第32話川の浅瀬と深みと学び


皆様は川をご覧になられますか?


川には浅い場所と深い場所が水の流れによって形作られるものです。

護岸されていたりする川は少し違いますが。



大抵の川は浅い場所が流れが緩やかで、深い場所は流れが早いと思います。



川の流れは人の人生にも例えられますよね。


川の流れの様に止められない。緩急がある。増水や干上がりもします。


そして川の流れ以外には、人の一生を水に浮く「木の葉」にも例えています。


流れを変える力のない木の葉は川の緩急や風向きによって、安楽な緩やかな流れで一生を終えるか、急流で正しく「木っ端微塵」となる程の激動を味わうか。

この場合は川の流れは世の中の流れや人生の軌跡とも捉えられましょう。



そして魚は水がなければ存在できませんよね。


それを人の世に当て嵌めた有名な歌があります。



白河の、清きに魚も、住みかねて、もとの濁りの、田沼恋ひしき


これが有名ではないでしょうか?


江戸時代の幕政についての歌ですね。

賄賂政治と言われた田沼意次。

次に清廉を旨とした松平定信。


田沼意次は屋敷に戻った時に、幾ら付け届け「賄賂」が多く届けられたかを見て喜んだ…等と言われる、大抵の教科書では「悪役」とされる政治家です。


その次に幕政に参画したのが、徳川吉宗公の血を引く松平定信でした。


初めは田沼色を払拭して幕府の信頼を回復するのですが、清廉が行き過ぎ「冗談」が通じず、次々に「禁止事項」を増やしました。


江戸っ子は冗談や風刺をしてウサを晴らしています。そんな庶民の「呼吸」を止めてしまったので。


濁りの田沼恋ひしき


と、人々は居なくなってから惜しみました。


田沼意次は米を中心とした石高制から貨幣へ経済の軸を移していこうと活動したそうです。

そして今でも名前の知れている


平賀源内


を登用した人物とされています。

平賀源内は幕府のみならず、他藩でも活躍した才人です。田沼意次の先見の明を象徴している人物です。異論は勿論あるでしょうが。


ですが時代は武士は商売をしないと言われた世の中で、幕府も総合商社となるべきだと働いた田沼意次は初めから敵だらけで、「賄賂」を贈ってきた人物を「信用」するしかなかったとも言えます。

賄賂が多くて喜んだのは、田沼は味方を多数得た証拠として発奮したのかもしれませんね。



他にも川は



「知識」の広い狭い



にも例えられませんか?


貴方の知識は「浅い」。いや「深い」


広い知識を持っているね。いや、まだまだ狭いよ。


そんな会話になりませんか?


私等は知人から「何で無駄な事ばかり知ってるのさ」と呆れられます。私はあまり拘りなく本を「積読」しておいて、それを好きなペース配分で読んで、集中力が切れたり、興味が薄れたら次の本へ移る「乱読」もしています。


随分乱暴な読み方だなぁと我ながら思っていたのですが、お世話になっている先生が同じく積読と乱読をして、更には体のめぐりを良くするのにヨガもしながら読んでいると言いますから頭が下がります。


私は好きな分野に「潜る」のが好きです。

料理や歴史が好きで、江戸時代の書物に記載のある料理で再現出来そうな物は「自作実践」を旨としております。


昔同級生から「知ったかぶり!」となじられてからは、なるべく経験もする「実学」を基としようと足掻いています。


ですが私の見識は浅いでしょう。


先生が申しました。


「これを見て」

先生はチョークを机に落としました。


「どう思った?」


「いや、落ちたなぁ…と」

と、私。


「うん。それが正しいよ。『当たり前』ってのは重要なのさ。

もし君が『何故落下した?』と思ってしまうなら、君は『ニュートン』にならなきゃならないよ」

先生が繰り返し言うのです。


「君は何事も研究したがるけども、それは苦しい事でもある。だから当たり前な事には疑問を向けない」

そう気遣って下さいました。


私はちゃらんぽらんで好きな書籍を読むばかりです。

バランスを取るために反対意見を取り上げた記事も読んだりはしますが、それでも「自分勝手の域」を出ません。



その証拠が御座います。



私は有名な作家さんの著作に出てきた「いもぼう」なる料理を食べてみたくなりました。


そして付き合いをしてくれている和食の料理人さんに


「いもぼうを食べたいんですが」

そう切り出しました。


「いもぼう?なんだいそれは?」 

その料理人さんはご存知ありませんでした。


そして知った経緯と大体の作り方を頑張って話しました。

すると料理人さんは。


「いやぁ。大変勉強になったよ。有難う。でもいもぼうは初めて聞いたなぁ」

どんな料理かを聞きながらそうおっしゃいます。



ではその料理人さんは「いもぼう」を作ってくれたか?



そんな事はありません。

その料理人さんは「付け焼き刃」を好まなかったので。


「代わりに地場物の料理なら幾らでも言ってくれ」

そうおっしゃいます。



ではその方は日本料理の一種であるいもぼうを知らないから二流なのか?


違うと私は思います。

その方がおっしゃいます。


「日本全国の料理を本当に極めるなんて一生掛かったって無理だよ。

俺は代わりに師匠の技とこの縁のある県の料理…そして興味のある料理を『理解』して作るだけだよ」

レシピがあるから簡単とはいかないようです。


知識にも言えます。


手広く色々知識を仕入れても、それの本質。

真の知識として消化吸収をして己が血肉に出来る事は少ないと思います。


大陸の書物に「菜根譚」と言う書物があります。


名は体を表すです。


菜根譚とは、野菜や木の根の様に固くてとても食べられないと思う物をもよく噛んで咀嚼し、そして飲み込み、血肉となす。

そう言う意味を込めた名です。


菜根譚だけで幾らか書けてしまう位には私はその書を傍らに置いて人生を歩みました。


ですがその菜根譚でさえ完全なる理解には遠く及びません。


料理人さんがレシピで作らないのと同じです。


「我が物」になっていないのです。



ですから「自分勝手の域」でしかないのです。



「井の中の蛙大海を知らず」



最後にはこの諺が相応しいかもしれません。


ですが井戸の如き深き場所に居る蛙にもその深きによる「知恵」はありましょう。



冒頭の川の流れ。蛙の井戸の様な凪ではない。

この苦界の荒波により大地は削れ暴れ川。 


ですがその急流を皆様は乗り越える術をもうお持ちかも知れないですね。



伝、三途川、あの世ではなく、ここにあり、心の月が、水面照らすか


手前味噌です。




お好きな分野で皆様がご活躍なさいます様に。

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