[2-3]新学期と転校生

 わたしが暮らしている月夜見つくよみ市は人口三万人にも満たない小さな田舎町だ。

 お店や学校は町中にしかなくって、山間の近くに住む大人たちは買い物や通院をするのに必ず車を使う。

 でもわたしたち学生は当然車の運転なんて無理。だから通学の方法は限られている。

 親に車で送ってもらうか、免許を取って原付バイクで通うか。

 もしくは、バスで通うかのどれかだった。




「おはよう、紫苑しおん


 バス停に行くと先客がいた。近所に住む幼なじみ、雪火せっかだ。


「おはよう、雪火せっか。今日から学校だね」


 雪火せっかは制服をきっちり着込んでいた。半袖の白いシャツも紺色のズボンもシワひとつない。黒地のリュックを背負って本を開いていた。

 意外なことに雪火は一人じゃなかった。その隣には、頭一つ分くらい背の高い、にこにこ笑った男性の姿。その人はなんと、きんいろのグラデーションがかった九本の尻尾を揺らす九尾きゅうびさんの姿で――、って、なんでいるの!?


「九尾さん、なんで!? なんで雪火せっかと一緒にいるの?」

「おや? 私が一緒にいてはいけないのかな」

「いけなくはない、けどっ。でも、夏休みが明ける前に雪火せっかと言ってたじゃない。町のどこに退魔師がいるかわからないから、十分注意しようって!」


 怪異を退治することを生業とする退魔師。あやかしたちにとっては天敵に近い人たちだ。特に妖力が十分に回復しきっていないアルバくんは、絶対に会ってはいけない。アルバくんが見つかったら、物の怪だとか言って最悪消されてしまう。

 それは妖狐である九尾さんだって立場は同じはず。

 そもそも、この町全体を縄張りにしている九尾さんが退魔師のことを教えてくれたんじゃない。なのに、なにちゃっかりと学校に一緒に行こうとしてるんだろう。


「おや、アルバ君の姿が見えないねえ」

「アルバくんには事情を話してお留守番してもらってるの。退魔師と鉢合わせになったら大変だから大事を取ろうって。なのに九尾さんが学校に来たらだめじゃない。万が一、退魔師に会ってしまったらどうするの」


