第33話サラリーマンあれこれ

今回は企業戦士であるサラリーマンです。


記憶を探りながらなので時代が怪しかったりしますがご容赦を。



サラリーマンの語源とは。



サラリーを貰う人としてサラリーマン。サラリーは給金や月給の事とされます。


そして現代の日本ではサラリーは日本円で支払われる事が殆どです。


それでは


歴史と国を探ってみましょう。



古代のお話です。



古代ローマでサラリーが始まったとされます。

(諸説ありますから一説です)

サラリーマンの語源については古代ローマの兵士の給料が語源とされますね。


サラリーはラテン語でサラリウム=「塩」を意味する言葉が訛ったものだそうです。


そして主にローマ常備軍の給金は「塩払い」だったそうです。


塩が当時は貴重で、金と同じ重さとされたとも聞きます。

それは言い過ぎかもしれませんが、当時金と同じく高価な取引品であったのが「香辛料」だそうです。


「塩払い」は時代が進むにつれて廃れますが、「香辛料」は大航海時代迄莫大な富だったそうです。


ローマのかの有名な独裁官であるガイウス・ユリウス・カエサルも大胆不敵な人物の様ですが、こと香辛料に限っては


使うのを控えた


と、言われています。


彼は金より香辛料に価値を見出していたようですね。

塩払いからそれました。失礼を。



では次は自国の中世に目を向けてみます。




江戸時代の武士のサラリー


有名な収入単位の「石」、コクと呼びます。

これは国の収入を記すにも使われますね。加賀百万石が有名でしょうか。

他にも船の積載量として何石積みの船とも表されたり。

石はかなり様々に活用された単位のようですが、今回はサラリー。収益に限った単位としておきます。


そして石より収入が低いと「俵」ヒョウと表されます。



俵でもうピンと来た人も多いと思います。

はい。江戸時代の「武士」のサラリーの単位です。

そして勤め人である江戸の旗本や御家人は上は石高制のサラリーマン。

下は何俵何人扶持の俵記載。

最下級はサンピン侍。年間貨幣で三両と一人扶持。


そして石も俵もある物を基準とした単位です。


そうです。


江戸のサラリーマン武士は「米」払いでした。 


今でも俵(たわら)に入った米一つを一俵と言いますね。石や俵や升や合は今でも主にお米の単位として使いますね。


米払いの理由はいくつかあるそうですが、私が知っているのは

武士は常在戦場であるから、扶持(手当)は「兵糧払い」とする。と言う説です。

徳川幕府創設期は未だに戦乱が治まりきらない時代でしたから米の価値はかなり高かったようなのです。


そして未だに言われますが、織田信長公と豊臣秀吉公は「貨幣経済」


徳川家康公は「農村政策」


ともいわれます。


徳川幕府は海外との交易の「通貨」としてではなく「商品」として「金」と「銀」を主要輸出品としていたそうです。


ですから国内貨幣は主に「銭」で賄い、他の貴金属を輸出としました。

そして武士には「兵糧払い」として「米」を出す。


正に三方良し


でした。


ですが江戸時代。一筋縄ではいきません。


米は武士の収入。


庶民はきちんと貨幣を使っていたのです。

銭で商う貫高。上方に多い銀制。江戸の金制です。

更に単位も銭は文、貫。金は一朱、一分、両。銀は匁等の単位が…もう沢山ありました。


更にその日その日で相場が上下していたので金銀は幕末ではたまに「取引不可」の日もあったそうです。


江戸時代の武士の日記にも、障子や襖の新調に三人でお金を出すのですが、最年長はニ朱金で払うのですが、若手は「算盤」を弾いて「銭」で払うと金より一人あたり三文は得になると言って、最年長が「細々算盤気に食わぬ」と腹を立てて「勝手に」してくれと引っ込んだりしたそうです。

武士は商いをしないと「建前」はありますが、節約はきちんとしていたようです。


はい。武士も貨幣を使います。

参勤交代の武士は米以外にも貨幣を支給されていましまし、江戸住みの旗本も「米」を商人に任せて「金銀銭」に替えてもらい、商人に手数料を払っていました。

米で物々交換は基本的にできなかったのです。

ですが天下泰平も長くなると、米の相場はどんどんと下がります。

ものの本では一俵が一両前後ともされます。

無理やり現代の円に直しても一両十万円弱であったり、もっと安いともされます。

(多数説あり。現在換算は無理との指摘も)

