[5-2]天狗の話とドキドキハプニング

 ロングスカートに上品な淡い色合いのカーディガンの姿で教室の真ん中に立つ先生の姿は、姿勢がよくて笑顔が素敵な印象があった。怒っているところは数えるほどしか見たことがない。

 ましてや、子どもみたいに目を輝かせる先生を見たのは初めてだった。


 河野かわの先生と初めて会ったのは、高校二年になった四月のことだった。


 わたしの瞳はお母さん譲りの薄紫色で、日本人離れしている。

 先生に瞳の色はカラーコンタクトとかで変えているわけじゃなく生まれつきだと説明したら、特になにも言わなかった。

 この変わった瞳の色でわたしが肩身の狭い思いをしなくて済んだのは、先生が普通に接してくれていたおかげだ。


「えっと、どういうことですか?」


 笑って尋ねてみたけど、ちょっと引きつっていたかも。

 先生ははっとした。現実に帰ってきたみたい。


「……あ、ごめんなさい。つい、あやかしを信じている人がいるってわかって嬉しくて。ひとまず座りましょうか」


 ふんわりと微笑んで先生はわたしから離れ、そっと椅子まで促してくれた。

 良かった。いつもの先生だわ。


 あらかじめ購買で買っておいてくれたのか、先生はペットボトルのお茶を手渡してくれた。「他の生徒には内緒ね」とくすりと笑う。

 そんな先生につられてわたしも笑みがこぼれた。


「先生はあやかしに会ったことがあるんですか?」

「ええ、そうよ。三重野みえのさんもあやかしに会ったことがあるんでしょう?」

「あ、はい。そうなんです。会ったことがあると言うよりも、わたしの場合は家族なんですよね――」


 いつもなら、雪火せっか以外の人にあやかしのことを話さないようにしていた。

 不思議なことに、先生にならお母さんのことを打ち明けても大丈夫だと思えたの。


 わたしは初めて自分のことを先生に話した。

 お母さんが鎌鼬かまいたちというあやかしであること。そしてわたし自身がその子どもであること。そのためにわたしが弾くピアノには不思議な力があること。


 先生は小さく頷きながら、わたしの話をよく聞いてくれた。

 話していくうちに緊張していた身体がほぐれていって、気持ちが落ち着いてくるのがわかった。


 最後まで話し終えたあと、先生はさらに瞳をキラキラと輝かせていた。すごくうれしそう。


「そうだったの。話してくれてありがとう。実はね、私も三重野みえのさんと同じで、家族にあやかしがいるのよ」

「え?」

「わたしの夫があやかしなの」

「そうなんですか!?」


 びっくり。なんとあやかしを家族にもつ人がうちの他にもいただなんて!


 わたしが家族のことを正直に話したからか、先生も家族のことを話してくれた。


 一年前に先生はあやかしのひとと結婚したらしい。

 相手は亡くなった前の奥さんとの子ども――一人の娘を連れていた。その娘ちゃんは素直で笑顔が可愛くて、いい子で、先生は二人と家族になることを受け入れたみたい。ということは、先生は今、そのあやかしの父娘おやこと一緒に住んでいるのね。


「そのお相手はどういうあやかしなんですか?」

「カラス天狗てんぐなのよ」

「て、天狗!?」


 興味本位で聞いたら、これまたすごいのが出てきた。

 あやかしについて表面的にしか知らないわたしでも、天狗は聞いたことがある。九尾きゅうびさん並みに有名なあやかしなんじゃないかしら。


 もしかして、先生があやかしのことでわたしに話があったのは、なにか相談したいことがあるのかな。

 この間の胡桃くるみちゃんのように。


「私、お母さんがあやかしだけど、あまりあやかしについては詳しくなくって」

「いいのよ、話を聞いてもらえるだけでいいから。実はね、三重野みえのさんに相談したいことがあるの」


 やっぱり相談きた! わたしに力になれることならいいのだけど。


 姿勢を正して、先生はまっすぐにわたしを見つめた。ついと細めた瞳がいつになく真剣だ。

 わたしも椅子に座り直して、先生の顔を見返す。

 前までのわたしならあやかしを怖がるばかりだった。けど今は雪火せっかや九尾さん、それにばくのアルバくんとも知り合った。退魔師の雨潮うしおくんと情報交換するようになったし、少しはあやかしについて知っていることは増えてきたはず。

 両手を握って意気込み、強く頷いた。


「はい。わたしにできることなら!」

「ありがとう」


 胸の前で手を合わせてうれしそうに微笑んだあと、先生は身を乗り出してこう尋ねた。


「あやかしの子が体調を壊した時、どうしたらいいかな!?」


 あ、これ完全に雪火せっかやわたしの専門分野だわ。


「お子さん、体調が悪いんですか?」

「そうなの。夫が少し目を離した隙に、悪くなった豆大福を食べちゃったみたいで、娘がお腹壊しちゃったのよぅ」


 そういえば、雪火せっかの家に駆け込んでくるあやかしたちもよく拾い食いしてお腹壊すことが多いって言ってたっけ。

 あやかしにしても人間にしても、どうして子どもはなんでも口に入れちゃうんだろう。


「娘はまだ小さいから幻術もあまり上手じゃなくて。病院に連れて行きたいのはやまやまなのだけど……」


 頬に手を添えて、先生はほうとため息をつく。憂いに満ちた目を伏せるその表情はお母さんと同じ顔をしていた。

 そういえばお母さんも、わたしが椅子から転げて怪我をしちゃった時、同じような顔をしていたっけ。


 あやかしとわたしたち人間。家族として、一緒に生きていくことを決めたひとがこんな身近なところにいて、とても嬉しかった。

 わたしとアルバくんも、先生と旦那さんのようになれるのかな。

 お父さんとお母さんだって、今も仲良しな夫婦だもん。種族が違っていても、きっと人生の道をともに歩むことができるよね。


「先生、あやかしを専門に見てくれる薬屋さん知ってますよ。良ければ、今からでも紹介しましょうか?」


 思いきって、そう提案してみることにした。

 わたしがピアノを弾いてもいいけれど、お腹の薬を飲ませた方が確実に治ると思うの。お腹を壊した患者さんは多いからお薬はたくさん作って常備してるって、雪火せっかが前に言ってたし。


