第3話


 わたり生市しょういちという少年は、紫桜の目から見てかなり奇妙な人間だった。

 この学校の囲碁部の部長だという桐藤・紫が言うには、常に詰碁の本を読みふけり、スマホのアプリには囲碁関連のものばかりを入れているというが、当の本人はこの学校にあるという囲碁部に所属しながらも、目立った活動もせず、碁会所に通っている訳でもない。

 それどころか、人との対局自体を嫌っている風だった。

 碁が嫌いという割には、碁を熱心に勉強しているくせに、碁が好きというには、余りに情熱を感じない。

 そんな風変り、というよりもちぐはぐで奇妙な素振りが強い棋士は、プロとして様々な棋士を眼にしてきた紫桜にしても、さすがに初めて目の当たりにする人間だった。

 とは言え、囲碁好きだからと言って全員がプロを目指すわけではないし、むしろ碁が好きだからこそプロとの関りを拒む人もいるだろう。そしてそう言う人間は、見たことがある。恐らく、亘・生市もその手の人間なのだろう。

 そう納得したことで、クラスが一緒という以外の興味を紫桜は生市に抱くことは無く、冬休みに入ることになった。

 中学三年の冬休み。これが終われば後はもう高校受験があり、受験が終われば後はそのまま卒業するだけ。ほんの僅かな繋がりしかない、クラスの中の風変わりな人物など、自分の人生にこれ以上関わる事はない。

 立花・紫桜にとって、亘・生市に対してその程度の認識しかなかったし、或いはもしかしたら、この時点で既にその存在を半ば忘れかかっていたと言っても過言では無かった。


 だが、そんな紫桜の心境を一転させたのは、ちょっとした手違いがきっかけだった。


 それは、修了式も前日に迫った日の放課後のできごとだった。

 廊下を歩いている時、不意に近くを歩いていた教師から、呼び止められた。


「ああ、立花くん。ちょっと良いかな?これ、君の忘れ物じゃないかい?」


 そう言ってその教師が差し出して来たのは、一冊の詰碁の本だった。

 その本自体は紫桜自身も持っている物だったが、この学校に持ち込んだ記憶はなく、恐らくは他人の物だろうとすぐに分かった。

 念のために中身を確認する為に目を通すと、詰碁の中に書き込みがあるのは自分の持っている本と同じだったが、書かれている文字が明らかに自分のものではなく、やはり自分の持っている本ではなかった。

 そう言って差し出された本を返すと、その教師は困ったように頭を掻いた。


「そうか。困ったな。じゃ、誰のだろう。多分、教員の物じゃないと思うんだよな」


「そう言えば、この学校に囲碁部があると聞きました。もしかしたら、その囲碁部の部員の物かもしれませんよ」


 すると、その教師は意外なことを言った。


「この学校に囲碁部なんてあったのかい?初めて聞いたよ」


「え?いえ、クラスの人の中に囲碁部を作ったとか言う人がいたので、てっきりあると思っていたんですが、無いんですか?」


 紫桜が逆にそう尋ねると、話しかけて来た教師は、


「いやぁ、顧問でもない部活のことなんて知らないよ。別に昔碁をやってた訳でもないしね」


 と、苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。


「ああ、じゃあ立花くん。悪いけど、それ囲碁部の部員に届けておいてよ。僕から渡すより、君から届けた方がその囲碁部の子たちも喜ぶと思うし」


 そう言って笑いながら詰碁の本を押し付ける教師に、紫桜は若干の沈黙の後に引き受けた。

 別に断っても良かったが、紫桜は直感的にこの本の持ち主が誰なのか分かった気がしたので、敢えて断ることをしなかった。

 脳裏にはなぜか亘・生市の顔が浮かんでおり、その顔を探して紫桜は放課後の活気が漂う学校の中を歩き回った。

 話に聞くところによると、この学校の囲碁部には正式に部室として与えられた部屋があるわけではなく、各々が碁盤や碁の本を持ち寄り、その日使ってもいい教室を使って碁を打っているという事であった。

 正直、三年の終わりに転校したという事もあって、この学校の校舎を散策したことは無かったので、校舎の中を歩き回るだけでも大分時間を使っていた。

 窓から差しこむ夕日もすっかりとオレンジ色に変わっており、様々な部活の部員や、塾や家路につく生徒たちに訊きながらようやくたどり着いたのは、結局は自分のクラスの教室だった。

 教室の中からはぱちぱちと碁石を打つ音が聞こえ、思わず教室のドアに掛ける手に力が入った。

 すると、教室のドアを開けた際に、思いもよらず大きな音がしてしまい、教室の中にいた人たちが一斉にこちらを振り向いた。

 そこにいたのは、三人。生市と紫、そしてもう一人、誰かは知らないがおさげ髪で丸眼鏡をかけた、真面目そうな少女。

 突然現れた紫桜の様子に、紫と碁を打っていた生市は、胡乱な目つきで紫桜を見ると、鼻を鳴らして口を開いた。


「どうしたんだよ、忘れものか?言っておくけど、今一応俺ら部活動中だから、茶々入れとかされたくないんだけど?」


「……いや。この本、もしかして君のじゃないかって思ってね。届けてくれって、先生に頼まれたんだ」


 そう言って紫桜が詰碁の本を差し出すと、生市は首を傾げながらそれを受け取り、納得したようにうなずいた。


「ん?ああ、確かに俺の本だ。届けてくれてありがとう」


 快く本を受け取った生市の姿を見て、自分の直感を正しかった悟った紫桜は、次の瞬間には、ほぼ無意識のうちに言葉がついて出た。


「なあ、亘君。一局、僕と打ってくれないか?」



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