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第一話 過去は断ち切るタイプの男による復習(1)
今や『感染者』というのは、彼らが
とはいえ、それらを身近に感じられず自分には無関係だと
近年導入されたエアコンによってやんわりと温度の下げられた教室内で、
「な、長城、あんた、なに休み時間に教科書開いてんの……?」
わなわなと驚愕に震えたそんな声に振り返ると、そこには『標準』や『平均』といった単語を擬人化したようなクラスメイトの姿。
一切の乱れなく学校の規定通りに着こなされたブレザーの制服。肩の辺りまで伸ばされた髪はまったく染色の施されていない自然体の黒だが、しっかりと手入れは行き届いているのか黒々と艶を放っている。
化粧に関しては校則に細かい規定はなく、ただ派手でないことと表記されているだけだが、そこも女子高生という身の丈を踏まえて『よく見ればメイクしてるな』とわかる程度のナチュラルっぷり。
クラスメイトというかこのクラスの委員長、
万里は心外とばかりに眉をひそめる。
「失礼な。僕が休み時間に教科書開いてちゃ悪いのか」
「あんたが休み時間を勉学に使うなんてこと今までなかったでしょうが。いつも寝てるか遊んでるかしてるだけなのに。……どうしたの? 大丈夫? 保健室行く?」
「失礼過ぎる……」
本気で心配そうな視線を向けてくるクラス委員長。
思い返せば、確かにこんな勤勉さを披露した
「いや、ちょっと気になったことがあってさ、確か教科書に載ってたよなーって思って」
「気になったこと?」
「うん、感染者について」
端的に万里が答えると、固いものを飲み下すような間の後、瀬里が疑問を呈してきた。
「なんでそんなこと調べてんのよ」
「ただの予習復習だよ。他意はない」
ない、はずだ。正真正銘、知りたいという純粋な好奇心から教科書を開いている。
ちなみに感染者のことはいくつかの科目の教科書に掲載されているが、今開いているのは『現代社会』だった。
「ふうん。で、感染者の何を知りたいの?」
「わからない。何がわからないのかを突き止めるために、僕はこうして教科書を開いているのかもしれない」
「キメ顔で哲学者ぶったこと言っちゃって……似合ってないのよ」
「いや、僕もホントに何が知りたいのか漠然としてるんだけど、とりあえず感染者と一般人の違いについて、かな」
「嘘でしょ……。それ小学校で習う内容なんだけど」
前代未聞のバカを見るような眼を向けられた。
それを直視すると心に深い傷を負いそうなので、万里は教科書に視線を固定したまま至極真面目くさった顔で返した。
「過去というのは断ち切るためにあるのさ」
「だったら振り返らずに前に進みなさいよ……まったくもう、長城はホントにまったく、私がいないとホントにダメなんだから」
ちらと横目で流し見た瀬里の顔は、なぜか頬の緩みきった幸せそうなものだった。
しかしすぐにそれも引き締めて、まるでデキの悪い生徒に教えを施す教師のような声音でレクチャーを始める。
「いい? 感染者っていうのはね、常人とはかけ離れた身体能力を有しているのと同時に、常識では計れないような凶悪な特異能力を持ってるのよ。簡単に犯罪を起こしたり、場合によっては人を殺したりできるような、そんな危ない能力を持ってるの。俗に言う感染能力っていうヤツね」
だがそれは、万里にとってはいまいち理解が及ばない点だった。
「いやいや、人を殺せるようなものなら誰だって持ってるだろ。包丁なんて各家庭に一個はあるし、それどころか道端の石ころでだって人は殺せる。詐欺の手法だって多様化してるし、今時デジタルデバイスとかいくらでも悪用できる万能なツール誰でも持ってる。ほら、普通の人間とどこが違うんだよ」
そんな万里の冷静な切り返しに、瀬里は目を丸くして返答に窮した。
クラス委員長様は「あー」とか「えっと」などと必死に反論を捻り出すべく唸る。
やがて瀬里が指を立てて捲し立て始めたのは、万里がもう教科書から答え探すかと思い始めた頃だった。
「そう! 確か精神面の問題だって言ってたわ! 他の人間にはない能力を持っているっていう優越感が犯罪に走らせる傾向を生むって」
実際、感染者の起こす犯罪率は一向に減ることなく、年々右肩上がりだ。
「さらに言えば、感染者の持つ感染能力っていうのは携行する必要のない、物理形態のないもので、
宙に視線を泳がせながらどこか記憶を手繰るように言うその様子からはそれが聞きかじりだというのがまる分かりだったが、それを差し引いても万里は「なるほど」と思った。
「自分を取り巻く環境に何の不満もない人間なんてそうそういないでしょうからね。それを改善しようとしてそういう間違った方向に走るのは、とりあえず説明はつくわ」
「ふぅん、僕にはよくわかんないな」
「ま、しがらみっていうのは歳を経るにつれて増えていくものらしいからね」
遠回しに「あんたはまだ子供だから」と言われているようで気分は良くない万里だったが、ワイドショーからの聞きかじりを弄しているだけであろう瀬里も同い年だ。
その当人が平然としているのを見ると、万里もそれほど胸中にささくれ立つものは感じなかった。
「ま、どんな事情があったところで道を外れるのは精神的に幼稚な証拠よ」
「大人になってから言うべきじゃないかな、それは」
万里は悟った風な見解で咎めるような発言をした当人に聞こえないようにぼやいた。
確かにこのクラス委員長様の言い
それを知らない子供の時分で責めるようなことを言っても空虚なだけだ。
「っていうか、どうして感染者なんていうものが存在してるのかしらね。早く根本的な解決策を打ち出してくれれば、感染者も普通の人間に戻れるのに」
ややあって気持ちを落ち着けた瀬里が、悩ましげに悪態をついた。
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