逆行してしまった俺は、「推し」の自殺を止めたい(完結)

@Arabeske

中学生編(高校入学前まで)

第1話

 

 世はなべて、理不尽である。

 そうなのかもしれないが、まったくわけがわからない。

 

 これまでの生活情報を元に推定するならば、

 この世界は、1980年から82年程度の東京、

 あるいはだろう。


 幸いなるか、後の世のいやらしい言い方を使えば、憑依(?)した男――中学生――の家族は、いまのところ「負け組」ではないようだ。両親とも専門職としてそれなりの給与を得ており、忙しすぎるがゆえに、マンションに息子一人をほったらかしにして別々の海外暮らしときたものだ。

 なんて自由人で無責任な連中だ。児童福祉法的にやばいんじゃないのか。最も、そのほうが気楽で良い。なにしろ「親」と言われても、お互い分かりゃしないのだから。

 

 学校は都内の公立中学だが、校内暴力の嵐が吹き荒れ、多くの教員志望者の人生を狂わせた○八先生が空前のブームになっているご時世にも係わらず、大して荒れてはいないようだ。陰湿ないじめや不登校はあるのかもしれないが、ともかく、表沙汰にはなっていない。

 或いは、そういうことを意識しない程度に俺が大人に――つまり鈍感に――なっているからかもしれない。


 そう。

 俺は、「この世界の」人間ではない。


 少なくとも、俺には、十余年の寒々しい社会人(独身)生活の経験がある。中学生同士のいざこざや意地の張り合いの空しさを良く知っている。鼻毛が出たくらいで学校を休む理由はまったくないし、運動が少しできる程度の人間に敬意や嫉妬を持つ必要もない。

 

 実社会は、ある程度の安定的な金銭的収入があれば、それなりに無色透明に渡っていけるものであり、そのためには、減退してしまう運動能力や、いずれ衰えてしまう容姿なぞ、さして必要がない。

 

 それにしても。

 そんな風に割り切れる程度には世をそれなりに渡ってきて、大きな不満も持たず、さしたる後悔もせずに生きてきたはずなのに、どうして今、俺が生きていた時期より、だいぶんと前の世界に「いる」のだろうか。

 

 考えられる理由は、幾つかは、ある。

 そのうち、最も大きな理由が。

 

 (この娘、が……)

 

 安普請の背もたれの先に、丸まった背中を隠すように載せている、雑にお下げ髪を結った、クラスに1人くらいはいそうな、いたって地味な女子中学生。


 佐和田怜那。

 

 この娘が、まさか、後の『今村由香』だと、誰が思うだろう。


 と、いうほど、今村由香自身も、とてつもない著名人というわけではない。ある時期に邦楽を聴いていた人間であれば、知る人は知っている、という程度の知名度だ。

 数年間に渡って音楽シーンのシングル40位程度に食い込み、アルバムチャートでは、全盛期には国内第7位(一週だけ)まで達した程度には「成功」している。有象無象の泡沫的な連中に比べれば、少なくともマイナーシーンでは一角の存在ではあった。

 

 ただし、大ヒット曲は一曲もなく、たまに出たテレビ出演では地雷のような失敗を続け、しまいには精神を病んで寂しく音楽シーンから退場していった存在である。その後の人生は、もと一隠れファンとしては、あまり語りたくはない。


 前世(?)の俺の独断と偏見基準から言えば、今村由香は、もう少しくらいは売れても良い存在だった。少なくとも大ヒット曲の一~二曲を持っていれば、カラオケマシンから一定のギャランティ収益が発生し、「あの人は今」くらいの企画に呼んで貰えるくらいのささやかな芸能余生があったように思う。あんな男に、無残に騙される最期で終わる必要はなかったのだ。


 今村由香自殺のごく小さなニュースが飛び込んで来た時に、社食で箸を落として愕然とする程度には、俺の心の中に、彼女は、棲んでいたのだ。決して上手いとはいえない詩と、あの声を胸に、大学受験に臨む程度には。

