施設の入居者の散歩コースとしても使われていた。


 海斗に車椅子を押され、両脇の花々を眺める。


「綺麗ね」


 思わず感動の声が漏れた。

 現在花壇に植えられているのはハボタンやクリスマスローズなどの冬に花を咲かせる花だ。季節の変わり目になるといつも病院の用務員達がせっせと花を植え替えていたりする。そんな姿を病室の窓からよく覗いていたのだが、その苦労とこだわりがとても伝わる光景だった。


 この景色なら何かしらの反応をしているだろうと後ろの彼を見上げたのだが、青年は無表情のまま無言で車椅子を押しているだけ。紬は口を尖らせた。ここまで来ると彼の表情を無理やりにでも引っ張り出したくなるわね。


「ねえ、何か好きなものってある?場所とか、食べ物とか、本とか」


 彼の顔を見上げたまま、無理やり上げたテンションで問いかける。自然と口調が崩れてきた。


「ない………と思う」


 心なしか困ったようにも見えた無表情で答えられる。どうしてないのよ!と頭を抱えた。そして気付けば、なだらかな傾斜に掘られたあのトンネル前に来ていた。トンネルの中を、ビビットの効いた住宅街の絵が果てしなく続いている。トンネル自体の人通りは少なく、同じ病院の患者や介護施設の高齢者と度々すれ違う程度だった。


「展望台、行く?」


「えっ?」


 不意に後ろの海斗から尋ねられた。あまりにも唐突だったから、思わず素っ頓狂な声が出る。振り返っても、彼は無表情の生気のない瞳で見つめてくるだけ。その瞳と見つめ合う。するとなぜか顔が湯気が出そうなほど真っ赤になった。


「海斗がそれで良いと思うなら、良いんじゃないですか」


 恥ずかしさのあまり顔を背け、突き放すような敬語が口をついて出る。これに対して彼がどんな反応をしたのか私にはわからないけど、車椅子がゆっくりと動き出した事は見て取れた。

 恥ずかしい一面を見られてしまった。彼が何かしらの表情を浮かべていたんじゃないかと思うと、その反応を見られなかった事への後悔が募った。



 −−−−こんな日々が続けば良いのにな。

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