命の分かれ道【書けない】

キツキ寒い

展望台

「……」


 近くのベンチにリュックを寝かせ、青年は黄昏ていた。冬の冷たい風に制服のブレザーが少し靡く。

 住宅街の真ん中にそびえる小さな山。そこの大して高くないも低くもない展望台にて、夕焼けに染まる街を眺めた。感情に浸るわけでもなく、ただ単に眺めている。


 最近、何をやっても興味と言うものが湧かなかった。新作のゲームや漫画を手にしても、話題の音楽グループの曲を聞いても、全く心が動く感じがしない。果てしない人生に長い暇を覚えていた。


 そんな彼にはとある能力が存在する。"どんな願いでも叶えられる"と言うものだ。こんな事を突然言われても想像がつかないだろうけど、事実に変わりはない。実際、育てていた花が枯れて悲しんでいた少女の願いを叶え、偶然通りかかった病室で余命3ヶ月と宣告された少年の親の願いを叶えた。他にもいくつかの願いを叶えた覚えがある。

 その途中で、なぜか物事への興味が消えた。異変に気付いた両親が僕を脳外科へ連れて行ったけど、外傷的な異常は特に見られなかったそうだ。精神的な負荷があったのではないかと言われたが、そんな事は起きてないとわかっている。––––不思議だな。


 そう物思いにふけっていた時、後ろから誰かに見られているような感覚がした。振り返ると、そこで車椅子に座った見慣れない少女がまじまじとこちらを見つめている。同い年くらいだろうか。細い身体は病衣の上から暖かそうな毛布で包まれていて、整った顔立ちの優しい目をした少女。見覚えのある病衣である事から近くの病院に入院しているのだとわかった。


「こんにちは」


 にこやかにそう呟く少女。


「…こんにちは」


 少し遅れて反応をする。どうしてこんな所に来たのかと疑問が浮かんだが、霧へ消えた。物事への興味が、また薄れている。可愛いだとか、美しいだとか、そんな感情さえも、薄れている。呆然と見つめていると彼女はフフッと小さく笑った。


「少し、手を貸してくれませんか?私の力じゃ、小さな坂道でさえ登れないもので」


 そう言われて思い出す。この展望台、地面の上にタイルを敷いたようなものだから、大まかな傾斜とかがほぼそのままなのだ。頷きを返して、少女の車椅子を押しに行く。街全体を見下ろせる場所に来ると彼女はお礼を言った。どういたしましてと短く返して、しばらく2人で夕日を眺める。


「ここはとても良い場所ですね」


 沈黙を破る少女の声に、そうだねと相槌を打った。無意識だ。


「あなたはここで何をしていたのですか?」


 街に沈む夕日から青年に視線を移す。対して青年は夕日を見つめ、これから言う発言に関係なく夕日が綺麗だなと思った。


「わからない」


 "なぜかわからないけど無性に来たくなった"と言う意味だったのだが、無表情な彼から漏れた言葉に、少女は困惑の色を見せる。


「わからないって、どう言う事です?」


 大して仲が良いわけでもないのに、深入りばかりしてくる少女を嫌に思う事なく青年は街を見下ろした。道路を行き交う車や2、3人の集団で下向する学生の姿なんかが小さく見える。


「やりたい事もなくてボーッとしてたら、なんとなくここに来たくなった」


 "わからない"の意味をようやく理解した少女は苦笑を浮かべて納得の意を示した。


「理由もなくどこかへ行きたくなる事は私もあります。不思議ですよね」


 青年は彼女の発言に賛否を言うわけでもなく、そんなに不思議がる事だろうかと残りもしない疑問を浮かべただけだった。他に浮かんだ疑問があるとするなら、門限まであとどのくらい時間が残っているのか。それくらいだった。ブレザーのポケットから取り出した携帯で時刻を確認すると、午後4時50分を過ぎていた。門限の午後5時半まで40分もない。


「帰るか…」


 そうとだけ呟いて、ベンチに寝かせていたリュックを背負う。それを見た少女は気まずそうに声をかけた。感情の読めない表情で振り返ると、恥ずかしそうにもじもじとする車椅子の少女。何の用だろうと無言で彼女が口を開くのを待つ。少しの沈黙の後、少女は口を開いた。


「その、病院まで送ってもらえないでしょうか?………非力で体力もないもので、今の状態でちゃんと帰れるか不安なんです」


 そんな事か。

 青年は首肯して、車椅子の後ろへ回る。


「ありがとうございます」


 そう言う彼女の表情がどんなものだったかわからないけど、嬉しそうなのは少女の小さな背中を見ていて伝わった。車椅子を押し、葉のない木々の間を縫うように整備された山道を歩く。車椅子の進む音と、青年の足音だけが響いた。日が沈み、だんだんと暗くなる道を街灯が照らす。


「……なんだか、久しぶりです。こうやって看護師さん以外に車椅子を押してもらうのは」


 物思いにふける声で、少女は呟いた。そうなの?と、感情のない声がまた無意識に飛び出す。


「うん。お父さんやお母さんは仕事で忙しくて、中々お見舞いに来てくれないから」


 どこか寂しげな声が耳に残った。その内容も。いつもなら興味がなくて聞き流していたのに、その発言だけは流せなかった。自分とは逆の生活をする彼女に驚いたからかもしれない。

 青年の親も忙しい一日を送ってはいる。だけど、父親は会社で働いていて、母親は専業主婦だ。家に帰れば必ずどちかがいるし、父親は優しくて、母親は過保護。そんな家庭だからこそ驚いたのだろう。


「そっか…」


 同情の声が出た事に内心で驚く。いつぶりだろうか、ここ最近全く聞く事がなかった自分の同情した声を聞くのは。そんな事も知らない彼女は自嘲の笑みを浮かべた。


「すみません、自分語りしてしまって」


 気にしてない。と、元の素っ気ない返事に戻る。


 そうこうしている内に、階段がある場所に着いた。整備されたタイルの階段の横にガラス張りのエレベーターが存在する、バリアフリーを重視した場所だ。ボタンを押して、登ってきたエレベーターに乗る。無言の中、身体が浮くような感覚を感じていると、車椅子の少女と鏡のように反射するガラス越しに目が合った。


「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私達」


 何を思ったのか突然そんな事を言い出す彼女。青年に有無を言わせず何かを隠すように話し出す。


「私、紬。あなたは?」


 随分と急かすんだな。しかも問われてしまっては答えざるを得ない。


「…海斗」


 自分の名前を教える機会なんて滅多にないものだから、自分の自己紹介が歯切れ悪く感じた。


「よろしくね、海斗」


 ガラスの壁に薄っすらと映る青年に満面の笑みを向ける。そんな事を誰からもされた事がない海斗は、ドキリとはせずとも恥ずかしいような妙な感覚に囚われた。その会話を終えたタイミングでエレベーターが止まり、地上への長いトンネルへ出る。トンネル内は明るく、壁一面をビビットの効いた住宅街の絵が覆っていた。

 紬の車椅子を押して出口へと向かう。道中で病院の場所がわかるかと尋ねられたが、病院へ繋がる曲がりくねった道なら知っていると告げると、それなら安心したと返ってきた。


 この会話を含め、紬と言う少女とのやりとり全てに居心地の良さを感じる。


 病院への道のりを辿るにつれて、自分の中の異変を感じた。彼女に出会った時から、まるで自分が何かを願い続けているような。そんな異変を。

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