11 こんなラッキースケベ望んでない!

 やがてインターホンから凍った声が聞こえてきた。


「あなた達、何しに来たんですか」


 刺すように冷たく放たれた言葉に、紗恵は思わず後ろに一歩下がってしまう。

 とても威圧的な声色だ。無理もない。


 そんな紗恵の姿を見て、俺から口を開こうとした瞬間に、紗恵はそれを手で制した。そんなことはするな、と。


 紗恵は本気で仲直りがしたいと思っている。それは一目見て分かった。


 紗恵はインターホンに向かって言った。

 震えながらも、最後まで。


「私、由香ちゃんと話がしたいの……。なんで怒っちゃったのか、私は何をしちゃったのか」


「……」


 沈黙があった。


 ただ俺達は由香の返答を待つしかなく、ひたすらにインターホンを見守る。


 ため息が聞こえた……乾いたため息が。


 やがて正面にそびえる家のドアが、ガチャりと音をたてて、ゆっくりと開く。


 由香がいた。


 俺達に怒りの眼差しを向けて、そこに立っている。


 ……俺は驚いた。

 何故かって? その由香が真っ白なシャツに、黒いジャージのズボンだったからだ。

 俺は顔には出さないよう密かに絶望した。


 今まで抱いていた夢が一挙にして崩れ去った。


 どんな夢を抱いていたのか? 聞かないでくれ……。


 一人で絶望の淵に立っている俺を置き去りにして、由香は言った。


「…………入ってください」





 家の中は整頓されていて、とても清潔感があった。無意識に自分の家と比較してしまう。こんな家に住んでみたいなぁ、と。


 俺達は無言で歩く由香の後を追っていく。

 案内? されているのだろうか。


 階段を上りきった正面に、一つの扉があった。


「ここが私の部屋。飲み物取ってくるから中で待ってて」


 険悪な雰囲気を出しながらも、そういうところはキチンとしていることに感心した。


 俺は、由香が一階へ戻ったのを確認してバレないように紗恵へ耳打ちした。


「良い奴じゃねぇか」


「そうだよ! 由香ちゃんはとっても優しい人なんだから!」


「だったら尚更、仲直りしねぇとな」


「……うん」


 俺はドアに手をかけた。

 扉の先にはどのような花園が待ち受けているのだろうと心を踊らせながら。


 先程に夢を打ち砕かれたので、期待は禁物だが……。


 中へ入る。ひとまず衝撃を受けた。






 ……


 厳密に言えば、ベッドやテレビなどの必要最低限の家具はある。


 だがそこに彼女らしさがない。

 必要だから置く。無駄なものは一切ない。


 一人暮らしを始めたばかりの大学生の部屋のようだ。


 そこに物はある。

 だけれど、そこはからであった。


 咄嗟に紗恵の顔を見る。

 彼女も同じく俺の顔を見ていた。


 お互いに顔を見合せ、傾げた。


「何も置いてないんだな」


「……由香ちゃんはちょっと変わってるところがあるからね〜」


 フォローになっているのか、と疑問に思う。



 二人で床に座り、由香を待つ。


 言葉を交わすことはなく、静かに由香の帰りを待っていた。


 微妙に気まずい空気に負けた俺は、


「ちょっと、由香のこと手伝ってくるわ。三人分の飲み物だと大変そうだし」


 言ってからドアノブに手をかけようとしたその時、勢いよくドアが開かれる。

 目の前には、おぼんを抱えた由香が


「なっっ!?」


 由香は突然目の前に俺が現れたことに驚いたのか、体勢を崩してしまう。


 おぼんにお茶の入った三つのコップを乗せたまま、盛大に俺の方へと倒れてくる。


「ちょちょっっ!」


 ドスン、と床に叩きつけられる音が響いた。



「痛っ! ってか冷た!」


 思い切り床に叩きつけられたのだが、カーペットが敷いてあったのでそこまでダメージは大きくなかった。


 というか、お茶が全身にかかってしまい冷たさの方が勝っている。


「何やってるの!?」


 紗恵が俺に言い放った。


「ああ、心配は無用だ我が妹よ! この通り無事だ!」


 そう言って自らの体を確認しようとした時、俺は紗恵の言ったセリフの本当の意味を知る。


 目の前に、俺と一緒に倒れたはずの由香がいた。俺に覆い被さるように横たわっている。

 俺の胸の位置に頭が来るようにして。


 その瞬間、体の様々な感覚が機能を取り戻した。


 ――――甘い匂いがする……。柔らかいのが当たってる……――――


 というか流石にまずいんじゃないか!?

 妹の友達とそういうのはダメだ!!


 健全な男子高校生の裕二よ、理性を思い出すのだ!!



 ……何度も言っているが、こういう場面で抗えないのが男である。世界中の男子よ、そうだと言ってくれ。


 その体勢のまま、頭がお花畑になっていた俺だったが、頭に衝撃が走った。

 頬を強く引っぱたかれる。


 ビンタ!?


 頬がヒリヒリとする。

 やっと正気に戻った俺は急いで由香をどけてお花畑という名の泥沼から抜けだした。


「お兄ちゃん!! 何やってるの!? 妹の友達に手ぇ出すなんて最低! 人間のクズ!」


 可愛く張った声で言われた。

 普段、紗恵に罵られても何も思わないのだが、ここまで言われると流石に傷つく。

 それと同時に腹が立った。


「今のは俺のせいじゃないだろ! つまづいて転んだだけだ! 不慮の事故だよ!」


「でもお兄ちゃん、由香ちゃんと重なった時に凄く気持ちよさそうな顔してた!」


「表現を自重しろ! 言葉のチョイスがアウトなんだよ!」


 この兄にして、この妹ありだ。


「二人とも!」


 あーだこーだ言い合っていると、由香が大声で制した。


「すまん、紗恵が色々言ってくるから……」


「それはお兄ちゃんでしょ!?」


 由香がますます呆れ顔になっていくのが分かったので、急いで言い合いをやめた。


 改めて由香の方を見る。

 ……顔が赤かった。


 赤面した由香を見て、俺は自責の念に駆られる。

 ――俺はなんて愚かなことを!!――


 由香は恥ずかしそうに俺の顔を見つめながら、


「タオル……持ってきます」


「……ありがとう」


 冷たい空気はおかげで拭われたが、これはこれで気まずいものである。

 ここから大事な話をすることを考えると頭を抱えてしまう……。

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