森を出よう

藤光

森を出よう


 依頼人の屋敷の庭は広く、緑豊かで、屋敷を抱え込んでいる山懐に広がる森へと継ぎ目なく接続していた。その庭を一目で見渡すことのできる座敷で依頼人はわたしに言った。


「父を探してほしいのです」


 わたしは探偵――。都心にはいくつもある場末の雑居ビルに事務所をおき、人の隠しておきたいことを嗅ぎ回るろくでもない仕事をしている。だいたいにおいて探偵を雇おうなどという人種は、知人や警察などを頼ることのできないを抱えているケースが多いものだが、今回の依頼人は今までになく変わっていた。


 森とみまがう私邸の庭を持ったわたしの依頼人は、頻繁にネット広告を打っている旧財閥系ITベンチャーの社長と名乗った。皮肉なことにその会社はビジネス上の「ソリューション=問題解決」を標榜するベンチャーの一つだった。


「父の居場所を突き止めたい」


 二十代の前半だろう依頼人は、わたしの息子と言っていい歳のころだ。彼は育ちの良さそうな眉間に苦悩をにじませてため息をついた。


「お父様をお探しすれば?」

「いえ、父は自宅におります。恥ずかしながら、ずっと自宅にこもりきりで」

「では――」

「月に一二度、外出するのですが、どこへ出掛けているのかわかりません。父がどこでなにをしているのか、調べていただきたい」


 そう言って依頼人は深々と頭を下げた。


 疑問はたくさんあったが、探偵の仕事は依頼人を信じることにあるのであって、詮索することにあるのではない。なにより、いままで手にしたことのない金額の手付金を見せられて、わたしの好奇心は手足を封じられてしまっていた。


 ――父は運転免許すら持っていません。


 わたしの仕事は、森の屋敷から依頼人の父親――彼は周防と呼ぶことにしよう――が現れるまで張り込むところからはじまった。


 一週間待った。周防は現れない。依頼人は父親が自宅にこもりきりといっていたが、いったいなにをしているのだろう。旧財閥の血筋で息子は社長なのだから、自身もグループ企業のトップではないのだろうか。仕事はしないのだろうか。自宅にこもっていて、月に一二度、どこへ外出するというのだろう。わたしの周防に対する興味は尽きなかった。


 二週間待った。やはり周防は現れない。ほんとうに周防は姿を見せるのだろうか。わたしは依頼人にからかわれているのではないだろうか。周防などという男はほんとうにいるのか、自宅に引きこもっているのか。金持ちのすることは分からない。依頼人が貧乏探偵をからかっていないとだれに言える?


 張り込みをはじめて三週間。わたしは探偵をやめようと決心していた。まいにちまいにち現れない周防を待って、屋敷の門を見張り続ける日々。口座には調査料として十分すぎる金額が振り込まれる。わたしは何もしていないので、これ続けば続くほど、わたしはわたしの仕事に意味を探しはじめる。無為に過ごした三週間、周防が現れないことには意味があるはずだ「おれをほうっておいてくれ」という意味が。探偵の存在意味は? もうたくさんだ、明日には言おう。依頼人に――やめます――と伝えるんだ。


 四週間目。まだ依頼人に伝えられずにいるわたしの前に、その男は現れた。グレーのパーカーにえんじ色のリュックを背負い、街へと向かう道路のバス停に立った。背の高い男だ。フードをまぶかに下ろし、背を丸めている。周防だ。わたしはすぐにわかった。


 バスに乗り街の駅に着くと、周防は都心へ向かう列車に乗り換えた。一時間後、わたしは周防を追ってJR秋葉原駅の改札を出た。新型感染症の流行はひと段落して街に出されていた緊急事態は解除されていたが、まだ秋葉原の駅前は閑散としていた。


 客引きに路上へ出ているメイド服の女性たちを振り切りながら周防は進んでゆく。確固とした目的地のある歩き方だ。彼は秋葉原ここへ来たかったのか。


 駅からしばらく行くと早々に大通りから路地へ折れて何度か角を曲がると、古ぼけた雑居ビルの階段を地下へ向けて降りていった。階段脇の看板に「イチカワムセン」とある。


 地下に降りる。降りきったところにレジがあり、年老いた店主がパイプ椅子に居眠りをしていた。縦にも横にも狭い店舗は、新品、中古、ジャンク品、あらゆる電子部品の棚によって天井から床まで埋め尽くされていた。無数にある小さな引き出しをのあいだを縫うようにして、周防のリュックが狭い通路を奥へ消えていく。


