[5-5 reverse side]夢喰いあやかしは退魔師と口喧嘩する

 チクチクと突き刺すような妖力を肌で感じた。


 鴉天狗はただでさえ九尾に匹敵するほどの実力をもつあやかしだ。

 その上態度は偉そうだし、服のセンスも完全に尖りすぎてる。服装そのものが現代に合ってるのはさすがといったところか。おれなんか、今の時代に合っているか九尾きゅうびに検証してもらったっていうのに。


 九尾といい、鬼の能力ちからを持つ千秋といい、何だって実力揃いのあやかしばかり月夜見市この町に集まるんだ?


「……また濃いやつが現れやがった」

「ずいぶんな物言いじゃねえか、ばく


 久遠くおんは口の端をつり上げて笑った。

 やっぱりおれが獏だとわかるらしい。あやかし同士だと、匂いの種類で分かったりするもんな。


 手を伸ばせばすぐに届きそうなくらい、久遠くおん紫苑しおんに近かった。それを見ていたら、だんだんと胃のあたりがムカついてきて、頭に血が上りそうだ。

 てめえ、子持ちで既婚者のくせに紫苑しおんに近づきすぎだろっ!


 相手がどれだけ強いあやかしだろうと、おれには関係ない。

 自分の女くらい自分で守る。


 腕を伸ばして、黒光りしている革ジャケットに触れようとした。その寸前。

 近づいてきたのは鴉天狗の方だった。


 二の腕をつかまれた瞬間、力任せに引き寄せられる。そのせいで反応に遅れてしまった。


 ふわりと石けんの匂いがした。

 金属同士がこすれ合う音がしたかと思えば、無駄に端正な顔が近づいてきて、首筋あたりにぬるい息を吐かれた。すんすんと何かを嗅いでいる。


 ぞわり、と肌が粟立った。


 こいつ、よりにもよっておれの肩に頭をうずめたばかりか、匂いをかいできやがった!


「何しやがんだ、てめえ!」


 初対面の他人であろうと、関係ない。生理的にもう無理だった。

 久遠くおんを引き剥がし、腹のあたりに蹴りを入れた。


 こいつは絶対やばいあやかしだ。あろうことか、なにかを吸うように相手の匂いを嗅ぐなんて普通じゃねえ。

 身の危険を感じる。

 久遠くおんの野郎が変な真似をするから、紫苑しおんがあんぐりと口を開けて固まっちまってるじゃねえか。


 足に手応えはあったが、相手は微動だにしなかった。ピンピンしている。


 周囲に聞こえるくらい盛大な大きな声で笑うと、悪びれた顔をせず久遠くおんはおれを見てにやりと笑った。めちゃくちゃ元気だ。蹴りがまったく効いていねえ。


「ずいぶんと脆弱な妖力だな。獏、ちゃんと食ってんのか?」

「……食ってるよ」


 悪かったな、脆弱で。お前らからすれば、どうせおれは小物だっての。


「パパぁ、お腹痛い」

「分かってるって。まあそういうわけだ。俺様の娘が痛がっている。お前ら、九尾きゅうびんとこの薬屋に連れて行ってくれるんだろう?」


 なんだ、こいつ。もしかして九尾と顔見知りだったりするのか。


 娘が痛いって訴えてんのに、久遠くおんは余裕の笑みをたたえている。あまり心配している様子はない。

 ただの食あたりなら、たしかに命には大事がねえだろうけど……。

 それくらい雪火の腕前を、いや、九尾のことを買ってんのか。


「お前も九尾を知ってんだろ?? さっさと俺様達を案内しろ、獏」


 鋭く細めた青い瞳はどこまでも挑発的で、上から目線だった。まるで獲物を萎縮させる肉食動物のような。

 獏、獏ってうっせえな。何様なんだこいつは。


 雪火せっかの家まで、車だと約三十分ほど。その間、これから狭い車内で一緒に揺られるのかよ。


 紫苑しおんは固まったまま動かねえし、先生だって目を見開いたまま黙ってしまっている。当然だ。人間たちには刺激が強すぎる。鴉天狗も九尾と変わらねえくらいのマイペースさだ。