武士の昇給は殆ど無く、役付きの手当がそこに上乗せになる位です。

武士だからお金持ちとは一概にはいきませんでした。



江戸で一番儲かったのは「大工さん」だともいいます。日に何両も稼ぐ職人も存在したそうですが、肉体労働でありますから、一度怪我や病気になれば…


復帰は厳しい世界だったようです。



では二十世紀へ飛びます。そして海外へ。




二十世紀の「恐怖の」サラリー


南アフリカのアパルトヘイト政策の時代です。


南アフリカは現在でも「ニューワールド」と呼ばれて出来の良い「ワイン」を生産しています。


私も昔低価格の品を呑みましたが、当時の流行りに合っており、程よいタンニンに低価格にも関わらず香味よく、ミディアムやフルもあり間口が広かったです。


何故ワインの話を?


そう思われると思います。



アパルトヘイト


根強い差別の文化です。

今でこそ南アフリカはそれを克服したと申しますが…


アパルトヘイトは白色人種と黒色人種を明確に「差別」していた政策です。


アメリカも意外と最近迄白色人種優位で黒色人種を差別していました。

勿論就ける仕事も入店出来る店も制限されていましたからサラリーのこの話とも無関係ではないです。

平然と白色人種は高給取りで、黒色人種は良くてその半額と言う様な扱いでした。

出来うるなら無くしていきたい感覚ですね。



はい。南アフリカでの話です。


南アフリカはその人口の大半が黒色人種の様です。そこに強権を使った白色人種が君臨していました。


そしてワイン


ワインを作るにはとても手間もかかり、専用のぶどう畑も所有するとなると土地も広大ですし、従業員も多数雇わなければならないです。


ですが南アフリカワインは旨いが安い


のです。



それには勿論「カラクリ」がありました。



上記で日本の旗本御家人は「米」での支払いが主だったと申しましたよね?


そうです。


南アフリカワイナリーは



「ワイン払い」だったそうです


勿論例外やきちんとしたワイナリーもあったでしょうが、雇用主は従業員の賃金をワインで払っていたのです。


先にも述べました。黒色人種が大半の国であると。


従業員、いや「使用人」扱いの黒色人種の人々がワイナリーでのワイン払いの「犠牲者」でした。


その時代を知っている人の著作に出てまいりました。


その方はそのワイン払いが「悪徳」であると申します。


江戸時代の米払い。これにも武士は苦しみましたが、米は今でも我々の食卓にのぼる「主食」です。


では「ワイン」は?


上戸、下戸で呑める呑めないもありますし、ワイン払いのワインを「現金化」しようにも周りもワイン払いの人間ばかり。


ワインに価値は無かったのです。


更にワイン払いは「アルコール中毒患者」を増産したそうです。


それはそうですよね。人は食べねばならない。

米は主食になるけれどもアルコールは奢侈品であり、ワインを呑んでも「茶腹も一時」…続けて呑んで…酩酊して、それの繰り返しで立派なアルコール中毒患者の出来上がりです。

ですが、最悪アルコール中毒…人は「死んで」しまいます。


ワイナリー経営者からするとアルコール中毒患者はアルコールで「釣れば」また「集まり」ますから二束三文のワインが哀れな労働者を多数生み出すのです。


正に「悪徳」でありました。



今では世界の目がありますからワイン払いは止んだそうですが…


人はここまで残酷になれるのかと地獄の端を見た心持ちです。




私の取り上げた三種のサラリー


どうだったでしょうか?


この3つは「平常時」のサラリーです。天下泰平のサラリーです。


「非常事態」の極みである戦争の最前線の様に、配給の煙草を煙草飲みに「高値」で物資交換と言う様な状況でもありませんし。


敗戦の戦後の混乱期の様に、上等の正絹の着物が米一升と交換…なんて時代でもないのです。



我々が普段、労働の対価として受け取るサラリー。


国や時代が違えばこれ程の差異となって表れます。



日本も決して豊かな国とはもう申せません。





我々はいつまで「天下泰平」でいられるでしょうか。

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