第36話 律華⑥
「つ―かーれーたー!」
「あはは、本当お疲れ様」
時は18時。
スタイリストやメイクアップアーティストの力の元、撮影の仕事を終え、約束通りに臨海公園に足を運んだ二人。
ベンチに座り、夕焼けの海を見ながらコンビニで買ったサンドイッチやおにぎりを食べながらのんびりと過ごしていた。
「本当キツすぎ……。楽しくデートしてたところにいきなり仕事入るとか」
「本当、よく頑張ったよね」
「……お兄さんが喝を入れてくれたおかげだよ」
「そんなことないよ。律華さんの心が強かっただけ。その証拠に凄いところをたくさん見せてもらったし」
「凄いところって?」
サンドイッチをパクリと食べながら促してくる律華。撮影終わりということでメイクが変わっていることで変に緊張してしまう修斗である。
「一番は気持ちの切り替えの速さだね。他にはマネージャーの気持ちを楽にさせるために声を明るく変えて電話したり、厳しいことを言った俺に当たることもしなくてさ。18歳の頃の俺にこんなことはできないよ」
「嘘つき。絶対できてたでしょ。じゃなきゃそんなに上達しないでしょ」
「いや、お世辞を抜きにして。……凄いなぁ」
「っ、そんなしみじみ言わないでよ」
気を紛らわせるように、照れを隠すようにお茶を口に含む律華は、ずっと夕焼けの海を見ていた。
「そう言えばさ、今日のスタイリストさんがお兄さんに会いたがってたよ。名刺ももらったから帰りに渡すね。お財布車の中に置いてるから」
「え? どうしてそんなことになってるの?」
「この髪型ってお兄さんのオリジナルじゃん? それを話したら『これには勝てねえー』って悔しそうにしてたから。いろいろ参考にさせてほしいんじゃない? それか引き抜こうとしてるか、たまに力を貸してくれるようにお願いしてくるか。地位の高い人だったしね」
「本当? そう言ってもらえると嬉しいなぁ……」
美容院、シャルティエから離れるつもりはないが、このように褒めてくれるのは嬉しかった。努力が結ばれたと言っても過言ではないのだから。
「あと、私が所属してる事務所の中でも『シャルティエの水瀬修斗』は有名だかんね。お兄さんのこと気になってる人も多いと思うよ」
「え、なんでそんなことになってるの……?」
「一つは私がSNSで宣伝したことがあったでしょ? それとさ、モデルの中でどこの美容師がいいか、みたいなので自慢大会になって……。私も意地になっちゃってめっちゃ自慢してやったの。『自分に合ったオリジナルの髪型を作ってくれる人が一番でしょ』って」
「へ……」
当然、このような情報は初耳の修斗である。
「それにシャルティエさんって有名だからさ。そこの最年少美容師だって言ったら目の色変えちゃってね。みんな」
「えっと……プレッシャーなんだけど、それ」
モデルというのは人一倍、美を追い求めている。同業者と似たような扱いで、どうしても緊張してしまうのだ。
「お兄さんなら大丈夫だよ。私が保証するし」
「
なんて責めるような口調になる修斗だが、内心は嬉しかった。
「はあ。それにしても海を見たのめっちゃ久しぶり」
「あ、そうなの? 律華さんはモヤモヤした時とか海を見にこない? 気分転換の効果もあるし」
「私の場合、タクシーを使わなきゃだからさ。もし車を運転できるようになったらちょくちょく足を運ぶと思う。海好きだし」
「そっか。もしなにか嫌なことがあったらいつでも俺を呼んでいいからね。車は出すから一緒に海を見にいこうよ」
「……お兄さんって本当尽くすタイプだよねー。今日でめっちゃわかったよ」
二人は恋人ではなく、ただの友達なのだ。
友達がここまでしてくれないことを律華は知っている。
「それに、私のことをちゃんと考えてくれてるんだなって思った」
「さすがに雑に扱ったりしないよ。律華さんウブだし」
「それ関係ないしっ! ま、今日はいろいろ感謝してるから、特別に否定しないであげる」
『仕方がないからね』なんて口角を上げる彼女は、ん〜っと背伸びをして口を動かした。
「今さらだけどさ、今日はお仕事を優先してよかったよ。マネージャーの安心した顔を見てそう思った」
「今日一緒に遊んでた人間としては複雑だけどね? そのセリフ」
「とか言いながら嬉しそうにしてるくせに。どーせ、『偉いなぁ』みたいな心境なんだろうけど」
「それもあるけど、人のことを喜ばせたり、助けたりできる人って好きだからさ」
「ふ、ふーん……。じゃあ、今日マネージャーを助けた私はポイントアップってことじゃんね?」
「それを言ったせいでマイナスになります」
「うわ、ケチじゃん」
「当たり前です」
あえてのですます口調で強く印象づけさせるが、律華にはわかっていた。マイナスになんかなっていないことに。
