第37話正百枚



正百枚。


皆様はこれを見てどう思われますか?


正しく百枚


でしょうか。


そんなの今の世の中当たり前だよ。と、思われるでしょう。


ですがこの正百枚は江戸も終わる頃のお話だったかと。これも記憶からの抜粋なので詳しい年数はご容赦を。



この正百枚は今では老舗の文具店さんが創業時に社運を賭けた「正しさ」だったのです。



文具店創業時。まわりにはもう商売敵が沢山いました。そしてもうかなりシェアが広く、割り入る隙間も無いかと思われましたが…


その文具店の売りは「正しく」枚数を揃える事。


実はこれはその時代の常識からは逸脱していたのです。


百枚と書きながらも中身は96枚や98枚が多く、百枚を超えたりは殆どなかったそうです。


つまり


看板に偽りあり


でした。


世の中もそれを当たり前としていたので店頭で数を改めたりもせずに店からその「百枚」を買っていました。


それを「おかしい」と感じた創業者が「正しく」百枚入った物を売りました。


百枚の値段を付けて売っているのだから数枚であれ不足は出せない。


現代人に近しい価値観でした。


すると正にその「百枚」に顧客は不満があったようで、正百枚の品がじわじわ売れていくのです。


更に百枚側の紙質は枚数を誤魔化しやすいからか、粗くずっしりした紙だったそうです。


それを筆でもペンでも書きやすくするのに滑りの良い紙まで特注していたと言いますからその新規文具店さんの正に「乾坤一擲」の勝負でした。


するとそれも評判を呼び


大方の予想よりも歳月も経ずに大店へと成長したそうです。


その「正百枚」は特許でも何でもなかったのでしょう。


ですから他の商人達は「正」が売れるとなるとこぞって自分の店でも「正しく」百枚を徹底して商売をやり直して。


結果としてその在り方は「商売」と言う物に一石を投じる結果となりました。






昔は買い物も「勉強」してもらうものだった。



現在の勉強とは学業に励む事を言いますが、昔の勉強とは「おまけ」してくれと言う意味が強かったみたいです。


お店と客の丁々発止のやり取りでした。


台所包丁記


と言う江戸末期から明治迄の正に「台所」を舞台とした書物があります。


奥様と下女を狂言回しとして商人と買い手の駆け引き、生活の知恵等を記した良書です。



ある日、下女に奥様が言います。


「最近お米が不味いわね」


「はい。何故か不味いですね」


「ちょいと見せてご覧」

奥様が米櫃を見ます。

「あの米屋はにくいね。初めに良品を持ってきてすぐにこんな悪い物押し付けるんだから」



こんな感じです。

日本人は誰でもお米に一言持っていると思います。気になりますよね?


昔の人は「正しく」買い物をする事は商人に「勉強、まけて」貰う事でした。

商人はそれではたまらないので騙し合いに発展したようです。


今でもご自分で買い物をされる方ならお分かりと思いますが、虫食いやカビの有無等を青果では見ますよね?

魚であっても見分け方を知る人ならば値段に合うか見分けるでしょう。


製品になっていたら原産国や材料も確認していると思います。


「傷物買い」として割引品を買うことも有りますよね。


江戸末期辺りに比べたらやり取りは少ないですが、我々もその歴史の上に生きていますから知らずに「勉強」していたりもします。



因みに台所包丁記のお米ですが。

初めは粒の揃った透き通った良品のお米だったそうですが、次の買い付けでは、すくんだ灰色の割れ米や小石も多く…それを良品の値段で買わされたので奥様は返品しなさいと「おかんむり」です。


この良書には時代に合わない部分もありますが、歴史を「味わう」には良いと思います。



未だに様々な分野で「偽装」の横行する世の中です。



我々も知らずに加担していないか「正しく」自分を見つめる時かもしれません。

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