21 広がる溝。そして疑惑。

「由香ちゃんは、本当に何もやってないの?」


「……私は……やって、ない」


 震えた声。

 やっとと言った様子で言葉をつむいだ。


「でもそれって本当かな。由香ちゃんがもし姫木の教科書を破っていたとしても、同じ返答をするんじゃないかな」


 またしても光輝が口を挟む。

 認めてやらない、そんな悪意のある雰囲気まで感じられた。


「私は……」


「お気に入りの本を破られたら、そりゃ怒るよね。仕方ないと思うんだ」


 そう言って明るい笑顔を光輝は浮かべる。

 人生ゲームで遊んでいた時とはまた違う。

 本当の意味で笑うのではなく、表面上だけで『笑い』という表情を、まるで何かの型にめて作ったような。


 端的に言えば、


 その表情の違いに、沙恵や由香は気づいているのだろうか。あるいは姫木は。これが兄の本質なのか。

 全く心の内側が見えないは、とても不気味なものであった。


 きっと、何かがある。

 『笑い』を含まない『笑み』。その先には何かしらの思いがあるはずだ。


 ……だかまぁそれが何であれ、光輝の言動には納得がいかない。

 由香が嘘をついている、そう決めつけて仲直りをさせるのが良い事とは思わない。

 そんな事では、二人の間で失われた信頼は一切取り戻せない。


 だから、言った。


「由香はやり返してないと思う」


「なんでそう思うの?」


 光輝は気持ち悪いほどに爽やかな笑みを浮かべて問いかけてくる。

 だから俺は答える。

 たとえそれが合理性に欠けていたとしても、人との繋がりではそれ以上の何かがあると知っているから。


 微笑ほほえむ光輝を正面から見据えて、俺は力強く言い放った。



 言った瞬間、鼻で笑う声が聞こえた。

 陰と陽で言えば、すなわち陽に属する者から。


「何の根拠があってそんな事が言えるの?」


「根拠なんて必要ねぇよ。そんなものが無いと信じられないほど、『二人の関係』は落ちぶれていない!!」


「根拠なんて必要ない……? よくそんな事が言えるね。カッコつけてるけど何も考えてないだけじゃないか」


「確かに何も分かんねえよ。理由を順序だてて説明出来るほどの交友経験も積んでねぇよ。だけどそんな説明なんてはなから要らねえんだよ」


 そこで光輝はおもむろに立ち上がった。

 会話は途切れる。

 俺の言った言葉に返答はない。


 ……いや、ただこれだけ返ってきた。


「分かった分かった。君とは話が通じないみたいだから、僕はもう失礼するよ。姫木と由香ちゃんの問題は……君の言う『二人の関係』に任せてみるよ」


 パタン、と軽い音を立ててドアが閉まった。

 俺の言葉など聞くこともせずに、言うだけ言って嵐のように去っていった。

 ……一応、これで二人が邪魔されずに話し合える環境が整ったようだ。

 俺と光輝の間にできたみぞは凄そうだが……。


「姫木、ごめんな。お兄ちゃんに結構言っちゃったけど」


「全然大丈夫なの。家に帰ったら私が慰めてあげるから」


 なら大丈夫そうだ。

 なんなら俺も慰めてもらいたい。

 人と言い合いをするというのは経験が無さすぎて未知の領域すぎたからな……。


「で、実際のところ由香はどうなんだ?」


 俺は慰められたい願望を頭に浮かべながらも本題に入る。デキる男だ。


「だから、私はやってない」


「信じるぞ」


「私も、由香ちゃんのこと信じるの。疑っちゃってごめん」


 姫木は由香にとっての数少ない友達だから、やり返しなんてする訳が無い。

 今思えば、光輝の言動に惑わされてしまっていたのかもしれない。元はと言えばありえない事なのだ。

 由香はそんなことをする人ではない。

 信じるどうこうではなく、もう確定しているようなものだ。

 それは少し付き合っていれば分かることである。


 と、一件落着のように見えたのだが、由香が姫木に対して何もやっていないとなれば、また新たな問題が生まれてくる。


 姫木は顔をパッとあげた。

 どうやらその問題に気づいたらしい。

 そして不安で青ざめたような顔でゆっくりと呟いた。


「――誰が私の教科書を破いたの?」



「実は、目星はついてる」

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