[3-5 reverse side]夢喰いあやかしは全力で約束を守ろうと奮闘する(後編)

 日がとっぷりと暮れる頃。おれはどういうわけか雪火せっかの家で茶をすする羽目になっていた。


九尾きゅうび雨潮うしおくん。僕がどうして怒っているのか、まさか分からないわけじゃないよね?」


 当の家主はおれに茶を出したあと、二人に懇々と説教なんぞを始めている。

 部屋の端っこに正座させた九尾と退魔師を前に仁王立ち、という構図だけでも珍しいのに、雪火は今までになく低い声で二人を叱りつけていた。

 とはいえ、こいつには感謝しかない。おれの膝の上でタヌキのちびがすぴすぴ寝ていられるのも、こうしておれ自身が無事でいられたのも、全部雪火せっかのおかげなのだから。







「馬鹿野郎、九尾! やりすぎだ!! 少しは状況を考えやがれぇぇぇぇ!」


 そう叫んだあのあと、すぐに駆けつけてくれた雪火せっかは実によく動いてくれた。


 巨大な化け狐と化した九尾を叱りつけもとの人型に戻るよう、すぐに指示した後、退魔師に有無を言わさず妖刀をおさめさせたのだ。たぶん、初対面のはずなのに、退魔師は雪火せっかが放つなにかに飲まれたのかすぐに従った。


 もちろん彼はおれの怪我の治療もしてくれた。

 失った妖力は九尾からもらえればそれでいいと言ったんだが、雪火せっかは素直に頷いてくれなかった。

 傷を塞いでおかなければ流れ出ていく一方だからと、彼は強引に消毒し始め、気付いた時には包帯を巻かれていた。


 退魔師が雪火せっかの家にいるのには理由がある。雪火せっか本人が頑として退魔師を家に帰らせなかったためだ。


 紫苑しおんが気絶してしまった以上、休ませられるどこかに移動する必要があった。けど、雪火せっかの家はバスで二十分もかかるし、当然人間の足ではもっと時間がかかる。

 そんな遠い距離の中、どうやって紫苑しおんやおれたちが移動したかというと、九尾があの巨大狐になっておれたちを運んでくれたのだ。


 正直居心地は悪かった。振り落とされる心配もあったが、落ちないようにあの九本の尾に包まれた時にはぞくぞくした。あのゲテモノみてえな恐ろしい口と牙を見た今となっては、あやかしのおれでも怖すぎる。


「……よっと」


 深く寝入ってんのかたぬきの体重がひざにかかってきた。すこし抱き直してから、おれは布団の中でいまだ眠り続けている紫苑しおんに視線を落とす。

 まぶたは固く閉じられ、目覚める気配はない。

 悪夢を見てるならどうにかしてやれるが、夢を見ているわけじゃないみたいだ。ただ気絶してるだけだから、すぐに目は覚めると思うんだが……。


雪火せっか、私が悪かったよ……。だけどね、私も必死だったんだ。だってアルバくんが怪我をしていたんだよ?」


 不気味に揺れていた九本の尻尾も今では見る影もなく、シュンとそれぞれがうなだれている。


「アルバさんと豆狸まめだぬきの子どもを助けてくれたことは本当に感謝してるよ。でもね、なにもあそこでいきなり大妖怪にならなくてもいいじゃないか。せっかくアルバさんのおかげで紫苑しおんのトラウマがだいぶ改善していたのに。今度顔合わせたら、九尾、間違いなく紫苑しおんに怖がられるよ?」

「ええっ、そんなあ……」

「それが嫌なら、紫苑しおんが目を覚ましたらちゃんと誠意を込めて謝ること。いいね?」


 普段は虫も殺さねえような顔をしているのに、雪火せっかが怒ると九尾でも逆らえなくなるだなんて思ってもみなかった。反論の余地を与えることなく、次々と畳みかけていく。

 宿主に腕を組んできっと睨まれたら最後、九尾が反論できるはずもなく。こくりと素直に頷いていた。


「うん、わかったよ。雪火せっか

「分かってくれたならいいよ。次は雨潮うしおくん」


 次なる標的は退魔師だ。

 口を引き結んで無愛想にしつつも、退魔師は正座させられている。こいつの場合はまったくの初対面なのに、なんで逆らえないのか不思議だ。


「タヌキの子どもを追いかけたばかりか、女の子の前で刃物を振り回してアルバさんに怪我させるとか、何考えているの。あやかしに対してどう思うのかは勝手だけど、むやみに傷つけるのはどうかと思うよ」


