[4-4]フラッシュバックとお姫様抱っこ
「さっきの話、
家を出て玄関の鍵を閉めたあとで、アルバくんが腕を組んだままそう言ってきた。
「さっきの話って、アルバくんがいい夢を食べられなくなったこと?」
「他に何があるんだよ。」
「ええっ、なんで話したらだめなの?
あやかしたちを診察する機会が多いせいか、
それに
まだ知り合って間もないけど、アルバくんだって
「笑ったりはしねえだろうけど、
もう一度釘を刺されてしまった。よほど他の人には知られたくないみたい。
どうしてそこまで隠したがるんだろう。
そう思うと、なんだか特別感というか、胸がわくわくするような気持ちになった。これが優越感というやつなのかしら。
「うん、わかった」
「よし。じゃあ行くか」
うなずくと、明るい朝日を背景にアルバくんはやわらかく微笑んで、わたしに手を差し出した。
日だまりのような、あたたかくて明るい笑顔。とくんと胸が高鳴る。
差し出された手のひらに触れたら、アルバくんは指を絡めてにぎってくれた。
伝わってくるあたたかな温度がさらに胸の鼓動を早めていく。
どうしよう。ただ手を握っているだけなのに、すごくしあわせだ。
人に恋するのも誰かとお付き合いするのも初めて。
その相手があやかしだなんて、まるで仲良しなお父さんとお母さんみたいでうれしかった。
真っ青な空に蝉が鳴き交わす声が響いていく。
九月に入ってもまだ残暑があるからか、蝉はまだまだ元気みたい。頬をなでていく風は生ぬるい。まだまだ夏服は手放せそうにない。
田んぼのあぜ道を通り抜けると道路に出る。
朝の早い時間は田んぼや畑に出ている人を見かけるけど、犬の散歩をしている人もいる。
今日も大きな犬を散歩させているおじさんが向かい側から歩いてくるのが見えた。
シェパードだ。わあ、すっごくかっこいい。
ピンと立った大きめの三角耳。明るい茶色と濃い焦げ茶色の短い毛に覆われたからだ。
お散歩がうれしいのか、尻尾が上がってる。でも飼い主のおじさんより前に出ないようにしているあたり、ちゃんとしつけられた子だとわかった。
おじさんの焦げ茶色の瞳と目が合う。
わたしは笑顔を向けた。近所の人に会ったらまず挨拶しなくちゃ。
「グルルルルル……」
立てていた三角耳を下げて、ふいにシェパードの子が唸る。
まずいと思った時には遅く、周囲に響くほどの大音量でその子は吠え始めてしまった。
「ワンワンワンワンワン!」
「きゃあっ」
走り寄って飛びかかられる寸前、シェパードの子はピンと張ったリードに阻まれて動きを止められる。
それでも大きな吠え声にびっくりしちゃって、わたしは思わず尻もちをついてしまった。
つり上がったアーモンド型の瞳はわたしを敵だと認識している。
その鋭い輝きが、いつか見たあの赤い目と重なった。
太陽の光を弾く鋭い爪。からだを焼くような痛み。
ぎらつく赤い瞳はまるで獰猛な獣のようで、とてもおそろしくて。
開いた口からのぞく牙が迫ってくる。
この胸と同じように、わたしの命をかき裂いてやる、と。
たった一瞬で世界が歪む。
おねがい。だれか、たすけて――——。
「
肩を抱き寄せられて、はっとする。
鮮明になった視界の中、目の前には吠え立てるシェパードの子を叱りつけるおじさんの姿。
蝉の大コーラスを背景に、背が高くなった稲穂が風に揺れてさらさらと音を立てる。
アルバくんはいつもより力を込めて肩を抱いてくれた。その力強さが、今はすごくホッとした。
現実に帰ってきた。
だとしたら、さっきまでのわたしは過去にトリップしてたんだろうか。
「
「……あ、はい。大丈夫です」
眉を下げておじさんが頭を下げてくれた。
逆にこっちが申し訳なくて、わたしは慌てて立ち上がって頭を下げる。
「こちらこそごめんなさい。もしかしたらワンちゃんを怖がらせてしまったのかも」
「そんなことないよ。家ではともかく、散歩の時は滅多にこんなことはないんだけどな……。本当に驚かせてしまって悪かった。怪我はないかい?」
「はい、大丈夫です。ちょっとびっくりしただけで」
そう。少しびっくりしちゃっただけだ。シェパードの子はなにも悪くないもの。
なのに、どうして足がこんなに震えるのだろう。
犬に吠えられるくらい、普段ならどうってことないのに。
どうして、あのあやかしのことを思い出してしまったんだろう。
