第39話稲葉一鉄、士は己を知る者の為に死す



士は己を知る者の為に死す


出典は大陸の史記でしたか。



日本の常山紀談に真逆の事柄で有りながらも、己を知る稲葉一鉄に謂わば「殉死」した罪人の話が載っています。


今までは名将言行録を中心に戦国時代の「逸話」を喩えとして参りましたが、今回は湯浅常山が著した常山紀談に話がありました。


これもあくまで「逸話」としてご覧ください。




士は己を知る者の為に死す


もうこの一文のみで説明がつきますね。

それ程日本人にも通じる言葉かと。

史記にありますが、ある男が士官をします。

一度、二度と士官をするのですが重く用いられず早々と職を辞します。

三度目の主がその男を評価して重要な役目を任せます。男は感謝して仕えました。


ですが貴族の争いで主が討ち取られてしまうのです。

その三度目の主は手前勝手で横暴であり、同情される事もありませんでした。


そこに男が仇を討つ決意を固めます。その時にこの言葉を言ったと伝わります。


「士は己を知る者の為に死す。女性は己を愛する者の為に化粧をすると言う。主君の仇は私がうとう」


その男は名前を変えて、更に女性の化粧を覚悟としてか、漆を顔に塗り人相も変えて仇を狙います。


ですが元々武人ではなかったのか一度目は捕まって露見します。ですが仇の貴族が。


「義人である。赦してやれ」

そう申して解き放ちます。

ですが男は仇討ちを諦めませんでした。


そして二度目。橋で仇を狙いましたがまた討てず捕まります。


仇の貴族が問います。

「何故あの男の様な横暴な者に義理を立てるのだ」

男は答えます。

「あの方は私をひとかどの人物として遇して下さった。ならば私はその思いに応えるのみ」


「もう君は十分にその思いに応えた。そしてもう二度目であるから…君を赦す訳にはいかない」

仇の貴族はため息をつき、言います。


すると男は仇の貴族の衣を最後に求めました。


そして授かった衣に三度切りつけて。


「これで主君に顔向けが出来る」

そして男は己を刺し貫き自害し果てました。


その場の者達はその男の為に涙を流した…そうです。



これは役職にあぐらをかいている人程嫌な話かも知れませんね。

職責を身命をとして全うする事は現代では稀ですし。




そして常山紀談のお話です。



稲葉一鉄、罪人を許す


と言うお話です。


ある時、稲葉一鉄の下人に罪があり、死罪となる事になった。

その刑のとき、下人は泣き喚いた。


「死が恐ろしいのか」

そう問われると、下人は。


「いや、命が惜しいので泣くのではない。命あればこの恨みを一太刀として浴びせる事も出来ように…この様に成り果てた事が口惜しくて泣くのだ」

周りは

「憎いやつだ。早く早く死罪に」

そう言いますが。恨まれた稲葉一鉄は。


「その男を助けろ」 

そう言って縄を解かせて。

「何とかして儂に一太刀浴びせてみよ」

そう言って追い払うと。


「かたじけない、かたじけない」

そう再三言って下人は死罪を逃れ、立ち去った。


その後。

稲葉一鉄が病に倒れて先も無いという時に、その時の下人が病床に現れます。


「力を尽くしましたが、本意を遂げられなかった」

そう言ってまた泣きました。


やがて稲葉一鉄が亡くなり、葬られた墓前に詣でて。

「私が今日まで生きながらえたのは、君に恨みの太刀を一太刀と申し上げたからです。君がお亡くなりになったのに生きていては、処刑の際に泣いたのは、命惜しさに泣いたのだと人々に言われるのが恥ずかしゅう御座います」

そして身を正して稲葉一鉄の墓前で切腹して果てた…

と、伝わります。

罪ありとされた立場の低い下人の身でもとても誇り高くあります。


稲葉一鉄も「西美濃三人衆」の一人として織田信長の覇業に加わり、「頑固一徹」の語源になる程の強者。

その下人ならばこそ…なのか、その時代だったからこその徒花だったのでしょうか。



先の話は「恩」による行いであり、後の話は「恨み」による行いともみれますが、どちらも「自分を認めてくれる相手」が存在しています。

片や主君、片や仇。

片や主君は暴君。片や仇は堂々と。


そして2つの話で仇はその行いに「義」有りと見ています。

ですから、皮肉にも仇も「大人物」であると認めているのです。



話は無数にあれば似通っている話は存在しましょう。

ですが無数の綺羅星の話の中からこの二話を巡り合わせてくれた「読書」とは、感動を呼んでくれる素晴らしき物だとも思います。



今は戦国時代ではありません。

ですから「身命をとして」の奉公や付き合いをしろとは申しません。


また大陸の書物。菜根譚には


友人に対しては、少なくとも三分の義侠心がなければならない。

立派な人間として生きていくには、少なくとも一点の純粋な心を保持していなくてはならない


と、あります。



古の書籍にふれる事は、古の聖賢の士との邂逅である。よく学ぶべし


とも言います。


皆様が、もしこの苦界に悲観したならば好きな書籍を読まれて様々な「感動」で、「生き返る手段」とするのも良いのではないでしょうか。


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