第19話 理不尽と善人と

 一方の霧矢は自室に戻り、ベッドに横になっていた。まだ湿り気を帯びている髪が額にはりつく感触。目をつぶり、深く息を吸う。

 と、放り出されていたままのスマホが震えた。反射的に掴み取り、ロックを解除する。いつもの癖で通知画面を呼び出すと、懐かしい名前が目に飛び込んできた。

「……太一」

 半身を起こし、穴が開くほど通知を見つめる。誰にも関わってほしくなくて電源を落としていた間に、彼からは何件もメッセージが届いていたようだ。真っ直ぐな文面が彼の一生懸命な声で再生される。

『ちゃんと戻ってこいよ! また二人でバカやりてーんだ!』

『友達があんなしんどそうだったのに放っとけねえよ。オレ、お前のこと探しに行く』

『頼む! 生きてスマホ使えたら連絡くれ!!』

「……っ。あの野郎、関わんなっつったろ」

 毒づきながらも口元がほころぶのを抑えきれない。しつこいくらいに並ぶメッセージが目に焼き付いて、じわりと目頭が熱くなった気がした。

「ほんと、そういうとこだよ……」

 呆れたように微笑み、彼はスマホのキーパッドに指を置く。どう打とうかと考えながら最初の一文字を入力し……ようとして、突然画面を砂嵐が覆った。

「……っ!?」

 慌てて画面をいじくってみるが、どこをタップしようがスワイプしようが全く反応しない。指にじわりと汗が浮かぶ。いっそのこと電源ボタンを長押ししても、画面を支配する砂嵐は消える気配はない。

「……どうなってんだよ、これ」

 呆然と目を見開いたまま、どうすることもできずにただ画面を見つめていた。


◇◇◇


「……はー。まさかそこまで善人だなんて聞いてないっスよ……」

 赤縁の眼鏡をかけ直し、褪せた橙の髪をした少女が肩をすくめた。カーテンが閉めきられて薄暗い部屋をディスプレイの青白い光が不健康に照らし出す。複雑なコードが打ち込まれた画面は対象端末のハッキングが成功したと示していた。今頃、新入社員の少年は慌てふためいていることだろう。正直どうでもいい。

 少女は大きく伸びをして、そのままゲームソフトや服、クレーンゲームの景品と思しきぬいぐるみなどが散乱する床に倒れこんだ。後頭部の下に挟まった靴下を引きずり出し、適当に放り投げる。

「今連絡とられたら困るっつーか、社長の計画がご破算になっちまうじゃないっスか。つーか千草サンももっと与しやすいヤツ選べばよかったっしょ……でも聞く限りの性格じゃ生半可なヤツには心開かなさそうだしなぁ……はー、ほんとめんどくさ。滅べばいいのに……」

 ぼやきながらも起き上がり、ブロック菓子の箱を引き寄せる雛乃。ノートパソコンの画面をちらちら確認しながら封を開け、固い菓子を齧る。

「ってか、よくよく考えたら明後日ウチと紅羽サンとアイツで出撃するんじゃないっスか。あークソ、社長もウチが人嫌いなの知ってんならもうちょい手加減しろし。不安と不眠と不信のデスマッチって感じっス……って、ウチ何言ってんだろ」

 ……などとぼやいても未来が変わったりはしない。そんなことは痛いほどわかっている。深々と溜め息をつき、白米をかき込んでいく。


 ◇◇◇


「……捜査打ち切り!? どういうことだよッ!!」

 音を立ててテーブルを叩き、太一は目の前で腕を組む警察官に詰め寄った。横で霧矢の母が口元に手を当て、目を伏せる。精悍そうな顔つきをした若い警察官は困り果てたように頭を搔き、眉間に深いしわを刻んだ。

「太一くん、一回落ち着きなさい」

「落ち着いてられっか! むしろなんでそんな冷静なんだよアンタは!!」

 霧矢の父の腕を振り払い、太一はさらに警察官に詰め寄った。首を重く横に振り、霧矢の父も重い声を絞り出す。

「……だが、取り乱しても何も進まないだろう」

「それは……そうだけどさ……!」

「とにかく座りなさい。そして深呼吸しなさい」

「…………わかったよ」

 不承不承椅子に腰を下ろし、太一は机に肘をついて頭を抱えた。苛立ちと苦悩が複雑に混ざり合ったような溜息を深々と吐き出す。霧矢の母が蒼い顔をしたまま震える声をあげた。

「……どういうこと、なんですか。霧矢の捜索が打ち切られたって……」

「……その、大変申し訳ないのですが、私も把握しきれていません。突然上から捜索打ち切りの指示が来まして……」

「はぁ……?」

「本当に突然のことで、私も混乱しています。……上からは『特異行方不明者に該当しなくなった』としか説明がなく……それ以上は聞いても回答がありませんでした。お力になれず、本当に申し訳ございません……」

 苦虫を嚙み潰したような表情の警察官が深々と頭を下げる。……当初、霧矢は失踪中に他人を傷つけるおそれがあるとみなされ、優先して捜索に乗り出す特異行方不明者として扱われていた。だが、それに該当しなくなったということは……。

「……要するにもう、霧矢のことは探さないってこと、ですか?」

「はい。……本当に申し訳ございません」

「……ッ」

 膝の上で握りしめた拳が震える。最後に見た彼の表情を思い出す。苦しそうで泣きそうでそれでも誰にも縋れないような、土砂降りの夜のような色をした瞳を。……彼は今、どこで何をしているんだ。今もどこかで苦しんでいるなら、手を差し伸べることができるのは自分だけだ。

「……わかり、ました」

 やっとのことでそれだけを絞り出し、爪が刺さるほど握りしめた拳をそっと開く。


「……あ、太一じゃん。何やってんの? てか何やらかしたの?」

 警察署の敷地を出ると、キンキンと響く高い声が耳を打った。顔を上げると同じ中学校の制服姿がふたつ。背の高い女子の横で、太眉の女子が腕を組んで太一を見つめている。

「……やらかしてねーよ。ただ霧矢の捜索のことで話があっただけ」

「……そう、なんだ」

 長身の女子が目を伏せる。まるで胸の奥の痛みをこらえるように。その様子をちらりと一瞥すると、太眉の女子は理解不能とでも言いたげに眉をひそめた。

「……あのさ、太一。あんな奴探して何しようっていうのさ」

「は……?」

「あいつ、今じゃほとんど中学校にも来ないじゃん。いなくなる前からさ。そんな奴、あたしたちからすればいてもいなくても大して変わんないし。てか、むしろいない方が楽っていうか? あんなピリピリしてる奴に居座られると教室の空気まで悪くなるもん」

「お前……ッ!」

「そりゃ、ずっとつるんでる太一にはわかんないと思うけどさ。こっちからすればあんな奴に何の価値どころか――」

「お前が決めんなよ、そんなことッ!」

 ――考える前に叫んでいた。目の前の二人がはっと目を見開く。振り上げかけた拳をゆっくりと下ろしつつ、太一は更に叫ぼうとして――と、突然ボディバッグの中から甲高い電子音が響いた。咄嗟にジッパーを開けてスマホを取り出すと、発信元は『MDC 芝村さん』と表示されている。

「わり、多分急用だ。とりあえず電話終わるまで待ってて」

「は!? おい話は」

「待って、真緒。……行こ」

「……ちっ」

 少女たちが何処かへと歩き去っていく。その背中に一瞬気を取られかけ、太一は慌ててスマホの受話器アイコンに触れた。

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メサイアの自証 東美桜 @Aspel-Girl

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