第28話 偶然と対抗心

「タ、タクシーなかなか捕まらないな……」

『すうすう』と寝息を立てている乃々花を背負って居酒屋を抜けた修斗だが、こうした時に限ってタクシーが見つからない。そんな運のない状況に見舞われていた。


「こんなことならタクシーを呼んでおくんだった……。今日は反省ばかりだなぁ……」

 目論見が外れたことで後悔するが、もう遅い。

 今から電話で呼んだとしても15分ほどかかってしまう。確実性を取るなら呼び出しではあるが、15分もあればタクシーが通る可能性の方が高いのだ。


「と、とりあえず場所だけ変えよう……。さすがに目立ちすぎてるし」

 状況が状況だとはいえ、成人男性が成人女性をおんぶしているのだ。

 夜も遅い時間であるために通行客が多いわけではないが、視線を集めてしまう。

 場所を変える目的もあり、歩きながらタクシーを探すことにする。

 そんな矢先、予想もしてないことが起こるのだ。


『——だから今日は遅くなるって言ったじゃん。ちゃんと連絡したよ? 私』

 バッチのついたマリンキャップに黒のマスク。白のパーカーにベージュのスカート。スニーカーに背負いバッグを合わせたスタイルのいい女子が、電話をしながらこちらに歩いてきていた。


