[2-10 reverse side]夢喰いあやかしは秘密と夢を語る

 昼に会った時は苦しそうな顔をしてたってのに、授業とやらが終わった途端、紫苑しおんは怒りっぽくなっていた。

 悩みが多少落ち着いたのはよかったけど、なんで不機嫌になるんだ?

 人間ってわからねえ。


 いや、怒りの発端は九尾と連れだって紫苑しおんの教室をのぞきにいったことだっけ。


「何ていうあやかしなんですか?」

ばくっていう、夢喰いのあやかしなんだよ」

「バク、ですか?」


 胡桃くるみという後輩の女と紫苑しおんは話をしている。

 豆狸まめだぬきはこの辺の土地じゃあ見かけるは多い。ありふれているとはいえ、あやかしには違いない。それが見えるというのなら、胡桃くるみもほんの少しだけあやかしを視る見鬼けんきの才を持ってるんだろう。


 胡桃くるみが物珍しそうな目で見てきた。えらく凝視されてんだけど、おれの顔になんかついてるのか?


「うーん、でも見た感じだと獏っていうより猫って感じですよね」


 あー、なるほどな。獏のイメージと今のおれの姿が結びつかなかったのか。

 不思議そうに首を傾げて胡桃くるみは素直な感想を話してくれた。


「猫だとおかしいの?」

「だって、獏ってネットで検索したら、ずんぐりむっくりで四つ足の動物の画像が出てくるんですもん。鼻先が象みたいに少し長いかんじの。ほら、動物園にマレーバクがいるじゃないですか! あれに似てるイラストが出てくるんですよ。ほら」


 リュックの外ポケットからオレンジ色のスマートフォンを取り出し、胡桃くるみは慣れた手つきで操作していく。最後にくるりと画面を向け、おれと紫苑しおんに見せてくれた。

 今の人間たちが持つカラクリは面白いものが多い。

 スマートフォンという手のひらサイズの機械もその一つで、たくさんの絵が所狭しと並んでいた。


 細かく描き込まれた精緻せいちなものから、簡略化されたぬいぐるみみたいなものまで色々だ。

 そのどれも短い四つ足で小さな丸い耳をもった動物が描かれている。体色は白と紫の縞模様。

 なるほど、これが人間たちの思い描く獏というあやかしのイメージってわけだ。


「そりゃお前たち人間が獏はそういうもんだと思い込んでいるからだろ」


 おれにとっては当たり前すぎる事実だったのだが、紫苑しおんはそうじゃなかったらしい。

 薄紫色の目を丸くしておれに問いかける。


「どういうことなの、アルバくん」


 そういえば。出会ってから今までの約半月間、おれは一度も自分のことを紫苑しおんに話したことはなかったっけ。


「おれが猫なのは、おまえがおれを拾った時に猫のイメージを思い描いていたからだ。最初に見た時、猫かなんかだと思ったんだろうな」

「そういえばそうかも!」


 心当たりがあるようで、紫苑しおんははっとする。


 そもそも紫苑しおんはおれが獏だという先入観がなかった。猫だと思われても無理はねえけど、実は猫の姿になったのは初めてだったりする。


「おれは獏――夢喰いのあやかしだから、実体はあっても決まった形を保てるわけじゃねえんだよ。お前ら人間が思い描いたイメージの姿になっちまうんだ。で、今のおれは紫苑しおんに取り憑いているから、当分の間は猫のままだな」

「そうだったの!?」


 面白いくらいに目を大きく見開いて紫苑しおんが驚いている。

 どうせ、あの時猫だなんて思わなければとか、しょうもないことを頭の中でぐるぐる考えるんだろう。


 実は自分でも意外なくらい、今の姿は気に入っている。

 人間にとって身近な動物の姿だと、まず怖がられることはない。実際、紫苑しおんの後輩には初対面にもかかわらず警戒されなかったし。

 耳と尻尾の動きで考えていることが色々バレやすいのが欠点だが。


「ごめんね、アルバくん」

「別に。こっちの方がおれにとっても好都合だから不便はねえよ。だから気にすんな」

「うん」


 うなだれて視線を落とす紫苑しおんに、おれはため息をつきたくなった。明らかに落ち込んでいる。おれみたいに紫苑しおんにも猫耳があったら、シュンと垂れているに違いない。

 その明るい栗色の頭に手を伸ばし、おれはぽんぽんと軽く叩いてやった。

 顔を上げると沈んでいた薄紫色の瞳がみるみる明るくなっていく。花が咲いたように笑顔を見せてくれて、幾分か胸のあたりが軽くなった。


 これでいい。いつだって、こいつには笑ってもらわなくちゃな。


「なんか、獏さんって三重野みえの先輩の彼氏みたいですよね」


 ぽつりと胡桃くるみがつぶやいたのを、おれは聞き逃さなかった。


「はあっ!?」

「ええっ!?」


 おい。なんで紫苑しおんまで素っ頓狂な声をあげるんだよ。

 顔を真っ赤にして、魚みたいにぱくぱく口を開けたりしめたりしている。なんてわかりやすいヤツだ。


「あははっ、獏さんめちゃくちゃ分かりやすいですね!」


 ――って、おれかよ!


