竜の番と運命の輪舞

ヴィルヘルミナ

竜の番と運命の輪舞

 私が卵から生まれた時、初めて見たのは生まれたての火竜だった。寒くて暗い部屋の中、赤く輝く姿が私の心に深く刻まれたのは仕方のないことだったように思う。


 火竜は小さな手で私の卵の殻を割り、私の孵化を助けてくれた。もしも殻を割ってくれなければ、私は生まれることはできなかったかもしれない。


 竜の卵の孵化率は低く、世界中の卵は竜王陛下の住まう天空城の孵化室に集められて竜王の聖なる力に護られながら温められる。


 火竜も私も、孵化する期限を過ぎて廃棄された卵から偶然生まれた。他に生まれた竜はおらず、発見されるまでの三日間、身を寄せ合って互いを温めたことを今でも覚えている。


 廃棄された卵は誰の物か判明しなかった。親がわからない私たちは天空城で一緒に育てられ、やがて結婚した。ほとんど同時に生まれた私たちが惹かれ合うことに、誰も疑問を持たなかった。


 私の夫、ラドミルは鮮やかな赤い鱗を持つ美しい火竜で、私は地味な茶色の土竜。竜族は本来の姿では巨大すぎて生きにくく、人間に似た姿に変化して普段は生活している。


 人の姿になると、夫は赤い髪に赤い瞳の美丈夫。私は茶色の髪と瞳のどこにでもいる平凡な女。引け目を感じる私を夫はいつも愛していると公言し、私たちは心から愛し合っていた。


 夫は竜王陛下の側近として仕え、私は侍女として勤める日々。休日には二人であちこちの景色の良い場所を訪れる。代わり映えのしない穏やかな日々の中、お互いの笑顔を見るだけで幸せを感じていた。


      ◆


 ある日の朝、夫が顔色を変えて青い空を見上げた。

『どうしたの?』

 私の問いかけにも応じることなく夫は空に昇り、美しい火竜の姿に戻って飛んでいく。


 恐れていたことが起きたと直感した。竜族には、〝竜のつがい〟が出現することがある。それは運命の愛の相手。一目見ただけで恋に堕ち、寿命を分け合い一生を添い遂げる祝福の呪い。


 まさかと思いながら、私は全力で飛んでいく夫を追いかけた。番が現れてしまったら、きっと私は捨てられてしまう。


 どんな竜が現れるのかときりきりと胃が痛む中、やがて夫は山村へと降りた。番へと完全に意識を向けているからか後ろを振り向くこともなく、私は全く気がつかれなかった。


 夫は美しい人の姿になって、迷うことなく村の外れの小さな家へと向かい、粗末な扉を叩いた。


 相手は病弱な人間の少女だった。夫は、番がまだ十分に育っていないことを残念だと言い、成長するまで見守ると約束して少女の病気を癒す為の薬草を採りに飛び去った。


 私は竜の姿に戻り、少女を食べた。夫の番がこの世界に存在していることがどうしても許せない。跡形もなく消してしまいたいという衝動が私を駆り立てた。


 竜の姿で人間を殺すことは竜族の最大の禁忌と理解はしていた。さらには人間を食べることは竜としてはありえない、同族を食べることと同じで禁忌以上のおぞましい行為。それでも、私の嫉妬はもうどうすることもできなかった。


 ここにいては私が番を食べたことが知られてしまう。葛藤を抱えながらも家へと戻って、夫の帰りを待った。


 二日後、夫は憔悴しきった姿で戻ってきた。赤い髪は乱れ頬はこけ、たった二日での変わりように驚いてしまった。

『ラドミル、どうしたの? 何があったの?』

 夫は私の顔を見た途端、あきらかに動揺した。


『エリシュカ……君は……』

 私が夫の番を食べたことを、気づかれてしまったのだろうか。私は何も残さず食べてしまったし、周囲にいた精霊達にも口止めしてきた。完全に隠蔽したはずだと思いながらも不安な気持ちで夫を見つめる。


 衝動的にしてしまったこととはいえ、もしも嫌われてしまったらどうしたらいいのだろう。今更ながらに恐怖で体が震えた。夫に捨てられたら、私はもう生きてはいけない。


『……いや。心配をかけてすまなかった。愛しているよ』

 甘く微笑んだ夫は私を強く抱きしめ、番から取り返せたという実感が心を満たす。気付かれなくて良かったと安堵の息を吐きながら、私は夫の背を抱き返した。


      ◆


 年月が過ぎ去り、私たちは以前と変わらない穏やかな生活を続けていた。夫は変わらず私を愛し、私も夫を愛し続けている。私が自分の罪をすっかり忘れ去った頃、それは起こった。


 ある日の朝、何気なく青い空を見上げた時、私の名を呼ぶ声が聞えた。

『これは何?』

 湧き上がる愛しいという想い。早く会いたいと心が叫んで、じっとしてはいられない。空へと駆け上り、竜の姿に戻ると誰かが呼ぶ声が強くなる。


 広大な陸地でも竜の翼を使って全力で飛べば、ほんの一瞬。呼ぶ声に誘われて、美しい湖に映り込む白く輝く城へと私は降り立った。


 私の番は、結婚式を明日に控えた小国の王子だった。金の髪に青い瞳の凛々しい王子も私を番と認識して、一目で恋に堕ちた。王子は結婚を取りやめるといい、様々な問題を必ず解決して私を迎えると約束してくれた。

 

 翌日になって私が城を訪れると、王子は姿を消していた。精霊に行方を聞いても、誰もその消息を語らない。王子の婚約者は婚礼衣装のままで、行方不明になった王子を想って泣いている。


 番の気配を感じ取ろうと竜の力を全て使っても掴めない。あれ程感じていた運命の鼓動は沈黙してしまっていた。


 どうすることもできずに、私は家へと戻った。番がいなくなったという喪失感は凄まじく、何もする気になれない。扉の前で立ち尽くしていると、扉が開いた。


『お帰り。待っていたよ』

 夫の優しい声で顔を上げた途端に気が付いた。私の番の匂いが夫の体から立ち上っている。


『ラドミル……まさか……貴方……』

 私の番を食べたのか、とは聞けなかった。私が夫の番を食べた時、夫も今の私のように気が付いたに違いない。


 夫の甘い笑みを見て、憎しみと愛しさが混じり合う。番を殺された激しい怒りと、禁忌を犯してでも執着されることへの歓喜。凄まじい両極端の感情による混沌が、髪の先、爪の先まで染み込んでいく。


 混乱して動けない私を、夫が強く抱き寄せた。

『……逃がさないよ。僕たちは永遠を誓った夫婦だろう?』

 その抱擁は甘美な番の香り。その囁きは震えるような背徳の調べ。


 私の罪を知っていても、夫が私の前から去らなかった理由がわかった。私の番を食べた夫の体からは、微かに番と同じ匂いがする。夫は番ではないと囁く理性と、愛する夫が番だとわめく感情の争いは、理不尽でどろどろとした不透明な愛の中へと溶けていく。


『そうね。私たちは永遠に夫婦なのよ。……愛しているわ』

『ああ、僕も愛している。永遠に君だけを愛すると誓う』


 たとえ竜の番という運命の愛であろうとも、私たちを引き裂くことはできなかった。心が震えるほどに嬉しくて堪らない。この愛を護る為、きっと私たちは何度でも同じことを繰り返す。


 いつか女神に断罪される日が来ても、後悔なんて許されない。

 これが、私たちの運命の愛だから。

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