深夜三時

鹽夜亮

深夜三時コンビニにて

 ああ、今日も眠れない。…いや、違う。今日も私は眠りたくない。


 深夜三時を過ぎたコンビニは、閑散としている。都会ならば人の数人もいるだろうが、あいにく私の住んでいる地域は田舎だ。こんな時間にコンビニに出向く客は少ない。真っ暗な駐車場の車内で、溜め息を吐きながらマスクを手に取る。面倒な感染予防も、こうも長引けばルーチンワークだ。

 自動ドアの前は虫だらけだった。夏は過ぎたというのに、何故こうも羽虫が多いのだろう。なんとなしに足元に気を配りながら、店内へと入る。

 何か音が鳴っている。音楽なのかコンビニのテーマソングなのか、判別する気はなかった。実際、興味のない物事は大して脳に入ってこないものだ。買う物は決まっている。コーヒーのならんでいるコーナーへ迷わず足を向けて、いつもの銘柄を手に取る。食欲もない。他には何もいらないだろう。

「九十三番、二個お願いします」

 店員は慣れた手つきですぐに煙草を手に取ると、ちらりとこちらでよろしいですか、と言いたげに煙草を見せる。私はただ無言でうなづいた。

「煙草、値上がりしますねえ。これなんて六百円になるそうですよ」

「…高いですね。他の銘柄にしようか私も悩んでいるところなんです」

 店員も煙草を吸うのだろうか。喫煙者には悩みの種の『値上げ』という世間話が、何かのあいさつのように交わされる。

「ありがとうございましたー」

「どうも」

 特に話し込むわけでもない。見知った顔ではある。だが、その程度だろう。話すことなんて、何もないのだから。

 再び虫を避けながら店を出ると、すぐ左手にある喫煙所へ向かう。もちろん、人は私以外に誰もいない。夜風は思ったよりも冷え込んでいた。煙草のビニールを剥がし、一本咥えて、缶コーヒーを開ける。一吸いした後に流し込むブラックコーヒーは、どうしてこうも美味しいのだろう。同時に何も食べていないがらんどうの胃が痛んだ。だが、そんなことはどうでもよかった。

 田舎の夜は静かだ。車の音さえ極稀にしか聞こえない。聞こえるのは、遠くで鳴く鹿の声やら虫の声やら、自然の音ばかりだ。何を見るでもなく、正面の暗闇の奥にある名前も知らない小さな山を眺める。もちろん、意味はない。

 こういう時、人は物思いに耽るものだ。深夜一人で眠れないと呟きながら、俯いて煙草を吹かす。そして時折缶コーヒーを呷る…そう、それがいい。何とも絵になるシチュエーションではないか。…

 そんな思考を嗤った。私は何も物思いに耽ってなどいなかったから。

 

 君は病んでいるか?と聞かれたら、たぶんそうだろう、と答える。

 死にたいか?と聞かれれば、死にたくはないが、死ぬかもしれない、と答える。


 ただそれだけだった。悩む余地がない。まるで方程式だ。夜風のように澄み切った素晴らしい思考回路ではないか。…そしてまた自分を嗤った。自嘲という言葉は、どうもこの頃の私には飾りすぎているように思える。そう、嗤っているだけだ。そこに意味はない。馬鹿らしいとすら、思っていない。

 自分の生きる意味やら、希望やら絶望やら、まあ挙げればいくらでも思いつくが、ともかくそれらの何もかもを失ったと考えるようになると、人はこうも冷淡になるものだろうか。よく言えば冷静だろう。苦悩することもなければ、足掻くこともない。ただ、徒然と時が過ぎゆくままに身を任せて、その時々の感覚だけを見つめている。そこに大した意識すらない。無気力なのだろうか、と自分に問いかけてみるが、どうもそれともまた違う感覚のように思える。


「本当にただ何も無い、だけなんだ」


 呟いた言葉を煙草の煙が掻き消した。コーヒーが胃を焼いている。


「でもね」


 誰に言うでもない、馬鹿らしい独り言は続く。


「今は心地いい。五分後生きてるかなんて、知らないけど」


 そして私は、缶コーヒーを飲み干して、嗤った。

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深夜三時 鹽夜亮 @yuu1201

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