[5-3]夢喰いあやかしの復讐

 口の端をつりあげてアルバくんは勝ち誇ったように微笑む。そんな彼を見て、一瞬だけ言葉を失った。


 何これ。どうしてアルバくんがここにいるの?

 耳と尻尾がないってことは、もしかして人間に化けているってことなの?


「アルバくん、何してるの!?」

「何って、お前を待ってたに決まってるだろ。紫苑しおん


 授業のあと校門で待ってるからとか、今朝はそんな約束してなかったよね!?


 こうして会話している今も、アルバくんの周りには生徒たちでいっぱいだ。というか、彼に群がってるのはほとんど女子だ。

 モヤモヤする。面白くない。


 ちょっと……。ううん、ちょっとと言わず、全員すぐにでも、アルバくんから二メートルは離れて欲しい。


 ――なんて、口に出せるほど勇気も度胸も持ち合わせていなかった。

 ううう、わたしの意気地なし。できることなら、今すぐ引き剥がしたい。


「えっ、お兄さんが待ってたのって三重野みえのさんですか?」

「あれ。でも三重野みえのさんって雨潮うしおくんと付き合ってるんだよね?」

「えー、違うわよ。二組の榎本えのもとくんと付き合ってるのよ」


 次々に話しかけられてもアルバくんはすぐに答えを返さなかった。

 それをいいことに、みんな好き勝手言ってる。


 上級生もいれば、下の学年の生徒もいる。どの子も見覚えがある生徒達ばかり。学年にかかわらず噂が浸透している現実を目の当たりにして、頭が痛くなってきた。


 猫みたいな耳も尻尾もないアルバくんは、わたしたちと変わらない普通の男の人みたいだ。

 胡桃くるみちゃんのところにいるたぬきくんでさえ、人間の男の子そっくりに変身できるんだもん。そりゃ成長しきったばくのアルバくんだって、完璧な人間に化けられるよね。

 どうして今まで思い付かなかったんだろう。


「違えよ。紫苑は榎本えのもと雪火せっかとも、雨潮うしお千秋とも付き合ってねえ」


 ふいに、アルバくんが人垣をかき分けて近づいてきた。


 精悍で端正な顔が近づいてくる。

 逞しい腕をわたしの腰に回し、アルバくんは力強く引き寄せた。

 じわりと肌のぬくもりを感じる。近すぎる距離。肌と肌が密着していると自覚した途端、心臓がばくばくと暴れ出した。


紫苑しおんはおれのだから」


 アルバくんが恥ずかしげもなく堂々とそう宣言した瞬間、彼の周囲から歓声が沸き起こった。


 ああああっ、なにやってんのアルバくん! なんで今ここでそれを言うの!?

 こんな公衆の面前で、なに言ってくれてんの!?