 電子部品を足に引っ掛けないよう注意して、奥へ向かうと周防はいちばん奥の棚の前で足を留めていた。一面にむかしのパソコンゲームが収められている棚だった。CDやDVDのケースはもちろんフロッピーディスクやカセットテープに記録されたものまである。それらが無秩序に無造作に詰め込まれた棚から、周防は一枚一枚丁寧にゲームを取り出しては、愛おしそうな目でそれを眺めるのだ。


 これだけわかれば良かった。わたしは事務所へ引き返し、依頼人に当てて報告書を作るのだ。「あなたのお父さんはバスと電車を乗り継いで秋葉原へ通っています。古ぼけた無線屋でむかしのコンピュータゲームを買うのです」と。


 それだけでいいはずだった。しかし――。


「周防さん」


 わたしが向こう数年は遊んで暮らせる成功報酬を袖にした瞬間だった。


「……」


 周防は不思議そうな顔でわたしを見た。そしてすべて了解した。


 駅近くの小さなラーメン屋のカウンターに並んでわたしと周防は昼食をとった。以前は行列の絶えない店だったはずだがカウンターはガラガラだった。周防はレトロゲームを収めたリュックを大事そうに抱えている。


「息子には心配をかけてしまって申し訳ないと思います。いい年をして家に引きこもってしまって……」


 周防はわたしがなにも訊かないうちから話しはじめた。話しだすと次からつぎへと言葉が止まらなかった。


「表を歩くと恥ずかしくて。『おやあれは周防じゃないのかい?』なんて言われているのかと思うと、パーカーのフードを上げられなくなるのです。息が詰まって苦しいです」


 ラーメン屋に入ると、もうフードを下ろしてはいなかったが周防は苦しそうだった。白髪はあるが目鼻立ちのくっきりした美男子は、嫌でも目立つだろうとわたしは思った。


「90歳になるわたしの父は、この国の経済界の重鎮です。周防の名を知らない経済人はいません。わたしは生まれた時から『周防の子』として色眼鏡で見られ、実際の素質以上に期待され、庇護されて育ちました。そしてそれは今も同じです。


 学生だった頃、流行りはじめたコンピュータゲームを好きになりました。どこか知らない国へ行きたい。だれもわたしのことを知らない国へ連れていってくれるゲーム。見知らぬ国でわたしは自分一人、腕試しができるのです。ただのプレイヤーとしてのわたしは自由でした」


 周防は、さっき店でレトロゲームを手にした時のような、穏やかな表情を浮かべていた。


「でも、わたしがあの頃、ゲームに感じていた自由も、作られた世界で作られた物語を生きるという枠に嵌められていたと分かりました。だとすればそれは偽物の自由です。ゲームここで体験できる感動も、達成感も誰かが作り上げた偽物なんだ」


 周防は力のないため息をつくと、力なくラーメンを啜った。そして時間をかけて一杯のラーメンを食べ切ると、秋葉原にやってきてはじめて笑顔になった。


「――ここのラーメンはむかしの味のままですね」


 そうだ。すっかり客の入らなくなったこの店だが、ここのラーメンはあの頃のまま美味かった。


 数日後、事務所でテレビを見ていると、夕方のニュースに周防が映っていた。政府が進める行政手続きのIT化プロジェクトを担当する企業グループのリーダーに周防が就任するというニュースだった。


 秋葉原のラーメン屋を出て別れたあと、周防の身に何があったのかは知らない。また、詮索するつもりもない。


 カメラのフラッシュを浴びながら、プロジェクトの意義と展望について語る周防は、仕立ての良いスーツに身を包み胸を張って堂々として見えた。能弁で自信に満ちた非の打ち所がないリーダー像だ。


 パーカーのフードをまぶかに下ろした周防。

 背を丸め、雑居ビルの地下へ降りていった周防。

 伸びかけのラーメンを啜っていた周防。

 レトロゲームが好きだと言っていた周防――はそこにはいなかった。


 わたしは周防の虚像を頭から振り払って、パソコンへ向かった。今夜中には報告書を仕上げ、送信してしまおう。それが依頼人に示すことのできる探偵としての誠意だ。考えるのはそれからでいい。時間はたくさんある。

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森を出よう 藤光 @gigan_280614

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