第30話毎日食べられる事は当たり前か

日本は令和の世の中です。


昭和の終わりから平成の時代は「飽食の時代」と言われました。


凄いです。スマートフォンに「ほうしょ」と入れるとたちまちに予測変換に「飽食の時代」と出ました。


それ程「毎日食べられる」と言う事が日本では「当たり前」の様に語られます。


ですが平成の終わりや令和では


食べられない子供達…


が、取り沙汰されます。

それと合わせて「子ども食堂」の話も。


テレビのバラエティで「貧乏」を面白可笑しく取り上げた番組もありますね。


「笑い飛ばせる」貧乏はあります。


ですが世の中には「笑えない」貧乏だって根強く存在しているのです。




私の祖父母は私が幼い頃から「毎日食べられるのは当たり前ではない」と言い続けていました。




そして祖父は勤めにも出ていましたが、退社後や休日には鍬や鎌等の農機具を一輪車に乗せて、祖母と幼い私を伴って田畑に出ます。



そしてその田畑への通い道すがらも「勉強」があります。




すいば、すかんぼ


聞いた事有りますか?

正式名称かは分からないのですが、用水の脇の草むら辺りによく自生している背丈のそこそこある「雑草」です。


ですが「雑草」と言う植物は存在しません。


すいば、すかんぼも「食べられる」のです。

外皮が固い太めの茎を、外皮を剥いて齧るのです。

すると「酸っぱい」のです。

そして竹の様に空洞です。

酸っぱいのは苦いより良い。おかずにもなる。


私は真っ先にその「草」を覚えました。




皆様は「道草」を採取している人をどう思いますか?


「貧乏だなぁ」


「食べ物ないのか」


そう思われますか?



ですが「春の七草」は「道草」でもあるのです。


田畑の「あぜ道」で採取出来る冬場春先には貴重な「青物」


そして春の七草には「ナズナ」も有りますよね?


種が三味線弾きに使うバチ、もしくは三味線そのものに形が似ているので「ぺんぺん草」とも言います。


更にはナズナは夏菜。もしくは夏無。冬場に青々と、雪にも負けずに茂るのに、「夏場」に枯れるのです。

ですから夏菜。これは諸説あります。古いものの本で読んだ記憶がありますがネットに有りますかどうか。


若い芽は柔らかく旨味も有りますし、種はヌメリがあり、やはり旨味も有ります。


どこかで記載したかもしれませんが、ナズナは昔の大和朝廷への「税」の一つでした。単位は俵だったと。

昔読んだ租税の現代語訳に記載がありました。


そして春の七草は雅な朝廷の公卿達の風流な「野草つみ」と言う行事の一環でもありました。


普段は公卿やその子女達は「活発」であることは「はしたない」とされました。


極端ですと、十二単衣を着込んだ子女は「歩く姿」を見られる事もはしたなかったと言います。

移動は専ら「牛車」とされて、それも御簾が掛けられて貴人の姿を外から隠します。


そこまで秘匿されている公卿や子女の活発さ。


野草つみは屋敷から出て伸び伸びと活発になれる「行楽」でもありました。



くどい位の私の思いは。


歴史は地続きだと言う事です。


長じて学校で歴史、世界史、現代史を習いますと


人類は「貧困」を「根絶」出来ていないのです。


人類は「自分達以外」と仮定した「他者」に「貧困」を「押し付けて」誤魔化している様に感じます。



「差別」ですよね。





また身近に目線をうつします。



ぎしぎしの若葉と根っこ


羊蹄(ぎしぎし)と言う野草は見た事は有りますか?


痩せた土地にも根深く根を張り肉厚な緑の葉を茂らせる下草です。


その若葉は例えるなら「じゅんさい」の様にヌメリのある仕上がりになります。癖も少な目で十分食用の野草と言えるでしょう。


更にはぎしぎしは立派な「根っこ」を持っています。


何に効くのかは覚えていないのですが、その根っこを干して病気の時に「煎じて」薬湯にしていたそうです。


その効き目については祖父母は懐疑的で、祖父母の親世代は薬として飲んだりしていたそうですが「何に効いてるのか分からない」と二人は口を揃えて言いました。


ですが病院を受診したり、薬の処方を頻繁にうけるのは費用が高額になりますよね。

ですから「何に効くか分からない」けれども、いざと言う時の為に覚えておきなさいと「教わりました」


昔の狂歌でしたか


にんじんで、病気治って、首くくる


高価な薬である「にんじん」で病気が治っても、にんじんを買った時の借金でどうにもならずに首を吊る…


嫌な狂歌です。


そして現在。



医療費高騰…とも騒がれていますよね?



私がお世話になっていた医師は


「いつ医療が機能しなくなるか分からない」

と言っていて、昔からある「和漢」に注目しなさいと強く言っていました。

和漢の材料は意外と身近に有ります。


別の話で取り上げました木下藤吉郎と呼ばれていた太閤豊臣秀吉公が小者の時に「捨てるみかんの皮」を薬屋に売って小袖を仕立てた…と言うお話。


みかんの皮は「陳皮」と言う漢方の生薬です。

様々な漢方薬に配合されていたり、身近な「七味唐辛子」にも入っていたりします。

長野県の善光寺の名物の七味唐辛子には入っています。


何故お寺の名物に?