 普通の人間である学校の教師が、なんでこんな飛び抜けた性格のあやかしと夫婦になったんだか。どれだけ考えても、おれには分かりそうになかった。




 ☆ ★ ☆




 町外れの山間地区にあるログハウス風の家。道の脇に車を停め、呼び鈴を押すとすぐに「入れ」という声が返ってきた。

 雪火せっからしかぬぶっきらぼうな返事だ。違和感を感じつつ引き戸を開けると、案の定そこには家主ではなく雨潮うしお千秋が立っていた。


「あら、雨潮うしおくんが薬屋さんなの?」


 真っ先に声をかけたのは、紫苑しおんの先生だった。

 彼女が千秋のことを知っていて当然だろう。先生は紫苑しおんの担任だし、千秋は同じクラスなんだし。


「違います。薬屋は榎本えのもとです。雪火せっか三重野みえのから連絡をもらった時、一緒にいたので」


 普段無愛想な態度の千秋も、教師相手には敬語を使うようだ。

 この様子だと雪火せっかから事情は聞いているみたいだな。


「二組の榎本えのもとくんがお薬屋さんだったの?」

「……まあ、薬屋と言っても俺達が行く薬局とは全然違うので。主に扱うのはハーブらしいし」


 クラスが違うとはいえ、先生も雪火せっかの名前は知ってるんだな。紫苑しおんの学校は生徒の数もそう多くないから把握しやすいんだろう。

 何でも疑問をぶつけてくるのは大人の立場だからだろうな。人間達の間では薬一つ作るにも決まり事があるって聞いたことがある。

 質問の意図を理解しているらしく、千秋の説明は簡潔で明快だった。

 