『だからカラオケにいくって連絡したよ。今? 今は帰ってるところ。一人じゃ何時間も歌えないし』

 透き通るような綺麗な声で電話している女子を見る修斗は……体の向きを変えて顔を隠す。

 耳にスマホを当て、話し中のマスク女子に見覚えがあったのだ。声に聞き覚えがあったのだ。


『うんうん。えー。帰りにアイス? ハーゲンダッツって贅沢しすぎ。……もー、わかった。それじゃあコンビニに寄るね。はーい。それじゃあね』

 どんなタイミングだろうか、すれ違う前に電話が終わる。


「……ふう、終わった終わった。電話が」

 そしてスマホをポケットに入れた彼女は、パタリと修斗の前で止まった。

 そのまま当たり前に声をかけてきたのだ。


「で、お兄さんはこんなところでなにしてんの? 一応私も驚いてるからね? めっちゃ偶然会うし、誘拐中の現場に出くわすし」

「あ、あの……どなたかと勘違いされていませんか?」

「え? 知らんぷりするってことは本気で誘拐中? 警察に通報しちゃうよ?」

「ご、ごめん……」

 これを言われたらもう折れるしかない。

 正体を明かすように正面を向く修斗は、一日一回はメールのやり取りをしている相手。

 黒髪のインナーをピンクに染めた特徴的な髪色を持つモデル、律華と顔を合わせる。


「それにしても、どうして律華さんがこんなところに?」

「ジムにいって、カラオケいって、その帰り。いつも通り暇だったからさ」

「そ、そっか」

「じゃあ今度が私の番ね。聞きたいことでいっぱいだけど……」

 赤色の目を半分細め、ここでおんぶされている乃々花に視線を向ける律華である。


「……まあ、とりあえず私も一緒に探すよ? タクシー。一人じゃ心細かったり恥ずかしかったりするでしょ? その状態だと」

「いいの?」

「その方がお兄さんと話もしやすいしね。ま、女性をおんぶしてる男と、その隣を歩くJKって構図で『なんだあの人ら』みたいな注目をされると思うけどさ」

「そ、それは確かに。でもありがたいよ。心細くなくなるから」

 客観的な意見を言う律華の気遣いを素直に受ければ……途端に声のトーンを変え、肩に触れてくる。


「で、どしたの? そのお姉さん。めっちゃ美人さんだけど。おっぱいもおっきいし」

「ちょ……」

「お酒でこうなっちゃったの?」

「う、うん……」

「まさかお兄さんが無理やり飲ませたとか言わないよね? このままホテルに連れていこうとしてたり」

 邪推される。視線を冷たくされるが、そう思われても仕方がない。

『どなたかと勘違いされていませんか?』なんて一時いちじは振り切ろうとしたのだから。


「据え膳食わぬは男の恥とか言うじゃん」

「ち、違うって。これから自宅まで送り届けるところだよ。この状態だと一人で返すのも不安だし」

「それならいいけどさ」

 少し口を尖らせ、ツンとして返される。


「それにしてもさすがはお兄さんだね。こんな美人なお姉さんとお酒を飲む仲だなんて。この寝顔だけで惚れる男いるでしょ、絶対」

「あ、あはは……」

 律華の言っていることもあながち間違ってはいないだろう。これには苦笑いを浮かべるしかない。


「ちなみに飲み仲間? それとも合コンで知り合った人……とか?」

「えっと、前に話したことのある女性だよ。シャルティエの美容師さんで、律華さんのお姉さんの担当をされてる乃々花さん」

「へっ!? じ、じゃあこの美人さんがお兄さんのことをめっちゃ褒めるって人なの!?」

「ま、まあ……いい風には思ってもらえてるかな。今日はお祝いをしてもらったくらいで」

 そういえばそんなことを教えてくれたな……。なんて思い出せば、少し体が熱くなってくる。

 アルコールを含んでいることで、いつも以上に気恥ずかしくなってしまう。


「つまり、お祝いする側のお姉さんが酔って寝ちゃったんだ?」

「そ、そうなるね。お酒弱いのに『飲み足りないだろうから』って付き合ってくれて。優しさが仇になっちゃったみたいな」

「お兄さんの性格的にちゃんと止めるような気がするんだけど、先輩が無理やり飲ませちゃった感じ?」

「ううん、お酒が弱いことを知らなくて……さ。酔っちゃったら眠くなるタイプってことも知らなくて」

 最初に確認しておくべきことをしてなかった。口に出せばまた情けなさが出てくる。


「も、もしかして二人でお酒飲んでたの?」

「うん。近くにある居酒屋で」

「ふーーん」

 なぜか不満そうな顔でベシッと肩を叩かれる。だが、律華らしさが出ていた。

 乃々花を起こさないように優しく加減をしてくれた。


「な、なんで肩パン?」

「……ズルかったから。わたしまだお酒飲めないし」

「お酒飲めるようになってもいいことがあるわけじゃないよ? 気をつけないといけないことが増えるって言ってもいいくらいだし」

「一番はお兄さんと二人で出かけてるのがズルい。同じ職場で働いてるのに……」

「そ、そう言われてもなぁ。次の休みの日、一緒に遊ぶ予定作ってるじゃん?」

「なんか構ってもらえる人を取られた感じなんだしー」

 ムッとした顔で修斗を見る律華は、そのまま視線を動かし、無防備な寝顔を作っている乃々花に敵意を飛ばしていた。


「ま、ぐちぐち言っちゃったけど今日お兄さんに会えてよかったよ」

「顔を合わせられたから?」

「それもあるけど、お兄さんにもっと甘えていいんだってわかったから。次遊ぶ時はこのくらい甘えちゃおってね」

 ニヤリと口角を上げたかと思えば、『覚悟しろ?』と追い討ちをかけてきた。


「えっと、さすがにおんぶはしないよ? 頑張るって決めたモデル業に影響が出るかもだし」

「おんぶは要求しないって。……恥ずいし」

 小声での本音。


「さすがはウブさんで」

「ウブじゃないしっ!!」

「ははっ、でも律華さんと遊ぶの楽しみにしてるからね、自分。メールじゃ『休みたい』とか送っちゃったけど」

「嘘だったら怒るよ?」

「本気だから大丈夫」

「ふーん。ならそういうことにしてあげる」

 語尾が上げる律華。ふとその横顔を見ると、嬉しそうな表情を作っていた。にまにましていた。

 そんな彼女を見て嬉しさを覚えた時、律華は『あっ』と声を出した。


「タクシー発見!」

「お、本当だ」

 ゆっくりとしたスピードでこちらに向かってくる。律華は車道に近づき、いち早く手を上げた。


「じゃ、とりあえずここでお別れだね」

「律華さんは……」

「さすがに誘われても乗らないよ? 美人なお姉さんが起きたら困惑するでしょ? 絶対。『誰この女の子』って」

「そ、そうだけど……大人としてこれはなぁ」

 夜遅い時間に、年下の律華を一人置いていくということなのだ。

 どうしても気後れしてしまう。


「そんなこと思う必要ないって。元々、運動とかリフレッシュ目的で歩いて帰ろうとしてたしさ」

「そ、そう? なんかごめんね」

「次の遊びデートの時、おねだり権をくれたら律華ちゃんは喜ぶよ?」

 その要求がされた最中、タクシーが止まった。


「あはは、わかったよ。それじゃあ気をつけて帰ってね。ちゃんと帰れたら連絡してくれる?」

「はーい。って過保護すぎだって。ほら、早くタクシー乗って乗って」

「う、うん」

 迷惑にならないように促した律華は、タクシーが発進するまで見送るのだった。



 ——そうして、一人なった律華は帽子を深く被り直し、大きなため息を吐いていた。



「はあ。乃々花さんって人……美人すぎだって」

 お世辞抜きの評価。

「くっそー……。幸せそうな寝顔しちゃって……。もうめっちゃ甘えてやるんだから」

 さらには対抗心を燃やす彼女だった。

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