 恥ずかしい。恥ずかしすぎる。

 穴があったら入りたい。

 今こんなにも顔が火照っているのは、アルバくんへの恋心のせいだけじゃない。羞恥心だわ。


 しかもタイミングというものは重なるもので、紺色の乗用車が側道近くにとまった。初めて見るけど、確信があった。河野かわの先生の車だわ。


「お待たせ、三重野みえのさん。すごい騒ぎねえ。どうしたの?」


 正直なところを言うと、憧れの先生にこんな恥ずかしすぎる場面を見られたくなかった。

 だからって、抱き寄せてくれたアルバくんの腕から離れたくもない。


 すごく気まずかった。できることなら、誰とも目を合わせたくない。

 その意思に抗って、わたしは窓を開けた車内から首を傾げる先生に笑いかける。たぶん顔は真っ赤だし、笑顔だって引きつってる。けど、もう笑うしかない。


「……すみません、先生。もう一人同乗してもいいですか? くわしくは車の中で説明します」


 とにかく、一秒でも早くここから離れたい。


 何も知らないのに、先生は不思議そうな顔をしつつも快く頷いてくれた。




 ☆ ★ ☆




「ふふふふっ、それは大変だったわねえ!」


 学校から先生が済んでいるアパートへ向かう道の途中、車の中で事の顛末を話すと見事に笑われてしまった。


 人間に化けているものの、アルバくんが隣にいる以上、わたしは先生にすべてを打ち明けて彼を紹介した。

 隣にいる彼、アルバくんが獏と呼ばれる夢喰いのあやかしであること。そして先月から彼に取り憑かれていること。わたしにとって大切な人だということも。

 少し前のわたしなら、雪火せっか以外にあやかしに関係する話なんてしなかった。けれど、家族にあやかしがいる先生なら、話しても大丈夫だと思えたの。


「笑い事じゃないですよ、先生。めちゃくちゃ恥ずかしかったんですから!」


 まるで顔から火が出たみたいだった。もう死ぬかと思っちゃったんだから。


 両手を握って抗議したら、隣でアルバくんが不服そうに眉を寄せた。


「なんで恥ずかしいんだよ」

「だ、だって、あんな大勢の前でおれのもの、とか……っ! もうもうっ、明日になったら、絶対また話のタネにされてるよぅ!」

「ふふっ、噂になっちゃうでしょうね」


 バックミラーに映る先生は、前を見据えたままくすくす笑っている。

 もう他人事だと思って! いや、他人には違いないんだけど……。

 ああ、もう頭がパンクしそう。


 とにかく落ち着いて考えなくちゃ。

 月夜見つくよみ高校でのわたしって、周りの人たちからどう見えているんだろう。


 今まで見聞きした噂をまとめてみると、つまりこういうことだ。


 雪火せっかと付き合っているという事実無根の噂。

 一度きりにも関わらず、雨潮うしおくんと登校してきてから、彼にのりかえて付き合い始めたという話。もちろん、この話も噂にすぎない。そもそも付き合っていないもの。


 そして今日。堂々と「おれのもの」宣言しちゃったアルバくんを見て、今度は謎の大学生にくら替えして交際し始めたって、みんなは口々に言うんじゃないかしら。

 え、これって客観的に見たら最低じゃない? 二股どころか三股よね?

 うわああああっ、どうしよ!!


「噂になったらいいじゃねえか」


 今後の学生生活についてこんなに思い悩んでいるっていうのに、アルバくんったらあっけらかんとした顔でそう言った。


「よくないよ! はたから見れば、わたしって最低な浮気女だよ!?」

「噂は噂だろ。本当の紫苑しおんはそんなやつじゃねえってことは、お前の友達は分かってるじゃねえか」

「……それは、そうかもしれないけど」


 なんでこういう時ばっかり正論を言うかな。

 アルバくんの言う通り、雪火せっかはもちろん胡桃くるみちゃんはとてもいい子だ。噂なんて信じない。実際、今日だって直接わたしに確かめてくれたくらいだし。

 クラスメイトのひかりちゃんだって、わたしが男の人を取っ替え引っ替えしてるだなんて本気で思ったりしないだろう。


「それに、」


 言いかけた言葉が不自然に切れた。

 首を傾げて続きを待っていると、アルバくんの藍色の瞳がふいっとそれる。


「新しい噂を作ったら、千秋と似合いだとか言われなくて済むだろ」


 眉を寄せて見えないなにかを吐き出すように言ったその言葉で、わたしは察した。

 やっぱり、昨日からヤキモチ妬いてたんだ。


「気にしてたの?」

「当たり前だろっ! お前に告白したのはおれだぜ!?」

「そりゃそうだけど! わたしだってアルバくんが好きだって気持ちは本物だよっ! ああ、もうっ、先生の前で恥ずかしいよぅ!」


 今日のわたしは、どこかおかしい。

 公然とみんなの前で「おれのもの」発言されたことも、アルバくんに抱き寄せられているところを憧れの先生に見られたのも恥ずかしい。だけど、雨潮うしおくんにヤキモチを妬いてくれたのも嬉しくって。

 頭の中がぐちゃぐちゃしてる。顔が熱くて、パニックしちゃいそう。


 思わず顔を手で覆っていたら、また先生に笑われた。


 アルバくんは満足したのか、もうからかったりツッコミを入れてきたりしなかった。

 わざとらしく咳払いしてから、わたしの目を見て話を本題へ戻してくれた。


「――で、患者を雪火せっかの家に連れていくんだっけ」


 まだ少し、アルバくんのほっぺたが赤いような気がするけど、ここは突っ込まないであげよう。


「うん、そうなの。カラス天狗の子どもがお腹壊しちゃってるみたいで」

「……鬼の半妖の次は天狗かよ」


 どうして今度は顔を引きつらせてるんだろう。

 カラス天狗といえば、わたしでも知ってるくらい有名なあやかしだ。もしかして九尾さん並みに強かったりするのかな。雨潮うしおくんも鬼の半妖な上に退魔師だから、実力は折り紙付きだっていう話だったっけ。