 

 ただ、俺と今村由香は、その程度の関係である。晩年のコンサートに通ったわけでも、DVDを目を皿のようにして集めていたわけでもない。


 振り返るならば、そして、俺自身に正直に言うならば、

 俺は、アーティストとしての今村由香を「推し」ていた。


 人から見えないような伝道に過ぎない、せいぜい、各種掲示板の邦楽お勧めアーティストや、お勧め曲を教えて的な話題が出た時に、何人かの議論の余地のないメジャーな存在と共に、ひっそりと彼女の名や曲をネット上に刻むような行為が、「推し」の表現に値するかはともかく。


 少なくとも、その程度の供養をするくらいには、

 俺は、今村由香の隠れファンだった。

 彼女の音が、彼女の笑顔が、なにより、彼女の「声」が好きだった。

 透明で、澄んでいながら、丸みと温かみのある、耳に優しく落ちてくる声が。

 そのことだけは、間違いがない。


 だが、今村由香のほうは、俺のことなぞ、まったく知らなかった筈だ。

 今村由香の自殺だけで、俺がここにいる、というのは、ちょっと考えにくい。


 俺がここに「いる」ことは、「何か」が、あるはずだ。

 だが、その「何か」は、今のところ、まったく分からない。


*


 「俺」のことは、いったん、しまっておこう。


 佐和田怜那が、後の今村由香かもしれないと俺が気づくには、俺がこの世界で意識を持ってから、少なくとも一年半が経過している。

 気づいたのは、いくつかの偶然の積み重ねだった。


 一つは、文化祭である。

 佐和田怜那は、素人フュージョンバンドのキーボードとして、地味子姿のまま、中学生にしては、比較的良質な演奏技術を披露していた。

 ギターとベースが壊滅的なフュージョンバンドなぞ誰も聴かない。しかし、彼女のプレイは、タッチこそ不正確だが、アグレッシブであり、なにより、一人だけ、音と戯れるように楽しげに演奏していた。地味子の皮を突き破って目立つ程度には。

 

 もう一つは、父親の死である。

 この時代、離婚は恥とされ、ほとんど起こらない。名前が変わるのは、死別の時が多い。佐和田の姓が、母方の名字であることを知った時、まるで天啓のように思い出した。

 

 今村由香は、中学生の頃、彼女を溺愛していた父親を、亡くしている。

 彼女の寂寥感溢れる歌詞は、父との死別を一つの創作源泉にしている。

 アレンジャーの趣味が爆発したアップテンポな編曲構成に、寂寥感しかない内省的な歌詞が乗るというギャップが、一部のファンを虜にしていた。


 そして、間違えようのない、決定的な要因が、彼女の「声」である。

 

 ご多分に漏れず忍耐を試されるイベントである合唱コンクールの練習で、佐和田怜那はピアノに廻ることを希望していた。しかし、土地柄というべきか、この中学でピアノを習っている連中はごまんといる。ピアノに廻りたい女子は彼女以外にも数人おり、あえなく彼女は抽選に敗れた。

 その時、恥ずかしそうに、聞こえないように合唱をしていた彼女の声は、紛れもなく、後に(広告表現として)バカラ・ヴォイスと称された、透き通るような今村由香本人の声である。『あの』デビュー時と比べてすらも、遙かに下手であったが。

 

 これだけの条件が揃った上で、至って地味な(或いは、「地味にしている」)容姿を改めてコッソリ見ると、目の形は良く、睫も天然で少し長い。「磨けば光る」タイプであることははっきりしている。所属事務所とテレビ局の悪ノリでアイドルもどきをやらされていた今村由香そのものである。

 

 1982年6月。

 時はアイドル全盛期。


 後のシンガーソングライター今村由香になるはずの女子中学生は、

 今、俺の目の前で、背中を丸め、縮こまるように座っている。

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