茜色した思い出へ

惟風

茜色した思い出へ

 おはようさん。あ、もう夕方やからおはようはおかしいな。すまんすまん。いつもは朝に来てもろてるからついつい癖で言うてもうたわ。

 急に時間変更してもらって、ごめんなあ。今日が通院の日やてすっかり忘れとって。


 うん、いつもみたいにハタキかけてからほうきいて、拭き掃除して。トイレは朝に自分でやったからもうええわ。

 内臓の方は調子ええねんけどな、血圧がやっぱちょっと高いて。塩分高いの食べてたらあきませんよー、てまた叱られてもうたわ。

 息子にも会うたんびに同じこと言われんねん。ちぃちゃい頃はこっちが怒ってばっかりやったのに、いつの間にか逆になってもうた。まあ老いては子に従え言うしな。ハイハイ、て聞いとる。その場ではな。へへへ。あの子にはナイショやで。


 こないだ大分だいぶんきっちりしてもろたし、今日は丸く掃いといてくれたらええよ。物が多くて大変やろ。わかってんのに、捨てられへん。やねん。貧乏な家で育ったせいやろなあ。

 掃除機も新しいの買わなアカンとは思ってるんやけど、としいってきたら買いに行くのも難儀なんぎでな。こんなん主人が生きてたら、はよう買いに行けえ言うて家からり出されとるわ。はは。アノ人はホンマ、私が寝込もうが血流そうが、家の中が整ってないと癇癪かんしゃく起こす人やって、苦労したなあ。


 ……ああ、今日は晴れとるから窓からの西日がすごいな。眩しいくらいや……ふふふ。

 え?……いやあ、今はアンタみたいなヘルパーさんが来てくれるから、極楽やなあ、て思ってな。感謝しとる。

 昔はなあ。カイゴホケンなんてなくてな、ジジババは家で家族が看るしかなくて大変やってん。

 ……ご近所さん同士で助け合う時もあったけどな。


 私がまだ若い時、高等学校を卒業する年の時分や。実家の近くにえの見えへんお婆ちゃんがおってな、働き盛りの息子さんと二人暮らしで。

 デイサービスとかも無かったからしんどかったやろと思う。昼間は息子さん仕事に出てたから。まあお婆ちゃんは家の中やったら見えんでもそこそこ動けたらしくて、おかげで何とかやっていけてたみたいやけど。

 それが、ある日お婆ちゃんがけたかぶつけたかして腰を痛めてしもて、動かれへんなって。息子さんが仕事休まれへんからてことで、しばらく近所で交代で世話しに行くことになったんや。

 ウチからは母親が行ってたんやけど、腹痛はらいた起こしてしもて、当番やのに行かれへん日があってな。私が代わりに行ったんよ。……、学校が休みの日やったし。

 その時はお婆ちゃんの腰も大分良うなってきてたから、昼前くらいに行ってご飯出して洗濯して軽く掃除して……今のアンタほどちゃんとはできてへんかったかもな。いつもありがとう。

 ほんで、日が暮れてきた頃かなあ。そろそろ帰りますわあって時に、そこの息子さんが帰って来はった。

 私の母親が来てると思ってたんやろねえ。私の姿見て、えらいびっくりしはってな。私もびっくりしたよ。もっと戻るの遅いと思ってたから。仕事のキリが良かったからいつもより早く上がったて言うてはったかな。

 母が体調悪くて私が代わりに、て事情話したらえらい感謝されて。

 きみとこのお母さんにはいつもお世話になってるんや、ありがとうね、家まで送っていくわ。って。

 その息子さん――思いだした、立彦たつひこさん、て名前やった――当時三十過ぎくらいやったんかな、わりと若く見えたなあ。四十代には届いてなかったと思う。

 身体の大きい人で、私はほら、背が小さいやんか。だから覗き込むみたいにして背中曲げて話しかけてきて、それがちょっと可笑おかしかったわ。ふふ。

 それで、歩いて十分もかからん距離なんやけど、連れ立って外に出てな。少し歩いた角を曲がったところで、立彦さんが空を見上げて溜息ためいきついてもうて。

 どうしたんかなって思ったら、ここから見える夕焼けは絶景なんやけど、今日は曇ってるから見えへん。残念やったなあお嬢ちゃん。折角やから見してあげたかったなあ、て、それは悲しそうにしてはった。

 確かにそこは田んぼが続く道で見晴らしが良くて、ちょうど実りの時期で、もし晴れてたら夕日で金色に照らされた稲穂いなほが綺麗やろなあ、て思った。

 それから家に着くまで何を話したかもう覚えてないんやけど、何や、立彦さんはって笑ってはったな。そんで、私もいっぱい笑った。近くに住んでる言うたかて、たまに挨拶交わすくらいしかしたことなかって、この人こんなに話さはるんやなあって意外やった。

 ああ楽しいなあ、ずっと歩いてたいなあって思ってた気がする。帰っても家の事させられるだけやったからね。こき使われてた。

 けど、それからすぐに私の父が事故で亡くなって、私が遠くの親戚の食堂で住み込みで働くことになって。

 結局、立彦さんとお話ししたんはあの時の一度きりになってもうたなあ。

 働き出した食堂で主人と出会ってな。顔は良くて外面そとづらのええ人やったから……あっという間に所帯持つことになったわ。すぐに子供も産まれて、主人は仕事が続かんで私の方が必死に働いて。

 長いこと経ってから立彦さんの家を訪ねてみた時には、あのお婆ちゃんもとっくに亡くなってて家のあった土地自体が更地になってた。立彦さんのその後はわからずじまいやね。


 今日みたいに天気の良い日の夕方は、あの日を思い出すねんな。ほんまはどんより曇ってた時のことやのに、おかしな話やけど。

 一緒に夕焼けを見てみたかったなあ、て。

 他にどうしたいとかはなくてな。

 ただ、どんな心持こころもちになったかなあ、て考えるだけや。

 生きていく中で、辛い時に、ほんの少しのしたモノを取り出してやり過ごしてたな。それももう終わりに近づいてる。


 何や、途中から変な話になってしもたな。話し込んでしもて。すまんすまん。

 オババの長話ながばなしにも付き合わなあかんねんから、エラい仕事やね。ありがとうさん。来週はいつも通り、午前でお願いします。





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