第6話 美鈴の回想①


射和いざわ高校の裏には櫛田川くしだがわという割と大きな川が流れている。河原も合わせると川幅300㍍ほどの一級河川で、鮎やサツキマスなども遡上してくる美しい川だ。


ちょうど中流域になる射和高校のあたりは、河原も広く流れも穏やかであることから川遊びやバーベキューやキャンプに最適で、休日ともなれば県外からも家族連れや釣り客が川遊びに訪れる。

 

時期はちょうど盆で、帰省してきた親戚の「都会の喧騒を離れて自然の中で癒されたい」という要望に応える形で、美鈴の家族四人と親戚家族三人の総勢七人で櫛田川にバーベキューに行くことになった。


その日、射和高校から土手を下った河原は、高校生の少年が二人でキャンプをしていることを除けばほぼ貸切状態だった。


そこの河原でバーベキューをしてもよかったのだが、川の中にちょうどいい感じの中洲が出来ていて、浅瀬を歩いて渡れそうだったので、せっかくだからそこに渡ろうという話になった。

 

実際に中州に着いてみると、そこは夏みかんぐらいもある大きな石がごろごろしている河原と違って細かい砂利と砂が堆積したものだったので、裸足で歩いても危なくなく、小さい子供たちを遊ばせるにも最適で、川を渡ってくる風が肌に心地よく、家族連れが川遊びとバーベキューを楽しむのに実にもってこいな場所だった。

 

その場所でバーベキューをして、大人たちはビールを飲みながらおしゃべりに興じ、美鈴は幼い妹や従妹の遊び相手をしながら、時々泳いだりして川遊びを満喫していた。


その日は天気予報では曇り時々雨となっていて、実際山の方には厚い雲が掛かっていたが、美鈴たちのいるあたりは、雲は多少あるものの概ね晴れていた。


しばらくして泳ぎ疲れた美鈴が水から上がって焚き火のそばに来ると、反対側の河原にいたはずの少年の一人がこちらの中州まで渡ってきて父親となにやら話しているところだった。


ハーフパンツタイプの水着に黒のタンクトップでツンツンの短髪の彼は、細身ながら筋肉質でなかなか格好良かった。

 

少年はなにやら父親を説得しているようだったが、父親のほうは煩わしげに手を振っていた。

 

美鈴が近づくと、彼はちらっと美鈴を一瞥してから川向こうに戻っていき、河原で待っていたもう一人とテントを畳んで帰り支度をし始めた。


「なんの話してたのです?」

 

美鈴が訊ねると、赤ら顔の父親は鼻で哂って言った。


「ここは増水すると危ないからバーベキューをするなら向こうの河原の方がいいんだと。まったく大きなお世話だ。雨が降ってるならともかく、ちょっと雲が多いぐらいでなんで増水を心配する必要がある? そんなことは、天気が崩れ始めてからで十分だ」


「ふうん。でも、それだけを言いにわざわざこっちまで来てくれたですね」


「ただのおせっかいさ。もしくは地元民だからよそ者の俺たちがいい場所にいることが面白くなかったかのどちらかだな」


美鈴は、酒に酔った時の父親があまり好きではなかった。普段はもの静かで優しい父なのだが、酒が入るとからみ上戸でやたら疑り深くなるのだ。


父親はなおもぶつぶつつぶやき続けていたが、美鈴は君子危うきに近寄らずと適当にあしらってその場を離れた。帰り支度を終えて土手を上がっていく少年たちの後姿を見ながら、お父さんが厭なことを言ってなければいいけどな、などと思ったがそれだけだった。

 

美鈴も父親もそこにいた全員が、川の危険をあまりにも軽く見すぎていた。


川というものは中流が晴れていても上流で雨が降っていれば急激に増水するものであるということを。そして、そうなった時に川の水量が少ない時にだけ水面上に姿を現す中洲という場所がどれほど危険な場所になるかということを知らなかったのだ。




川面の変化は一瞬の出来事だった。

 

透明だった川の水が濁り始めたと思う間もなく、上流から盛り上がった水面のうねりが押し寄せてきてあっという間に水位が上昇してしまい、美鈴たちのいる中州は濁流の中に取り残されてしまった。


その時になって川のことをよく知る人間の親切な忠告を無視したことを後悔してもすでに後の祭りだった。

 

