第24話何事も程々に


私は何事にもつれて「怠け心」が起きます。

私は興味の無い事を学ぶ忍耐がなく、小中高一貫して怠け者でした。

勉学はせずに、野山を駆け巡り虫や魚をとって日々を過ごしていました。

私は自然が大好きでして。それ故に駆け回り「学び」ました。

ですが学校ではビリッけつです。何せ学問致しません。

ですが課外授業で外出しましたなら、採取したい植物の場所、鳥獣の場所、その辺りは地図も無くても案内出来ましたので教師も頭ごなしには言いませんでした。


ですが私は目的については「がむしゃら」でした。

高校も相変わらず勉学はしませんでしたが、どうしてもやりたい「部活動」がありまして、その為に高校を選び、毎日部活動に励み、更にはそれを極めたいと思い進学もしました。

ですが、授業にも組み込まれない部活動です。それを主眼にした学校が地元にはありませんでしたから教師に相談して「将来の学費」の為にバイトもしていました。

そして親とも何度も話し合いましたが満場一致の「反対」でありましたので学費等は一円も貰えません。

でしたので予てからのバイト貯金と「新聞奨学生」として奨学金を得る事にして進学しました。


そして新聞奨学生で「私以外の怠け者」達に出会います。

奨学金を受けてまで「好きな」勉学に励もうと言うのに朋輩達は労働を半ば放棄していました。

新聞奨学生は朝刊、夕刊の配達や集金、翌日の準備をこなし、その「隙間時間」を「勉学」にあてます。

彼等は怠けの「天才」で、いかに人に労働を押し付けるかを議論していました。

私の怠け心等小さいのだと思い知りました。そこでは「がむしゃら」であったのは私しか居ませんでしたから、そのがむしゃらが私に災難を運んできました。



戻りまして。

はい。

私個人の性質と致しましても「怠け」と「がむしゃら」が同居しています。

ですがそれはどちらも「良くない」とも言えます。


本来でしたら「ほどほど」が一番なのでしょう。



皆様はどうですか?

やはり怠け心とがむしゃらは同居されてますか?