 そうだ。ここははっきりとついてきちゃだめだと言うべきだったわ。

 あやかしだけれど、九尾さんはわたしが一番大変だった時に命を救ってくれた恩人だ。危険な目に遭って欲しくないし、彼になにかあったら雪火せっかだって傷つくはず。


「そうそう。もっと言ってやって、紫苑しおん。九尾ったら僕の言うことに耳を傾けやしないんだから」


 きゅっと眉を寄せて、雪火せっかは九尾さんを見上げたまま口を引き結んだ。不機嫌そうな表情をするのは珍しい。それくらい雪火せっかが真剣に怒っているってことだ。

 なのに九尾さんったら、わたしと雪火せっかの気持ちを知らずか機嫌よさそうににこにこ笑って尻尾を揺らしている。


「君らは心配しすぎだよ。前にも言ったように、一介の退魔師ごときが私になにかできるわけないじゃないか」

「九尾に直接被害なくても相手はあやかしをることができる見鬼けんきの力を持ってる。要注意人物として向こうにマークされるのは、この僕なんだけど?」

「ふふふ、その点に関しても抜かりはないよ。雪火せっかはこの私が責任をもって守ってあげるからね」


 だめだこりゃ。いくら言ってものれんに腕押しって感じ。

 きっと雪火せっかも朝からこのやり取りを何度も繰り返したのだろう。深いため息をついて「もういい」って諦めちゃった。

 九尾さんってば強引にでもついてくる気なのかしら。


「でもアルバさんは九尾みたいに我が儘言わなくてよかった。紫苑しおんの家で匿われているうちは大丈夫だよ。休み中に九尾が張ったあの結界はかなり強力なはずだから」

「うん、それは大丈夫だと思う……けど」


 たしかにアルバくんはごねなかった。不満そうな顔をしつつも素直に聞き入れてくれた。

 でも、もしも九尾さんが学校についてきたって話したりしたら、黙っていないような気がする。

 今朝は見たおいなりさんの夢のことを話してから、どういうわけか九尾さんに対してあたりが強かったし。


「ん? なにか心配事でもある?」

「う、ううん。大丈夫!」

「そう。なら、いいけど」


 雪火せっかは手に持っていた本をぱたんと閉じてリュックの中に入れた。海へ続く道路の向こうへ視線を向けると、走ってくるバスの姿が見えた。


「用心するにはこしたことないからね。紫苑しおん、アルバさんのためにも退魔師には十分注意するんだよ」




 * * *




 人間の町にひそむ異形のものを退治する人たち。退魔師とか陰陽師とかってよく映画やアニメにもなるくらい有名だけれど、現実世界に本当にいるのかな。

 いや。実際あやかしは存在してるわけだし。

 雪火せっかや九尾さんがいるっていうからには、退魔師だっているんだろう。


 朝礼を始める担任の先生を眺めながら、わたしはそんなことをぼんやりと考えていた。


 休み明けに見る先生はあまり日に焼けてない。たしか受け持ちは音楽だったはずだから、夏休み中もあまり外に出なかったんだと思う。

 体育の先生とかはこんがりと焼けてたりするのかな。


「うちのクラスに転校生が入ってきたので、皆さんに紹介しますね」


 先生の話を右から左に流しかけてたけど、その台詞を聞いた途端、意識が一気に引き戻された。


 転校生だなんて珍しい。

 この小さな町に引っ越してくる人は限られている。ほとんどの人は農家か漁師かっていうくらいだもの。まあ工場で働いているっていう人もいるけれど。

 都会とは違って線路が通っていないこの町に移住してくるメリットはあまりない。〝転校生〟だなんて言葉を聞いたのはテレビの中だけだったから、びっくりしちゃった。


 そう感じたのはわたしだけじゃなかったみたい。

 クラス全体に動揺が走り、ざわめき始める。

 先生が「静かにしなさい」とわたしたちを制した。


「じゃあ、入ってきて」


 がらりと引き戸が開く。思わず視線を向けて注目していると、別の意味でまたクラス全体がどよめいた。


 転校生は男の子だった。

 短く丁寧に切りそろえられた髪はなんと銀。動くたびに少し揺れて、日光に反射した髪がきらめいているように見えた。

 目は黒いから日本人なんだろうけど、髪は染めたんだろうか。


 中に赤いTシャツを着ていて、制服の白いシャツは第一ボタンを開けて裾も出したまま着崩している。

 いわゆる、不良というやつなのかな。


 切れ長の目がぐるりとクラス全体を見回す。緊張している様子はみじんも感じられないからすごい。

 ふいにピタリと目がとまった。彼の黒い両目と目があったような気がした。


雨潮うしお千秋くんです。みんな仲良くしてあげてね」


 先生は緑色の黒板に白いチョークで名前を縦書きで書いていく。

 珍しい名字。当たり前だけれど、このあたりではあまり聞かない名前だ。


「えーっと、ちょうど三重野みえのさんの隣が空いているわね。雨潮うしおくん、そこに座ってもらえるかしら」

「えっ」


 三重野みえのというのはわたしの名字だ。三重野みえの紫苑しおん。それがわたしの名前。

 雨潮うしおくんは「はい、わかりました」と丁寧な口調で先生に返事をした。なんか意外。人を見かけで判断しちゃいけないとはこのことだ。


 椅子を引いて座る時も静かな動作で、まるで雪火せっかみたいな丁寧さを持っている。

 たいてい、同い年の男子ってどかっと荒々しく座る子が多いんだよね。


 ここはやっぱり、わたしから挨拶をするべきかな。


雨潮うしおくん。わたし、三重野みえの紫苑しおん。よろしくね」

「よろしく」


 返事は素っ気ないし、雪火せっかと違ってにこりともしない。愛想のなさはまるでアルバくんみたいだ。

 ――って、そんなこと考えたらアルバくんに失礼だったかな。

 口に出したら絶対怒られる。


雨潮うしおくん、教科書もらった?」

「まだだけど」

「じゃあ、今日は私のを見せてあげるね」


 目も合わせてくれないけど、これくらいで負けるわたしじゃない。勝ち負けってなんだろうと思わなくもないけど、ひとまずそれは置いておく。

 顔を見て笑いかけていると、やっと雨潮うしおくんが目を合わせてくれた。

 黒い瞳には愛想笑いをするわたしの顔が映っている。


 ふと、唇を引き上げて雨潮うしおくんは柔らかく微笑んだ。


「ありがとな。助かる」


 言葉少なめだったけど、初めて雨潮うしおくんが笑った。

 近くで見る彼の笑顔はきれいで、不覚にもどきりとしてしまった。


 愛想はなくて口数は少ないけど、動作が丁寧な雨潮うしお千秋くん。わたしの周りでは初めて見るタイプの男の子だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る