第8話 欠陥 Defected

 一か月後、試験飛行の全日程を終えたビアンカは、自室のベッドに腹ばいになって、MX25-Rのテスト飛行評価報告書の下書き用にメモをまとめていた。


 耳に装着したホログラスを展開して、ベッドを仮想キーボードにホログラスに映る仮想モニターに文字を入力してゆく。これなら、仰向けでもうつ伏せでも、自由に姿勢を変えながら作業を続けられる。リラックスしてインプットできるのが、せめてもの救いだ。と言うのも、ビアンカは根っからの書類仕事嫌いだからだ。


「メモを元に下書きを書いたら、エンジニアに渡して、その後で技術評価報告書と照らし合わせて・・・あ~あ、面倒くさいったらないッ!」


 試験機で過酷なアクロバット飛行するよりよほど堪えるわ・・・と内心で愚痴をこぼしていた。国防総省の極秘情報に該当するレポート書きとあって、基地の図書館を使うわけにはいかないのだが、自室にこもって長ったらしいレポートを書くのは、活動的なビアンカの性に合わない。


「えーっと、最大の問題は、速度を重視した軽量化で三角翼後部の強度が不足している点である。超音速で急制動をかけるとフラップを損傷する恐れがある・・・これが第一ね」


 どうにも気分が乗らず、無意識にブツブツ独り言を口にしていた。この数年、心に秘めた痛切な孤独感が、こうして独り閉じこもっていると、無意識の檻を破って顕在意識に噴き出して来るのである。


「機体のバランス設計は極めて良好である。翼を折り畳む仕様に変更した場合、強度を上げるため機体重量は増すが、三角翼の空気抵抗とのオフセット次第で、現在と同様マッハ5で安定飛行できると総合的に判断した」


「本機は、マッハ6の壁を破る可能性を秘めた試験機である。三角翼の設計に大幅な見直しが必要になるが、ぜひとも実現してほしい。っと。これでいいわ」


「それにこれもね。カメレオン迷彩は、ホークアイカメラの映像ロックオンを阻止できないと再確認した。しかしながら、映像プローブの探知を推定約十二秒遅らせることは可能と思われる。詳細な検証を望む、っと」

 

 続けてメモを書こうとしたビアンカだったが、いったんホログラムキーボードを打つ手を休めた。


「万一、メトカーフ大佐に知れたらまずいことになるわ・・・でも、大丈夫か?国防省に戻ってもう一ヵ月だもの。マーカスは戦闘機の専門家でも元パイロットでもない。わざわざ試験機の評価レポートなんか見ないわよね!」


 試験機評価報告書では、今回のテロ事件阻止の顛末に一切触れていない。あの同時テロ事件解決の経緯は、最高機密として政府と軍と諜報機関の上層部以外には報告されなかったし、関係者には厳しい緘口令が敷かれていた。


「イーグルアイカメラの不具合と、テロ事件を結びつけることができるのは、メトカーフ大佐だけだし、カメラの欠陥が原因で、この後、味方に犠牲者が出るリスクは絶対に避けなければ!」


 ビアンカは心を決めて、メモに書き加えた。


「イーグルアイカメラは超音速飛行時に、映像ロックオンが安定機能しないと判明した。ドップラー効果補正ソフトの不具合も疑われる。模擬ミサイルの迎撃実験を繰り返して再現性を確認した。添付データを参照されたし。実戦で使用するには、ソフトウェアのバグ修正も必須である・・・これでいいわ!」


 メモを書き終えたビアンカはふと手を休めた。

 

「確かに、メトカーフ大佐の戦術は優れていた」

と思う。SSR-1を通信妨害装置の範囲内におびき寄せさえすれば、瞬時にハッキングを解除できる。


 でも、その前に空対空ミサイルを迎撃できなかった場合、作戦は失敗する・・・


 あの日、無人機迎撃命令を受けたビアンカは、メトカーフがイーグルアイカメラの不具合をまだ知らないと気づいた。しかし、黙って出撃した。時間もなく他に打つ手がなかったのだ。

 カメラのテストを始めたのは、テロ事件のわずか二日前だった。ロックオンが安定しないと気づいたが、検証する前に事件は起きた。再現性を確認していないため、事実を知っているのはビアンカとチーフ・メカニックだけだったのである。