「耳と尻尾あるから仕方ないと思いますけど。それで獏さんと先輩は付き合っているんですか?」


 見た目は三つ編みをさげた清楚って感じの女だっていうのに、やけにぐいぐいくるな。


 いや、紫苑しおんのことだからか。他人に興味を持つってことは、それだけ紫苑しおんのことが好きなんだろうし。

 先輩と後輩としていい関係を築いている証拠でもあるのかもしれない。


「そんなことどうだっていいだろ。それにおれはあやかしだぜ? お前ら人間と生きる時間軸そのものが違うだろ」

「それは、そうですけど……」


 あ、やべ。おれ、もしかしたらやらかしたかもしれない。

 明るかった胡桃くるみの顔がみるみる沈んでいく。

 顔を俯かせ、視線を落として。おれの顔も見ずに尋ねる。


「やっぱり、あやかしと人間は仲良くなれませんか? 友達に、なれませんか?」


 胡桃くるみがおれと紫苑しおんのことを言っているわけじゃないことはすぐに分かった。

 ふいに袖をくいっと引っ張られる。紫苑しおんが「アルバくん」と縋るような目で見上げてきた。


「なれるさ。お前がそう望むなら、友達になってやればいいじゃん」

「でも、あのたぬきさんはすぐに逃げてしまいました。頼ってきてくれたのは嬉しいけれど、また逃げられたりしたら、やっぱり悲しいです」

「それなら、お前が改めて言ってやればいい。友達になろうぜってさ」


 ようやく胡桃くるみが顔を上げる。

 傍らにいる紫苑しおんと、目の前にいる胡桃くるみ。なんでおれは二人の女に凝視されてんだろ。

 まあ、そんなことは脇に置いといて。言うべきことは言わなくちゃいけない。


「おれたちあやかしと違ってお前たち人間は夢を持てるだろ。あやかしと友達になりたい。いい夢じゃねえか。でも望むだけじゃ何も変わらない。お前が一歩踏み込んで行動しねえといけないんだぜ」

「……行動、ですか」

「そうだ。どうするかはたぬきの気持ち次第だけど、悪い結果にはならないと思う。だってそいつ、恩返しにお前としばらく一緒にいたんだろ? なんとも思ってないやつが人間の仕事を手伝うかよ。きっとうまくいくと思うぜ」


 胡桃くるみの黒い瞳がみるみる見開いていき、笑顔になる。

 勢いよく頷いて「はい!」と元気よく返事をした。


「そうですね。私、頑張ってみます!」

「頑張れよ。さて、お前の家に行くとするか」


 小走りで先に行く胡桃くるみの後に続く。なのに紫苑しおんは動かない。一歩も歩こうともしなかった。


「アルバくん」

「どうした、紫苑しおん


 振り返ってぎょっとした。紫苑しおんが泣きそうな顔をしていたからだ。

 やばい。おれ、なにかしたか。――と思ったが、どうやら違ったらしい。さっきと変わらず縋るような目で、おれに問いかけてきた。


「わたしも望めば、〝夢〟を叶えられるかな?」


 話はまだ続いていた。紫苑しおんの中で引っかかるものがあったらしい。

 ということは、紫苑しおんは自分が何を望んでいるのか分かっているのだ。そしてあと一歩、その望みを叶えるための行動に踏み切れないでいることも。


「叶えられるさ。紫苑しおんが心からそう望むのなら」


 それならおれは、その一歩が踏み出せるように背中を優しく押してやればいい。


「本当に? わたし意気地なしだし、怖がりだよ?」

紫苑しおんは意気地なしでもねえし怖がりでもないだろ。実際、あやかしであるおれを助けてくれた。勇気がある証拠だ」


 一歩近づいて小さな手を取る。

 指先は震えていた。力を込めて握ってやる。


「こわいなら、そばにいてやる。あらゆるものから守ってやる。だから紫苑しおんは、自分の〝夢〟を叶えたらいい」


 震えが止まった。

 涙で潤んだ紫苑しおんの大きな瞳が細くなる。


 小さくこくんと頷いた後。再び上げた紫苑しおんの顔は、決意に満ちていた。


「ありがとう、アルバくん。わたし、たぬきさんのためにピアノを弾いてみようと思う」


 止まっていた時間が少しずつ動き出した。

 紫苑しおんがまた一歩前進した瞬間だった。

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