「本当にすまなかった。今から学校だろう? 気をつけて行ってらっしゃい」
「行ってきます」
アルバくんはわたしの肩を抱き寄せるだけで、何もしゃべらなかった。もしかすると幻術で姿を隠していたのかもしれない。
おじさんがまだ唸り続けるシェパードの子を引っ張って行ったあと、彼はようやく話しかけてくれた。
「……悪かったな、
「え? なにが?」
どうして謝られるのかわからなかった。けど、アルバくんは気まずそうに眉を寄せる。
耳と尻尾がシュンと下がっていった。
「たぶんあの犬、おれに吠えてた。もともと賢いやつだったんだろ。幻術で姿を隠していても分かったんだろうな」
「ああ、それで突然吠えたんだ」
シェパードって賢い犬種だもんね。本能で吠えたり、あらゆる場面で吠えるって聞いたことがある。
「大丈夫か? ちゃんと、歩けるか?」
「えっ、なんで?」
「だって、足震えてんじゃん」
ちゃんと立ってるつもりだったのに、アルバくんに言われて足もとを見てみる。
自分の目で見てもわかるくらいに両膝が震えていた。まるで生まれたての子鹿みたい。
「だ、大丈夫だよ。歩けるよ」
平気だもん。犬に吠えられるなんてよくあることだわ。これくらいでへこたれていたら、田舎生活なんてできないもん。
深呼吸してわたしは足を一歩前に踏み出した。するとふらりと身体が傾く。
うそぉ、なんで!?
「ったく、しょうがねえな。
「え?」
ため息まじりにそう言って、アルバくんは手を差し出してくる。言われるままにわたしは自分の鞄をアルバくんに手渡した。
……まあ、鞄というよりも大きめのリュックなんだけど。
教科書や参考書がたくさん詰め込まれた重いリュックをアルバくんは片方の肩に難なく背負ってみせる。
そしてもう一度わたしの肩を優しく抱き寄せてくれた。
この時のわたしはアルバくんが何をするつもりなのかわからなくて、なんとなく目で追っていた。
「ええっ!?」
突然、身体が宙に浮き上がった。
いつの間にかアルバくんの顔がすごく近くなっている。間近で見る彼は鼻筋が通っていて、つった藍色の瞳は鋭くてとてもきれい。まるで夜空をそのまま溶かしたみたい。――って、そうじゃなくて!
わたし、今アルバくんに抱き上げられてる。もしかして、お姫様抱っこっていうやつなんじゃないの!?
「きゃぁああああ! なななな、なにしてんのアルバくんっ」
「おまっ……、ちょっ、暴れんな。歩けねえなら抱えてやるに決まってるだろ」
「だって、こんな公衆の面前でっ」
「公衆って、どこに人がいるんだよ。さっきの人間の他にお前くらいしか見当たらねえじゃん」
見渡してみると、田んぼに出ている人は見当たらなかった。シェパードを連れたおじさんの姿ももう消えている。
わたしとアルバくんだけ田んぼのあぜ道に佇んでいる。
それはそうなんだけど!
でもいきなりすぎてびっくりしたんだもん。別に嫌じゃないけど、心の準備がなかったっていうか!
「バスの時間が迫ってるし、このまま行くぜ? それとも今日は学校休むか?」
やわらかい声音で聞かれて、一瞬だけ心が揺れた。
どうしてアルバくんはいつも優しくしてくれるんだろう。ほんの少しだけ甘えたくなってしまう。
「ううん、行く」
「なら早く急がねえとな」
今なら分かる。
いつだってアルバくんはわたしを大事にしてくれて、傷付かないように気を遣ってくれている。
だからあやかしなのに人間っぽく感じてしまうんだ。
いつも察しが良くて、見えない傷を真綿でくるむように優しく甘えさせてくれる。
至近距離で見るアルバくんの耳は墨色で、真っ白だった髪が灰色に染まっている。髪の先端は墨色になりかかっている。邪気がアルバくんの身体を蝕んでいる証拠だ。
アルバくんだって大変なはずなのに、いつもわたしを優先してくれている。だから大事にしてもらってるってわかるんだわ。
このまま彼の好意に甘えたままでいいのかな。
わたしだってアルバくんのことが好きだもん。一緒に前に進みたい。
ただ怖がって泣いてるだけなんて、もう、いやだ。
ぜんぶ、過去にあったことをアルバくんに打ち明けよう。きっと彼なら真っ正面から受け止めてくれるわ。
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