 そのまま押し黙るのかと思っていた。

 だが意外にも退魔師は目を上げて、雪火せっかに言い返した。


「……そういうお前はあやかしに対してどう思っているんだ」

「九尾のこと? 九尾はそりゃ目を離したらあんなふうに大妖怪になって暴走するし、僕の煎餅はすぐ空っぽにしちゃうし、祠のお供え物の油揚げをくすねてくるし、ご近所の紫苑しおんにすぐいなり寿司をねだるし。見張ってなきゃ何するかわからないから、肝が冷える時もあるけど」

「ええっ、雪火せっかぁ」


 改めて言葉にすると、雪火せっかって大変なんだな。つーか、子どものおやつを取るんじゃねえよ、九尾。

 泣きつかれてもなんのその。雪火せっかの顔色は変わらない。


「でも、家族だと思っているよ。物心がついた時から一緒にいるしね」


 にこりと雪火せっかはいつもの微笑みを浮かべた。

 聞いたのを後悔したと言わんばかりに、退魔師は眉を寄せ苦虫をかみつぶしたような顔をしている。


 退魔師が紫苑しおんと同じく半妖の子どもであることは間違いない。

 人の域を超えた力は人間達の間では異質として見られるだろうし、なにより持て余す。それが誰かに危害を加えるような力なら、人生さえも狂わせることだってある。


 こいつはどういう理由で、おれたちあやかしを目の敵にしてるんだろうか。


「ねえ、雨潮うしおくん。きみは豆狸まめだぬきの子どもをさらったわけじゃないんだよね?」


 声のトーンが元に戻っていた。

 だが、黒い瞳は真剣そのもので、まっすぐ退魔師に向けられている。


「きみに妖力があるのなら、たぬきの子は近くできみの強い感情のこもった妖力を感じてびっくりしたはずだ。思わず保護してもらったお家から出てきてしまったんじゃないかな。きみはそのたぬきをたまたま見かけたから、襲おうとした。違う?」


 退魔師は何も言わなかった。押し黙ったままだ。だが、逆にその沈黙が肯定を意味しているように思えた。


「そして以前、きみがアルバさんを狙ったのも、たぶん同じ流れなんじゃないかな。ばくは実体はあるけど誰かに取り憑いていない限りは決まった姿を取らない。僕たち人間が思い描いたものがそのまま反映される。おそらく、きみが見たアルバさんの姿はきみ自身が追っていた討伐対象の妖怪そのものだった。だから襲ったんだ」


 ぴくりと退魔師の細い眉が少しだけ動いた。

 鋭く睨み上げられても、雪火せっかは余裕の笑みを浮かべたまま。くすりと笑ったあと、さらにこう畳みかける。


「ねえ、雨潮うしおくん。きみが追っていたのはどんな姿のあやかしだったんだい?」


 そういうこと、だったのか。


 毛むくじゃらで、かたちがいびつな妖怪。身体中毛が覆われているあやかしなんか、そのへんごろごろいる。そういえば、紫苑しおんの悪夢の中で見たあのあやかしも毛むくじゃらだったっけ。


 当事者のおれでも分からなかった真実をぴたりと言い当て、悠然と微笑む雪火せっか


 おれはこいつを紫苑しおんの幼なじみで、ただの高校生の子どもだと思っていた。

 だが今となっては改めなくてはいけない。


 同じことを退魔師も感じたんだろう。

 直接質問には答えず、やつはいぶかしみながらこう尋ねた。


榎本えのもと雪火せっか、お前は何者だ?」

「僕は普通の高校生で、ただの〝魔女〟だよ。この言葉の意味、退魔師である雨潮うしおくんになら分かると思うけど?」


 あやかしのおれには雪火せっかの言っていることがさっぱり分からなかった。

 だが、退魔師には意味が通じたらしい。「そうか」と短く返事をして今度こそ黙り込んでしまった。


 魔女だとか退魔師だとか。

 紫苑しおんがあまり理解できていないように、人間のそういう集団のことはおれにもよく分からない。聞けば、雪火せっかは教えてくれるだろうか。

 たぶん、親切なこいつのことだ。快く教えてくれるだろう。


 とりあえず今は、紫苑しおんの目が覚めるまで、そばにいようと思う。

 起きた時、おれがそばにいなかったら、たぶん不安がるだろうから。

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