伊藤 英二(52歳・ラジオパーソナリティ)

「それでは皆さま、また来週!」

 俺はマイクに向かって元気に手を振った。

 笑顔で手を振ったところで、リスナーには見えていないのを知っている。そんなものは百も承知だ。

 しかし、この空間には、向かい側に座るもう一人のラジオMCと分厚いペアガラス越しに多くの関係者がいるのだ。

 声だけ明るくて表情が死んでいる人間など、恐ろしくて近付きたくないと思うのが一般論だろうから、こうして笑うのだ。例えリスナーに見えていようが無かろうが。

「お疲れ様でした」

 向かいの彼女がにっこりと笑いながら、軽く頭を下げてブースから出ていった。俺も笑顔でお疲れ様です、と返す。

 入れ違いで、ディレクターが渋い顔をしながら入ってきた。

「どうでした? 例の聴取率ちょうしゅりつの件」

 俺が訊ねると、ディレクターはわずかに首を横に振っただけで、黙って俺の隣に座った。

 それが答えだった。

 ここ数年、ラジオの聴取率は目に見えて減少している。

 これは、SNSの普及によって、今までには無かった多種多様なメディア媒体が次々と生まれ出てきたのが大きな要因だった。

 俺がこのラジオ局に入社した頃のメディアと言えば、テレビかラジオか情報誌ぐらいだった。

 しかし、今はどうだ。多様な動画サイトや音楽配信アプリ、いち早く世間のニュースが見られるアプリだってある。

 そればかりか、あのテレビでさえ、月額いくらか払えば好きな時間に好きな番組を見られるようになった。

 これら全ての時間軸は、おおよそ視聴者の手の内にあるのだ。

 決まった時間にしか放送されないような俺たちのラジオ番組は、徐々に世間から受け入れられなくなりつつあった。

 つまり、よく言えば、時間に縛られることのない時代になったのだ。

 昔みたいに、今日は〇曜日だからあの番組だ! 〇時までに宿題を済ませなきゃとか、早くお風呂に入らなきゃとか……そんな時代はもうこないのだろう。

 テレビやラジオの前で正座をしながら、目を輝かせてワクワクしていた時代はもうこない。

 CMが流れる度に悪態をつきながらも、次はどんな事が起こるのだろうと自分なりに想像していた時代ももうこない。

 今は待たなくてもすぐに見られるし、金さえ払えばCMにイライラする事もないのだから。

 そればかりか、動画を早送りして重要な部分だけを視聴出来る機能だってある。

 だからだろうか、最近は我慢や待つという事が出来なくなってしまった人が多いような気がする――勿論、俺もしかりだが。

 それに、これは何もこの業界に限った話ではない。

 今や、音楽は開始3秒でどれだけ聴き手の心を掴むかで決まると言われているし、小説はテンポよく早めに1つ目の山場を出して、読者を飽きさせないようにしなければいけないと言われている。

 もう、長めのイントロも、雰囲気作りの為のゆっくりとした文章も、必要とされていないらしい。

 これを聞いて、何だかな……と寂しい気持ちになるのは、俺が年を取ってしまったからだろうか、俺が時代に順応出来ていないからなのだろうか。

――こうして俺はどんどん世間とズレていくのだろうか。

 そう思いながら、俺はため息をくディレクターと共にブースを後にした。


 この日は仕事帰りに友人と合流して、安い居酒屋に入った。

 ガヤガヤと賑わう店内は人がぎゅうぎゅうに詰まっており、騒がしかった。

 通された席について、ちらっと隣を横目で見ると、華やかな女性が4人座っていた。こっちはくたびれたおじさんが2人……天と地ほどの差を感じる。

 注文した瓶ビールとグラスがテーブルに置かれると、友人はさっと瓶ビールを持って、顎で俺のグラスを指した。

 友人は俺のグラスにビールを注ぎながら、目も合わせずにさらりと言った。

「まだラジオにこだわっているのか?」

 グラスを持つ手がピクリと揺れる。

 俺はポカンと口を開けて、友人がビールを注いでいる姿を眺めた。

 友人が言う「まだ」とはどういう意味なのか、一瞬理解できなかったのだ。

 まだ……まだとは何だ。俺は無性に腹が立った。お前に何が分かる! そう言って怒鳴ってやりたかったが、俺はしなかった。

――分かっている。

 認めたくなくて、必死に目を背けていたモノが、あちらから「目を大きく開けてよく御覧なさい」と目の前にやってきたのだ。

 俺は苦笑交じりに言った。

「まあ、こんな時代だからと言うのは簡単な事だが、俺はやっていて楽しいから続けてる」

 なんて、強がりに聞こえただろうか。

 このままこうして、時代にあらがい続けたところで明るい未来が待っているかどうかは、俺には分からない。

 けれども、どうしても捨てきれないのだ。いくら流行と違えど、いくら聴取率が下がっていようとも、俺はすがっていたかった。

 いっそ流されてしまえば、幾らかは楽になるのだろうかと考える事もあるが、そのたびに簡単に揺らいでしまう己の意思の弱さに嫌気がさすのだ。

 ちゃんとリスナーはいる。俺たちが作ったモノを受け取ってくれる人は必ずいるのだ。

 そうでなければ、リスナーからの便りなんて来ないのだから。

 嘘でもいい、社交辞令でもいい「いつも楽しく聞いています」その一言で俺たちは救われるのだ。

「けど、あのテレビですら低迷してるんだから、ラジオは今後ますますきつくないか?」

 それは随分と他人事のようにあっけらかんとした声色だった。

 どうやら友人は引き下がらないらしい。

「まあな……」

 俺は再び苦笑して、言葉をにごしながらビールを飲んだ。

 悔しかった。ここで強く反論できない自分にも腹が立つ。

 じゃあどうすればいいと言うのだろうか、何を俺の口から聞きたいのだ。ラジオの仕事を辞めて、昨今人気のYouTuberになるよ、とでも言えば満足するのだろうか?

 勘弁してくれ、それになんの魅力があると言うのだ。俺はコレが好きなんだ。それだけではダメなのだろうか。

「まあ、すぐに無くなるってわけじゃない。もう俺もいい年だ、定年までしぶとく生き残るよ」

 これが精一杯だった。

 友人は、そうか、と興味なさそうに相槌を打ちながら、美味うまそうに注文した焼き鳥を頬張っている。

 俺は何かから目を背けるように、さっと視線を宙に漂わせた。

 その時ふと、隣のテーブルの奥に座っている女性に目が止まった。

 何だか少し苦しそうな、必死に笑顔を作っているような、何とも言えない表情をしていたからだ。

 次の瞬間、彼女は何かを吹っ切ったように「今日は飲むぞ!」と言ってビールジョッキを持ち上げた。

……俺も今、あんな顔をしているのだろうか。

 はたから見たら、自分の本音を隠しながら笑っているように見えるのだろうか。

 いや、他人の目などどうでもいいか。

 そうだ、他人など、時代など、どうでもいいではないか。ごちゃごちゃと理由をつけてコソコソしているよりも、堂々としていればいい。

 例えそれが、この時代では少数派な人間だとしても。流行りや大多数に押しつぶされ、淘汰とうたされていく側の人間だとしても。

 そうやって急激に変わっていく時代の片隅で、俺は明日もマイクに向かって笑顔で手を振るのだ。

 俺はそう自分に言い聞かせて、ぐっと大量のビールを喉に流し込んだ。

……おかしいな、今日はやけに喉が渇く。

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