上流の方ではかなりまとまって雨が降っているようで、水かさは時を追うごとに増してゆき、それに反比例して中州の面積は見る見るうちに小さくなっていった。携帯電話で助けを呼ぼうにも、濡らすことを恐れて全員が車に置いてきてしまっていたので万事休す。


あとは誰かが自分たちの窮状を知って助けを呼んでくれるか、水がこれ以上増えないことを祈ることしかできなかった。


しかし川の水は増え続け、ついには身を寄せ合うようにして立っていた美鈴たちの足を水が洗い始めた。クーラーボックスや荷物も次々に流れていく。


パニックになった母親が父親をなじり、逆切れした父親が怒鳴り、大人たちは責任を押し付け合った。 


幼い妹と従妹が泣きながらしがみついてきたが美鈴にはどうすることも出来ず、ただ根拠もなく「大丈夫、大丈夫」と呪文のように繰り返すことしか出来なかった。


流れの向こう岸にさっきの少年たちが戻ってきたのはそんな時だった。


長いロープの束と3㍍ほどの竹竿を持って来ていて、さっきこっちに来て忠告をしてくれた少年がすぐにシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になり、自分の腰にロープを結び始めた。


あきらめの表情で黙り込んでいた父親が驚きを隠しきれずに声を上げる。


「助けに来てくれたのか! でも、あの子はこの急流をどうやって渡るつもりだ? まさか泳ぐつもりか? 無理だ!」

 

父親が疑問はもっともだった。


自分たちのいる中州がすでに水に浸かっている今、奔流の深さはすでに彼の腰の辺りまではあるはずだ。


とても歩いて渡れる状態ではないし、泳いで渡れるほど流れは弱くない。

いったいどうするつもりだろうと様子を見ていると、やがて、渡河の準備を終えた少年はもう一人にロープの束を任せ、美鈴たちの場所より50㍍ほど上流に移動してそこから川を渡り始めた。

 

両手でしっかり持った長い竹竿を、流れを割るように自分の上流側に突きながら、一歩一歩確かめるようにして、腰まである奔流を斜めに横切るようにして渡ってくる。


その渡河方法を見て父親が唸った。


「むう、なるほど。ああやれば普通では立っていられないような急流でも渡れるのか!」


「どういうことです? お父さん」


「ああやって竹竿で自分の上流の流れを割れば、竹竿と自分の体の間に渦ができるから、急流の押し流そうとする力を弱めることが出来るわけだ。それに、上流から下流に向かって斜めに川を横切ることで流れの力を上手く受け流しているんだろう」


「なるほど?」

 

なんだかよく分からなかったが、少年の川を渡る方法が理にかなったやり方らしいということはわかった。確かに見ていても危なげなく、余裕で流れを横切っているようだ。


ついに少年が流れを渡りきって美鈴たちのところにたどり着いた。


「気になって戻って来たんですけど、危なかったですね」

 

屈託のない笑顔を見せる少年に父親が謝罪する。


「さっきはひどいことを言ってすまなかった。君の警告を無視していなければこんなことにはならなかったのに。でもまさか、君が川を渡ってまで助けに来てくれるとは思わなかったよ」


「まあ、あれだけいい天気でしたから俺の言うことが信じられなくても仕方ないですよ。下流の方でも何人か流されて消防が出動しているみたいですから。それに、俺たちには見ての通り急流渡りのノウハウがあるんで助けに来るのは当然のことです」


「本当に助かった。君が来てくれなければ我々はいずれ流されていたはずだ。本当にありがとう」


「ま、礼は無事に向こう岸に戻ってからでいいですよ。まずはこの急流を渡らなくちゃいけないんで」


「そうだな。で、この君が張ってくれたロープを伝っていけばいいんだな?」


「いや、それだと素人、特に体が小さい女性や子供には難しいです。ロープを握る握力がたぶん保たないんで、ここにいる半分は渡河途中で力尽きて流されますね。それに、もうここが水に浸かってることを考えると一人一人順番に渡河する時間の余裕はないです」


「じゃあ、どうすればいいんだ?」


「その方法を伝える為に俺がここに来たんですよ。大丈夫。俺の言うとおりにすれば全員無事に向こう岸に渡れますから」


「わかった。君の急流渡りのノウハウとやらを信用しよう」


「よし、じゃあ早速ですけど、小さい子供二人を除いた五人が体重の軽い順に上流から下流に横一列に並んでください」





  



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