それは昔はお寺には「医僧」と呼ばれる人々が居て、和漢に通じて生薬を処方したりしていたからです。

更に古くには、仏教創始の「ブッダ」が痛みを訴える者に「びわの葉」を炙り患部にあてたりしたとも聞きます。

ですからお寺はお医者さんでもあったのですね。


現在はみかんも身近で買えたりもしますから、私はみかんの皮を剥く前に洗剤で洗って布巾で拭いて皮を剥いて実を食べて。

そして皮を日陰で干して自分で陳皮を作ったりもします。



そしてまた近くに。

身近な野草には「ヨモギ」もありますね。


似た野草にアレルギーを起こす「ブタクサ」があったりしますが、ヨモギは潰すと独特の「香気」がありますので分かると思います。


昔は家の軒先には刈り取ったヨモギを乾燥させるのにぶら下げていたりもしました。


更にヨモギの若芽は柔らかく「餅草」とされて「よもぎ餅」にもなります。

ヨモギは「ガイヨウ」と言う生薬です。


海外ではハーブの女王等とも呼ばれる様です。


ヨモギなんて「雑草」で「道草」だろう。そんなの汚いから要らないよ。


確かに不用意に野草に手を出すのは汚いかもしれません。


ですが洗浄、加熱すれば雑菌や寄生虫も死滅します。


それでも心配なら自分でガーデニングで育てるのも良いかも知れません。


「道草」を何で育てるんだ?


そう思われますよね。


ですがその道草のヨモギ。


「買う」とかなりの「高額」なのです。


ヨモギ茶のティーバッグ十五個入四十五㌘でも千円位。

裁断された乾燥ヨモギは三百㌘入で四千円位します。


馬鹿になりませんよね。


更に通常のヨモギではないですが、育ったヨモギの葉の裏の産毛を刈り集めると「モグサ」になり、鍼灸に使われる「お灸」になるのです。


薬効は、私は医師ではないので主張しませんが少し調べるだけで様々出てくると思います。


祖父母はヨモギや他の野草を布袋に入れて「入浴剤」にしていました。


本来でしたらそうやって様々「有効活用」出来る物を我々はいかに「無下」にして「無駄な出費」をしている事か…




更に古語には今の我々の上辺の「お金主義」を注意する様な話が伝わります。


人の物は盗むべからず。天の物は盗むべし。


この様な話です。


昔、貧しい家が二軒ありました。

ですが年を経る毎に一軒は段々と豊かになり、もう一軒は貧しいままでした。


貧しい家の男が豊かになった家の男に聞きました。

「お前さんは何で俺と変わらないのに豊かになったんだ?」

すると聞かれた男が答えます。

「俺は盗んだんだ」

貧しい男は早合点して家に帰り、早速他人の家に盗みに入りました。


ですがすぐに見付かって役人に突き出されます。

貧しい男は嘆きながら豊かな男に言います。

「俺は盗みに失敗して捕まったぞ。何でお前は捕まらないんだ」

豊かな男はため息をついて言いました。


「そりゃあ人様の家に盗みに入るなら捕まるさ。

俺が盗んだのは人様でなく天からだ」


「天から金が降ってきたんか」


「金では買えないものだよ。

俺は天から時間を盗んだんだ。その時間で種をまいた。

俺は天から水と光を盗んだんだ。そうしたら種から芽が出る。

俺は天から暖かさと寒さを盗んだんだ。そうしたらまた時間を盗んで…

時期が来たら作物が収獲出来るんだ。

天の物は誰の物でもないから俺みたいな貧しい者にでも盗ませてくれるんだ」


そうです。豊かな男は天が与える時間や天気を「盗んで」、そして地道に畑を耕して実りを毎年少しずつ増やしていたのです。

貧しい男は努力も辛抱もせずに他人から盗む事を考えてしまいました。


本当に豊かになりたいなら、「天の恵み」を大切にする事です。



今の世の中は「貧乏」「お金がない」「食べられない」「住む場所も…」


どうしてこんなに糸が絡まる迄人々は放置してしまったのでしょう…


飽食の時代


全くの


真っ赤な嘘


だと感じます。





昭和の演歌


昭和枯れすゝき


ご存知でしょうか?


昔からススキはどこか寂しさをたたえていると思いませんか?


昭和枯れすゝきでは男女二人の苦しみや葛藤…


冒頭に、貧しさに負けた…


ともあり、枯れすすきとは人々の悲しみを受け止めているのかもしれません。



幽霊の正体見たり枯れ尾花



この枯れ尾花とはススキの事とされています。


どうしてこんなにも酷い扱いなのでしょう。



お月見の団子とともに添えられる時位でしょうか。


ススキが顧みられるのは。


昭和枯れすゝきにも「花」にもならないと言う様に言われ、根の強い「雑草」として折角耕した土地にもあっという間に繁茂します。


侘びしく貧しい姿と重なるのは仕方ないのでしょうか…





ススキは食べられる。


ご存知でしょうか?

ススキは「イネ科」であり、「時期」さえ間違えなければ食べられるのです。



また祖父母の話です。


減反政策によりススキ野原になっている打ち捨てられた田畑に寄ると。


まだ青い状態のススキの穂先をちぎって皮を剝きます。

するとまだ水分を含んだ「穂」が顔を出します。


その「穂」を祖父はむしゃりむしゃりと食べました。


「これは生で食えるんだ。旨くないが腹の足しだな」

そして私にも差し出します。


確かに美味しくないのですが「食べられます」


大東亜戦争の最中、人々は「何でも」利用しました。


祖父母も私の父に何もおやつもあげられない事をわびながら「ススキの穂」を出したそうです。


悲しいススキのお話です。



説教出来る立場ではないのに…説教臭くぼやいて申し訳ありません。


ですが大人でも困窮する世の中です。


子供達に何が出来ましょう。


江戸時代の上杉家では中興の祖、上杉鷹山公が「かてもの」として食べられる野草の手引書を作り配布したとされます。

上杉鷹山公は貧しいながらも天から盗み、領民を安んじようとされました。



私は己の無力さに打ち震えて己が身を強く握る事しか出来ません。




この感情は「偽善」でしょうか。

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