第5話

 

 佐和田怜那の母親――今村由香の歌に何度も出てくる――は、歌詞の通り、おっとりとして、上品なトーンのまま、時折あからさまな言葉を口に載せる。


 1981年、つまり去年に夫を亡くした「未亡人」である。穏和に言って、品のある美しい人だ。夏の真っ盛りに、空調を効かせ、モノトーンに統一した部屋でノリタケのボーンチャイナの白く輝く取っ手を持つ手つきは、実にしなやかで、優美ですらある。今村由香の仕草は、彼女の遺伝子をしっかりと引き継いだのだろう。


 「怜那、すっかり元気になったわ。貴方のおかげね。」


 佐和田ヨネさん……本名で呼ぶと顔がにっこりと凍り付く佐和田怜那の母親は、軽音楽部の休止にまで発展した佐和田怜那のフュージョンバンド解散時の騒動を、おっとりとした口調のまま、余すところなく語ってくれた。


 つづめてしまえば、『佐和田怜那が上手すぎた』の一言に尽きる。


 彼女はフュージョンのキーボーディストとして音楽の道に進めると思っていたらしい。公立中学の軽音楽部など、入り口としてあまり期待できない道筋と思うが、そのあたりの不器用さと視野狭窄っぷりは、実に今村由香らしい。そうであればこそ、逆に、誰もが慄く大御所にまったく動じないで距離感を詰められたのだから。


 「お母様は、怜那さんが音楽の道に進まれることに反対ではないのですか?」

 

 佐和田怜那を佐和田さん、と呼んだら、

 「あら、私も、佐和田よ?」とやられてしまったので便宜上仕方がない。

 この人はどうも何かを勘違いしている。


 「正直ね、賛成はしかねるの。

  ほら、一緒にお仕事をする方々が、

  素性の知れない、ちょっと、危ない人たちばかりでしょ?」

 

 やや傲慢な言い方である。今村由香の著作に書いてある通り、ちょっと誤解されやすい人ではある。そもそも、本人が旅行でいない時に、中学生の俺を住んでいるマンションに呼び寄せて、彼氏でもない俺がノコノコと来ると思っている時点で頭のネジがちょっとどうかしている。ただ、ぶっ飛んだ人に限って、言っていることは、あながち間違いでもないのである。

 

 「そちらの道なら、本当はね? 音大とかに進んで欲しいのだけれども、

  あの子は、ほら、才能しかない子だから。」

 

 面白い言い方だな、と思った。

 確かに今村由香は努力の方向がピンポイントだった。

 

 「それに、お父様も、怜那には甘いから、

  怜那が本当に進みたいなら、強くは反対しないわ。」

 「なるほど。」

 

 その『お父様』、つまり佐和田怜那にとっての祖父こそ、

 佐和田家の一家離散を防いでいる張本人であり、九州の某名家の総領である。

 今村由香の歌詞に、寂寥感はあれど貧しさがないのは、

 本人が貧困に陥った経験がないからである。忌まわしき最晩年以外は。

 

 「それでね? いろいろよくして貰って、勉強まで見て貰ってるのに、

  こんなことを言うのは、ちょっと、どうかとは思うのよ?

  でも、私はともかく、お父様は、

  貴方が怜那の側にいることを、歓迎はしないと思うわ。」


 「わかります。」

 

 資産家が皆、鈴木財閥の父親のようであれば、資産家は今頃存在しないだろう。

 それに、そんな大それたことは俺はまったく考えていない。

 なにしろ、俺はただの隠れファンだから。

 

 「だからね? 

  古河君さえ良ければ、是非、やってもらいたいことがあるの。」

 

 勘違いしたままのヨネさんが俺に言ったことは、どうせならと考えていた俺の人生の予定航路とそうは変わらない。俺は、勘違いさせていることを承知の上で、陶磁のように完成された美しさを持つ未亡人を見据えた。

 

 「わかりました。」


*


 1982年、8月末日。

 佐和田怜那には、友達が、いない。


 そのせいなのか、びっくりするくらい頻繁に、俺に連絡をしてくる。

 メールのない時代に、九州から絵はがきを6通も送って来る。

 この距離感の近さは本当にどうかしている。


 もっとも、そのうち4通は、

 電話での宿題の解説に対する礼であり、いたって事務的な連絡である。

 綺麗な字がびっしりと詰め込まれていて、読む限りでは、学習は相当進んでいる。

 それが嘘かどうかは分からない。まずは信じることからしか始まらない。

 

 ラジオからは、Frankie Valliを鮮やかにディスコカバーした例の曲がテンポよく流れてくる。ボリュームを少し下げて、残りの二通をゆっくり手に取って眺める。

 

 1通は、「おじいさま」に関する思春期特有の不満である。

 もう1通は、軽々に扱ってはいけない、持っていてはいけないものである。

 

 それにしても、女友達はいつできるのだろう。

 やはり、中学時代ではないのかもしれない。


*


 1982年9月1日、水曜日。

 登校した俺を、驚愕が襲った。

 

 ごく軽いソバージュを掛けた、手入れの行き届いた長髪、

 健康的に整った小顔に、好奇心旺盛な、煌めくように跳ねる瞳、

 少し長い睫と、くっきりと可憐な目元。


 俺の目の前に、少し小さくなった全盛期の今村由香がいた。

 

 「ど、どう……かなっ……」

 

 どうかな? どうかなも何もない。

 ど、どうなってる? 九州で何があったんだ……?

 

 童貞の男どもからちらっちら見られてることにまったく気づかず、

 まっすぐに、もじもじと頬を染めながら、俺を見上げている。

 

 「……はじまったね。」

 

 え? という顔。

 しまった。そりゃそうだ。わかるわけがない。

 

 「いや、似合ってる、すごく似合ってる。」

 

 もうちょっとマシな表現はないのか。

 いかん、動揺してる。年甲斐もなく動悸がめちゃくちゃに激しい。

 

 佐和田怜那は、花がほころぶようにくしゃりと笑った。

 心が弾けるような大輪の笑みだった。

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