第5話 真っ赤な外車がやって来た



 あくる日は、打って変わって寒そうな曇り空でした。

 子どもの白鳥の柔毛にこげよりもっと暗い灰色が、湖の上の空を覆っています。


 こんな日は標高の高いところでは激しい吹雪が荒れくるい、山の動物たちは岩陰や木のほこらに身を寄せ合って、じいっと寒さを凌いでいるにちがいありません。


 暗い空の色をそのまま映す湖面に浮かんだ白鳥たちも、いっせいに羽をすぼめて、「コー」とか細く鳴きもせずに、白い氷のように、ひとつところに固まっています。


 おばあさんの小さな雑貨店も、灰色の風景にすっぽり塗りこめられてしまいそう。


      *


 こんな朝も、おばあさんはいつもどおりに店を開けました。


 晴れても曇っても、雨でも雪でも、暑くても寒くても、そして、風邪を引いて熱があっても、頭やお腹が痛くても、さらには、転んで足を骨折したときでさえ、1日も欠かさずに店を開けるのが、長いあいだのおばあさんの習慣になっているのです。


 長いあいだ……って、どのくらいのこと?🍃

 おばあさん自身にも思い出すことができないほど、ずっとむかしからのことです。


 お客さんも来ないのになぜ開けるのと訊かれても、おばあさんにも分かりません。

 古い小さな雑貨店はおばあさんそのものだから……としか答えようがないのです。

 

      *


 朝ごはんのあと、湖の水鳥たちに籾殻を撒いてやっているとき。

 はるかに遠くのほうから、低いエンジン音が近づいて来ました。


 こんなに朝早く、町から車がのぼって来ることなど、めったにないことです。

 使い古しのアルミ鍋を抱えたおばあさんは、不安そうに森のほうを見ました。


 江戸時代に街道として開かれた細い道が森の真ん中を通っています。

 町から湖にやって来るには、必ずこの森を通らなければなりません。

 

 ――ブルルルルルル……。

 

 不気味なエンジン音は少しずつ大きくなって来ました。

 おばあさんの胸も、ドキンドキンと高まって行きます。


 そして、ブナの大木のかげから、スポーツタイプの真っ赤な外国の車が、荒々しい生き物のようなすがたを見せたとき、おばあさんの鼓動は最高潮に達しました。🚗


 車体が極端に低いので、地を這う大蛇のようにシュルシュルと近づいて来た車は、おばあさんの身体すれすれの位置で、キーッ! つんのめるように停止しました。

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