 だが、おれを含めあやかしたちにとっては、人間の事情なんて関係ない。

 例に漏れず久遠くおんも同じだったらしく、ほっと胸をなで下ろした先生の手を引いて声をかけた。


「御託はあとでいい。それよりも小夜さよだろ、彩」

「あっ、そうね。そうだったわ。じゃあ雨潮うしおくん、中へ案内してくれる?」


 千秋はすぐに頷かなかった。

 深紅の瞳を動かして、紫苑しおんに視線を転じる。


三重野みえの、先生を中まで案内してやれ。幼なじみだから、大体中は分かるだろ?」

「う、うん。それは大丈夫だけど……」


 突然白羽の矢を立てられて、紫苑しおんは戸惑っていた。なにかを伺うようにおれの顔を見てくる。揺らぐ薄紫色の瞳は、明らかにおれの心配をしていた。


 当然かもしれない。

 豆狸まめだぬきの件が絡んでいたとはいえ、おれは初対面で千秋と敵対関係にあった。


 それに千秋は未だにあやかしを「妖怪」と呼び、嫌っている。

 いや、嫌っているってものじゃない。妖力が怨念に変化するほどに憎んでいるんだ。

 今は雪火せっかが機転をきかせたおかげで、千秋にはあやかしをむやみに討伐しないと約束させた。もうこいつがあやかしたちに危害を加える心配はない。

 だが、千秋はあやかしを好きになったわけじゃないし、たぶん共存しようと思ってもいないだろう。


 紫苑しおんは何度か振り返っておれの顔を見ていたが、久遠くおんと先生たちを連れて家の中へ入っていった。


「…………」


 制服姿の千秋はおれを凝視したまま黙り込んでいた。用がないならどいてくれればいいのに、おれの目の前に立ち塞がって道を譲ろうともしない。

 曇天のように重苦しい空気が続く。

 なんだこれ。


「……ぬえの痕跡は見つかったのか?」


 永遠に続きそうな沈黙が耐えられなくて、つい口から出てしまった。


 聞いてみたものの、答えは分かっている。たぶん見つかっていないだろう。

 そもそも鵺の手がかりをつかんでいたら、千秋も雪火せっかもこんな悠長にしていない。食あたりの診察だって断っているはずだ。


「いや、見つからなかった。簡単に尻尾をつかめるなら苦労はしない」


 軽く睨んでくる紅い双眸と、突き放すような物言い。こいつがあやかしであるおれに態度を改めるわけがないよな。


 刃のような鋭い殺気を放ってきたりはしなかった。何を考えているのかはまったく分からないが、ひとつだけ確かなことがある。

 出迎えたくせに、久遠くおん達の案内を紫苑しおんに任せたのは、おれに話があるからだろう。


「――アルバ」


 バス停での和解から、千秋はおれの名前をはっきりと呼ぶようになった。

 こいつはこいつなりに、おれをあやかしとしてではなく対等な個人として見るよう努力しているんだろう。その頑張りは認めてやってもいい。

 千秋は千秋なりに変化しようとしている。

 それならおれは、人間に寄り添うあやかしとして、こいつにもちゃんと向き合おうと思う。


「何だよ」

「お前はいつまで三重野みえののそばにいるつもりだ?」


 やっぱり、おれの勘は間違っていなかったということか。

 こいつは紫苑しおんのことを意識しているのかもしれない。きっかけはたぶん、紫苑しおんが半妖だと知った時だろう。


「どういう意味だよ、それは」


 ただの噂に焦ったのは、こいつが鬼の血を継いだ半妖だからだ。しかも最強格の鬼ときている。

 完全なあやかしでないにしろ、力の差は歴然だ。おれでは千秋には敵わない。


 胃のあたりがむかむかして、気持ち悪い。


 いつまでって、どういうつもりで聞いてきてるんだ。

 ずっとそばにいるつもりに決まってんだろ。紫苑にはそう約束した。

 だが、千秋が聞きたいのはそういうことじゃないんだろう。


 軽い敵意を込めたおれの質問をきっかけに、千秋はぽつりぽつりと語り出す。


「今まで安全に守られていたんだろうな、三重野みえのは。妖刀が出せていないということは覚醒していないということだ。半妖は狙われやすい。だからこそ、自分で自分の身を守れなくちゃいけない」


 覚醒って何のことだ。今、初めて聞く話だぞ。

 妖刀を出せるようになるためには、その覚醒ってやつが必要なんだろうか。


「紫苑を覚醒させたいのか、お前は」

「いや、そうじゃない」


 どっちだよ。いまいち話が見えてこねえ。


三重野みえのは血で血を洗う戦いなんて向いていない。覚醒し武器を持って立ち向かう必要がないよう、周りが守ってやったらいい。だがお前は、三重野みえののそばにいてちゃんと守れるのか?」


 深紅の双眸が鋭くおれを睨む。

 だんだん千秋の言いたいことが分かってきた。分かるだけに、嫌な汗が背筋を流れていく。


「断言してやる。お前では三重野みえのを守れない」


 言葉もなかった。完全に図星を突かれてしまった。

 雪火せっかも九尾も、察していても口にはしなかった。だが千秋は違う。遠慮なく、現実をおれに突きつけて分からせようとしている。


 なにか言わなくちゃいけない。なにか。


 脳内の引き出しを総動員させて言葉を探した。

 でなければ、紫苑しおんのそばにいられなくなりそうだった。


「それは……っ」

「鬼の能力を受け継いだ俺ならともかく、ただの獏が鵺に勝てるはずがない。九尾の力を借りないと自分の腹さえ満たせないお前が、他人を助けるだと? ふざけているのか?」


 二度目の図星を突かれた。今度こそ頭の中が真っ暗になった。

 バレていた。紫苑しおんの夢で腹を満たせなくなったおれが、ひそかに九尾の妖力を分けてもらっていたのを、千秋はいつの間にか知っていたんだ。


 嫌な汗がこめかみのあたりから流れていく。


 たしかにおれは自分の命さえ自分の力で支えることができない。それでも、紫苑しおんをあらゆるものから守ることはできる。そうあいつと約束したんだ。


「ふざけてない! おれは――、」

「あんなへなちょこな剣筋で妖刀を振るっているようじゃ、話にもならないな」


 鼻から息を吐き出して、千秋は冷たくそう言った。

 その瞬間。冷めかけた熱が勢いよく顔に集まった。


「へなちょこ!? おい、今何つった!?」

「へなちょこと言ったんだ。正直に言って何が悪い?」

「うるせえ、訂正しろっ!」

「なら、試してみるか?」


 珍しく千秋が笑った。

 挑発的な瞳をそのままに、口の端をつり上げて。底意地の悪い笑みだった。


「脆弱な妖怪相手なのはあまり気が乗らないが、まあいい。お前に妖刀の使い方を教えてやる」


 手のひらを返した短い動作で、瞬時に刀が顕現する。

 瞳と同じ紅い柄の妖刀。鬼の妖力で織られた千秋の武器だ。


 おれは千秋の誘いに乗るべく、手のひらを握り込んで自分の妖刀を取り出した。

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