 そういえば獏ってどのくらいの強さなんだろう。

 アルバくんはどんなものからも守るって約束してくれた。無敵だって言うのは、夢の中限定の話だったはずだ。


 雨潮うしおくんと対峙してアルバくんが怪我をしたのは、たぬきくんとわたしを庇ったからだ。

 今はぬえがどこに潜んでいるか分からない状況だし、今後のためにちゃんと聞いておいた方がいいのかな。


 そんな考えをまとめていたら、アルバくんが不意を突くようなことを言ってきた。


「天狗も同席するみてえだし、幻術は解いてもいいかもな。あやかしが伴侶なら、そこの先生もおれのことえるだろうし」


 幻術を解いちゃうの? 戻っちゃうってことは、今までの耳と尻尾の姿になるってことで――。


「アルバくん、もうちょっとこのままでいよう?」

「——へ?」


 気がついたら、わたしはアルバくんの服の袖をつかんでいた。

 目に力を込めて言ったら、彼の藍色の瞳が丸くなる。その彼に向かって、もう一度わたしはお願いする。


「今日はもうしばらくこのままでいて? 私服姿のアルバくん、カッコいいんだもん」


 しまった。思わず本音が出ちゃった。

 冷めかけていた熱がまた顔にあつまってくる。よく見ればアルバくんの頬も再び朱に染まっている。


 だって、和服じゃないアルバくんって、新鮮なんだもの。

 普段幅広い着物の裾で隠れてる腕がジャケットに袖を通していると、意外に太くて逞しかったんだと気付いたし。

 それに、スキニージーンズだと足の線が強調されてて、隣で座ってるだけでドキドキしてきちゃう。


 そんな彼をたった一度、それも一時間にも満たない短い間だけしか見られないのは、切ない。

 アルバくんの新たな一面を見れた気がしたのに。


「ふふっ、ほんとに仲がいいわね。相談した相手が三重野みえのさんでほんとうによかったわ」


 車に乗ってから先生にはずっと笑われている気がする。恥ずかしい気持ちはまだ抜けないけれど、嫌な気持ちにはならなかった。

 だって、先生ならわたしの気持ちをわかってくれると思うの。


「……わたしも、先生が話してくれてうれしかったです」


 あやかしが身内にいるって人はそう多くはない。

 わたしの場合は頼りになる雪火せっかが近くにいたから、お母さんがあやかしだからってそう不安を感じたことはなかった。


 でも先生はたぶん、違ったんじゃないかな。

 今も具合が悪くなった娘ちゃんを心配して、わたしに話すまで一人で思い悩んでいたに違いない。きっと誰とも共有できない思いを抱えていたと思うの。


「アルバくん、安心して。私の夫も幻術で人間の姿になっているはずだから」

「……そっか。なら、いいか。紫苑もこのままがいいって言ってるし」


 よかった。先生のおかげでアルバくんは幻術を解かないことにしたみたい。

 もうしばらく、アルバくんの私服姿は眺められそう。


 それにしても先生の旦那さんも幻術が使えるのね。

 人間の社会に溶け込んで家族として暮らすために、幻術は必須なスキルなのかもしれない。お母さんも外にいる時は女の人に化けていたっけ。


三重野みえのさん、アルバくん、ちょっと待っててね。すぐに連れてくるから」

「あ、はい」


 先生の住まいは二階建てのアパートだった。

 駐車場に車を停めてからそう言うと、車から出て行ってしまった。最初の打ち合わせ通りに旦那さんと娘ちゃんを連れてくるんだろう。


 エンジンが止まった車内で、アルバくんと二人きり。

 普段から家でも学校の帰りでも一緒にいるのに、どうしてこんなに心臓がばくばくうるさくなるのかしら。


 幻術だって分かりきってるのに、近くで見るアルバくんはわたしと同じ人間みたい。髪の間から丸い耳が見える。もともときれいな顔をしてるけど、モデルさんみたいに姿勢がよくていい香りがする。こうして隣にいるとドキドキしてきちゃう。

 耳も尻尾もないから、彼の感情の揺れがちっともつかめない。だからと言って不安はないのよね。アルバくんがいつもわたしを大事に想ってくれているのは、わかりきっているもの。


 ただ、ひとつの疑問が頭に浮かぶの。


「……アルバくん、どうして今日は幻術で普通のひとに化けたりしたの?」


 聞いてみたのはただの思いつきだった。なにか特別な理由があるのかもしれないと思ったのだ、けど。

 アルバくんはわたしに顔を向けると、どういうわけか半眼で睨みつけてきたのだった。

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