 だが、ビアンカは作戦報告書に、イーグルアイカメラの映像ロックオンを使ってミサイルを迎撃したと書いて、司令部にもパイロット仲間にも、副司令官の計画通りことが運んだと説明してきた。


 仮にレーダーロックオンできる距離まで接近できたとしても、あの無人機はミサイルより遥かに速いから攻撃は不可能だ。精度で劣る映像ロックオンでは、なおのこと無力だった。無人機を直接迎撃する術は、最初からなかったのである。

 しかも、無人機が搭載するミサイルにはステルス装甲が施されているため、ミサイルを迎撃するにも、レーダーロックオンはやはり選択肢になかった。


 メトカーフはハッカー集団への挑発、イーグルアイカメラによる敵ミサイル迎撃、通信妨害装置とカメレオン迷彩の使用、そしてブラックボックス回収を指示した。しかし、突発した緊急事態を前に詳細な作戦を立てる時間はなく、具体的な作戦行動についてはビアンカの裁量に任せたのだった。


 だが、メトカーフは最高速機の試験パイロットという理由だけで、スワン少尉を抜擢した訳ではない。トップガン候補生のうち「不測の事態への対応能力」で十点満点をマークしたパイロットは、彼女をおいて他にいなかったからである。


 偵察機仕様で軽量化を施したMX25-Rには、背後に回った敵のミサイル攻撃をかわす有効な武器は一つしかない。成功事例がほとんどないが、空対空ミサイルを空対空ミサイルで迎撃するのである。それには、開発されたばかりのイーグルアイカメラの映像ロックオンを使うしか手がなかった。

 

「あの日、映像ロックオンは機能しなかった・・・」


 思いを巡らせたビアンカはふと目を上げた。開いた窓からのぞくオアシスの豊かな緑と、澄み切った黄昏たそがれの空をぼんやり見つめる。不意に苦悩の表情を浮かべて、震える唇を噛みしめた。ハシバミ色の瞳から涙があふれ出す。


「本当のことを言えないのが辛い。アキラにも言えない・・・こんなふうに正体を隠して孤独に耐える生活が、いつまで続くの?」


 二、三度喘ぐように大きく息をして、泣き出しそうになるのをじっと堪えた。いくらか気持ちが静まると、そっと自分に言い聞かせて涙をぬぐった。


「そうね。シティに行くまでは持ちこたえなきゃね。後は大統領執務室に入りさえすれば・・・」


 感情に流されず目的本位に行動するのよ!と自分を励ました。


「それに・・・」


 はるか遠い昔の愛しい面影が脳裏に鮮明によみがえった・・・ビアンカはふぅーッと深くため息をついて、目をしばたいてふと温かい微笑みを浮かべた。


「・・・シティにいる彼が覚醒したら、また会えるんだもの!」


 暮れなずむ砂漠を渡る心地よい風が開け放した窓から吹きこんで、ビアンカの日焼けした頬を優しくなぶり、涙の跡をきれいに消し去った。



 偵察機に搭載可能な妨害電磁波発生装置は小型で持続時間が短い。そのため、ミサイルを引きつけ、イーグルアイカメラの映像ロックオンで迎撃、爆発に紛れて離脱直後に起動する。それが、メトカーフがスワンに指示した作戦だった。


 ミサイル迎撃の二分の一秒前。試験基地司令部の人工知能は、スワン機の通信妨害装置のわずかに早過ぎた起動を、通信欠損探知装置の誤差の範囲内と判断した。


 しかし、通信妨害波はスワン機から自動送信していた機体の速度・姿勢・位置情報をすべてシャットアウトしたため、基地司令部にはその後のデータは届かなかった。


 しかも、偵察機のAIがミサイル爆破の衝撃で損傷したため、機体の操作情報も含めミサイル迎撃の経緯を記録したデータは一切残っていない。そのため、ミサイル迎撃前後のブラックスワン機の飛行記録とスワン少尉の操縦記録は、作戦報告書に「データ欠測」と記載された。


 メトカーフ大佐とミヤザキ大尉とスワン少尉、それぞれが提出した報告書にも口頭での任務報告にも、矛盾する内容は見当たらなかった。



 それからほどなくしてスワン少尉は試験基地を去り、アメリカ中央軍の旗艦空母USSリチャード・ローズに戻った。その後、ミッションでの殊勲が評価され中尉に昇進する。しかし、事件の機密保持のため正式の叙勲は見送られた。


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