「ええ、ぜひ! ありがとう、三重野みえのさんっ」


 笑顔全開の先生に両手を握られてしまった。娘ちゃんの具合が悪いだけあって、勢いがすごい。

 たぶん、娘ちゃんの面倒は旦那さんが診ているのだろう。でも家族のことをずっと気に掛かっていたはずだ。ため息をつくほどの心配を胸に抱えたまま、先生は今日一日仕事をしていたのかな。


 そう思い至ったら、なんだか胸が痛んだ。

 先生は今日どんな気持ちでわたしたち生徒に笑顔を向けてくれていたんだろう。


「とりあえず、連絡を入れておきます。あ、でも場所はここからは遠くて、わたしの家の近くなんですけど……」


 先生は一度、四月の家庭訪問の時に家に来たことがある。わたしが山間の地区に住んでいることは知っているはずだ。


「大丈夫よ。先生の車で行きましょう。もちろん三重野みえのさんも乗せて行ってあげるからね」

「あっ、はい! ありがとうございます。じゃあ、先に連絡しちゃいますね」


 うわあ、車に乗るのって何年ぶりだろう。お父さんが海外赴任になったのは二年くらい前だったっけ。


 踊るような気持ちを押さえつつ、スマートフォンを取り出した。メッセージアプリを開き、要件を簡単な文章にまとめて雪火せっか宛てに送信する。

 返事は三分後、すぐにきた。雪火せっかはすぐに帰宅していつでもわたしと先生が来てもいいようにしてくれるみたい。ちょうど九尾さんと合流していたらしく、彼に家まで送ってもらうようだ。


「先生、すぐに診てもらえそうですよ」

「良かったあ。じゃあ、すぐに向かいましょう。あ、でも薬屋さんのお家に向かう前に家に寄ってもいいかしら。夫と娘を連れてくるわ」

「はい、大丈夫ですよ」

「決まりね。三重野みえのさんは校門のところで待ってて。私は車を回してくるわ」


 一度、先生とは別れることになった。

 スマートフォンの時計を見ると、もう十八時になろうとしている。先生を車の中で待たせるのも申し訳ないし、まっすぐ校門に向かおう。


 できればアルバくんには、雪火せっかの家に寄ることだけでも知らせたい。

 あやかしである彼がスマートフォンを持っているわけないから、連絡できないのよね。九尾さんが合流した時は一人だったって雪火せっかは言っていたし。今はお家にいるのかしら。

 待たせるのは申し訳ない。どうにかして連絡できないかな。


 校舎の外に出ると、空はもうオレンジ色になっていた。

 この時間、学校に残っているのは部活動している生徒だけ。通学リュックを背負ってまばらに下校している子たちが校門に向かって歩いている時間。

 なのに今日に限っては、いつもと様子が違っていた。


「うそっ、あの人うちの生徒じゃないよね? 大学生!?」

「え、でも市内に大学ってないよね?」

「誰か待っているんじゃない?」


 大きな鞄を背負った三人組の生徒達が通り過ぎていく時、そんな会話が聞こえた。

 どうやら生徒じゃない人が校門のところで待っているらしい。誰かのお迎えに来た保護者の代理なのかな。

 わたしや雪火せっかみたいに、月夜見高校に通う子にも山間の地区に住んでいる子は多い。親やその親戚が生徒を車で迎えに来るのは日常茶飯事だったりする。


 ――あれ、おかしいな。


 校門に近づくにつれて、わずかだった生徒達が固まって賑わいでいた。まるで人垣みたい。

 なにか物珍しいものでもあるんだろうか。


 そう思って、顔を上げた瞬間。わたしは目を疑った。


 校門に背をあずけているのは、背が高く精悍な顔つきの男性だった。

 深い青色のTシャツに黒のジャケットを羽織り、下はすっきりとした紺のスキニージーンズ。首からシルバーのアクセと入校許可証の名札をそれぞれ提げている。騒ぎになっても先生たちに言いとがめられなかったのは、ちゃんと名札を持っていたからなのだろう。

 たしかに見た目がどこかの大学生のようなひとだった。けど、彼は明らかに日本人ではない。


 長い真っ白な髪を高く結い上げたポニーテール姿。遠目でも分かるつった藍色の瞳。

 耳も尻尾もないけれど、そんな特徴のあるひとなんて一人しかいない。


「アルバくん!?」


 名前を呼んで叫んだら、人垣になっていた生徒達が一斉にわたしの顔を見た。

 どうしよう、顔が熱くなってきた。みんなの注目を集めちゃったみたい。


「紫苑、おかえり」


 恥ずかしくて背負っているリュックのベルトを握っていたら、騒動の元凶であろうそのひとは口角を上げた。

 その表情は、まるで勝ち誇ったような笑みだった。

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