「……今日はありがとね、
「ん? 別にお礼を言われることはなにもしてないよ。それよりモデル業界? にシャルティエの名前を広めてくれてる律華さんにお礼を言わなきゃだと思うけど」
見返りとして大きいのは、当然ながら修斗が言ったこと。
しかし、『気持ちの問題じゃん』と反論する。
「ちょっと話がループしちゃうけど、仕事を優先するように動いてくれたことって、お礼を言われるべきじゃない?」
「いやー、ちょっと一人になりたかったから」
「仕事場まで送ってくれたことは?」
「まあ、ドライブしたい気分だったから」
「仕事が終わるまで時間を調整してくれてたことについては?」
「スマホゲームしてたらいつの間にか時間が経ってただけ」
「全然素直になってくれないじゃん。そんなところにトーク力割かないでよ」
仕事で培った能力を律華も認めている。勝てない領域だと理解している。
抵抗するようにジト目を作るのだ。
「あはは、じゃあ俺はもう一つありがとう。今日の律華さんを見て刺激を受けさせてもらったから。俺ももっと仕事頑張らないとなって」
「これ以上頑張ったら倒れるんじゃないの? 美容師って忙しいんだから。特にシャルティエさんは人気店なんだし」
「大丈夫大丈夫」
「ま、もし倒れた時には看病しにいってあげる。私料理作れるしさ」
「それは助かるよ。一人暮らししてる成人男性の家にお邪魔しようとするのは危ないような気がするけど」
「出たお節介。そもそもお兄さんには襲う勇気なんてないでしょ。お店の看板を大事にしてるのわかるし」
「……はい」
関わりが増えたことで見透かされていた。これには反論の余地がない。
「……ね、ちょっと話変わるんだけど、今日の私って偉かったでしょ?」
「もちろん」
「私のことちょっとは尊敬してくれたでしょ? お兄さん言ってくれたし」
「それももちろん」
「ならさ、ご褒美ちょうだいよ」
「え?」
呆けてしまうのも無理はない。まさかの流れであるのだから。
「今まで忘れてたけど、おねだり権もまだ使ってないし。夜中に偶然会った時の」
「つまり、今日仕事頑張ったご褒美と、おねだり権で二個のお願いを叶えろってころ?」
「そ」
「そんなに要求することってある……? ちなみにちゃんと自宅まで送り届けるからね? それを抜きにしても二個なの?」
「ん」
即答である。そもそも修斗の性格から送り届けてもらえることをわかっていた律華でもあるのだから。
「えっと、じゃあ聞くけど……その要求って?」
「頑張ったんだから……撫でてよ、頭……」
波の音にかき消されそうなほど小さい声で。
「えっ!? なにその子どもっぽい要求。甘えん坊さん?」
「いいじゃん別に。頑張ったんだから」
「ま、まあそのくらいならいいけどさ。で、もう一個は?」
「……おんぶ」
「はい?」
「おんぶだって!」
「…………はい?」
長い間。その間に脳内処理をして理解する。理解した瞬間に首を傾げる。
「こっちがおねだり権だし文句ないでしょ」
「た、確かに筋は通ってるけど……。どうしてその要求になるの? もっと別のでよくない? 焼肉にいくとか。そっちの方が楽しいと思うけど」
「乃々花さんがされてたの……正直羨ましかったし。それに焼肉っていつでもいけるじゃん。お兄さんも好きなわけで」
「た、確かに……」
納得させられてはダメな箇所。本来なら『おねだり権を使わせるように』立ち回らなければいけなかったが、人の良さ……その弱点を突かれてしまう修斗である。
「だから、おんぶでいい。……周りに見られるの恥ずかしいから、日が沈んだ時にして」
「は、はい」
夕日のせいもある。朱色に染まっている顔で強く出られ、頷いてしまう修斗である。
「じ、じゃあまず……頭、撫でてよ。……ん」
そして、小動物のように頭を突き出してくる律華。
「えっと、せっかくの髪型が崩れちゃうけどいいの?」
「もうお兄さんしか見ないし、いい。ほら、早くしてよ。恥ずいんだから……」
「いきなりのことだから俺も恥ずかしいんだけど……」
「ウブじゃん、お兄さんこそ」
「律華さんほどじゃないです」
攻撃するようにガシッと彼女の頭を掴むが……乱暴にするのはここまでである。
すぐに手の力を緩め、要求通りに頭を撫でる修斗だった。
それから日が沈んだ一時間後のこと。
「次こっちこっち!」
「ちょ、こっち足場悪いじゃん」
「ふふっ、いいのいいの! ほら、頑張って」
「待って待って! 背中で跳ねないでって!」
このように楽しそうな声が海に響いていたのだった。
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