仙人は中道


とも言われます。

大陸で信奉された仙人ですが、仙人は神ではない様です。

そして怠け者でもがむしゃらでも仙人にはなれません。

中道…「ほどほど」が重要だそうです。

よく神仙の画図には酒を携えた仙人が描かれます。

そうなのです。仙人は飲酒します。

更には人里にも降りてきて食事もしますし「女性」も求めます。

ですが「行き過ぎ」ません。すべてがほどほどなのです。善にも悪にも親しみ人々と同じ様に生きる。

ですが「世俗の塵」から逃れるのに深山幽谷には籠もったりもするみたいです。


仏教的に有名な「寒山拾得」も神仏と仙人の境を行ったり来たりしています。


寒山拾得とは寒山と拾得と言う二人の生き仏の話…でしょうか。

寒山は夢破れ妻子のもとに帰らず、深山幽谷に籠もり一人存在します。狂った人にも見えたと。

拾得は寒山の籠もる山にある僧堂の小間使いで今で言う知的障害とされます。

拾得は寒山になつき、寺の残飯を籠に詰めて寒山に届けます。

寒山はそれを有り難く頂きながら二人で幽玄な山々に過ごし歌を読み、詩を作り、一見遊んでいる様なので僧侶達は汚らわしい者を見る様に無視するか、時には冷やかしました。

ですが都から偉い学僧が僧堂に参りますと、その学僧は拾得に案内して貰い寒山と出会います。

そして寒山が住居する洞穴に彫られた漢詩の見事さに言葉を失います。それからは僧堂に滞在中は山で三人で過ごします。

学僧は「さても僧堂は勿体無い。この様な仏がおりながらその仏よりも僧堂の修行のが尊いと申す…」

都に帰る時にそう言い残しました。

そして明くる日寒山と拾得は姿を消しました。

寒山は浮浪者同然でしたが拾得は僧堂の小間使い。所有物です。僧侶が山に探しに向かいます。

そして山の岩肌や河原の大岩に漢詩が彫られているのに初めて気づきます。

その漢詩は諸行無常であり大地であり悟りも内包していました。

僧侶達は寒山の洞穴にはたどり着けなかった…とも言われますが、その山の異様さは寒山と拾得がただの狂人ではなく「仏」とさえ言えると物語っていたそうです。

大陸の話ですから内容は正に仙人の世界です。ですが今でも寒山拾得の作とされる漢詩は収蔵され出版もされていますから架空の人物では無い様です。


日本文学でも「善人は最後は乞食になるしかないではないか」

「しかして私は乞食となりても悪い相手の戸口に立って情けを求める事は出来ない」

「私は家族を愛している。故に悪人となって富み栄えねばならないのだ」

そう登場人物に語らせています。

これも両極端ではありますが、上記の寒山拾得等は善をなす為に「乞食」に身を置いて人々の修養の為に漢詩と言う言葉を残した…とも言えますかね。

どちらにせよ「極端な環境」ではありますが思考は「中道」ではあったと思います。

長くなりましたね。



次には…



辞世の句は平静の時に作るとよい。



そう言われます。

これも「中道」、ほどほどであります。

今に伝わる武将の「辞世の句」

これは本当に死の間際に詠まれたと言うのは少ない様です。大抵は歌会等で何首か詠み、その中から出来の良い物を自身の辞世の句としたみたいです。

ですから辞世の句が二首残っている…と言う方もいらっしゃる様です。


有名な辞世の句でしたら


露と落ち、露と消えにし、我が身かな、浪花の事は、夢のまた夢


有名な太閤豊臣秀吉公の作とされます。


しかしてこの句には「返句」が存在します。


嬉しやと、ふたたびさめて、一眠り、うきよの夢は、暁の空


何を隠そうその返句は徳川家康公が返したものでした。


秀吉公が少し儚んだ歌を詠いますと、その歌の夢のまた夢に、嬉しやとふたたびさめて一眠り…と来ます。

意味合いは「儚い夢とおっしゃいますな。まだまだですぞ。太閤が夢ならば私ももう一眠りして、また天下を競いましょうぞ。ほら、そう言う間に暁ですぞ」

私訳ですが。


この事から秀吉の句は死の間際ではなく「平静」の時に作られたとされます。

私はこの二人のやり取りは好きでしたから小耳に挟んだのを覚えていました。


死の間際等人間にとって「最高の恐怖」かもしれません。もういよいよとなると呂律も回らず、何も言えずに旅立つ事も…

ですから「平静、冷静」な時に遺言なり身辺整理なりを行うのが良いかと。死出の旅が近くなるほど人は冷静ではいられず、とんでもない間違いを起こします。

少し変わりまして。

死の間際の人に対しては「死に水」「末期の水」があります。

喉が渇くそうで、水で湿らせた布巾で口元を濡らすのです。もしくは医療が発達していない時代からの習わしですから水を飲むか飲まないかで生死を判断したとも。

その中では夏目漱石は「食通」の意地を通したかと。

最後に「赤ワイン」を匙で飲ませて貰い旅立ったそうです。

また横道ですね…

ですがこの苦界。一体誰が自分の死出の旅を見送ってくれるでしょうか…それを思うと怖くなります。



多少横道に逸れてしまうきらいはありますが、おおよそ私は「ほどほど」が世渡りには必要なのではないかと思います。






私事で恐縮ではありますが…


私が成人して仕事につくにあたりまして、私は我社利益よりも取引先や顧客の皆様に「先に」得をして頂こうとしてまいりました。そして「後に」我社が得をすれば良いと。

生意気ですが社訓にも「お客様第一」とありましたから。

2021大河ドラマの主人公、渋沢栄一翁は武士に取り立てられて後、明治の世に武士が卑しんだ「商売」に身を投じます。

そこで相容れない武士道と算盤を両立させ、国から冷遇されながらも事業を起こして人々の助けを第一とされました。

その辺りの哲学は渋沢栄一翁の「論語と算盤」に詳しいですね。


私の体験を連ねて恐縮ですが。

私が顧客対応で「酒類部門」に居ました時、お客様が「バーボン」をお探しでした。

ですが不勉強でバーボンはウイスキーの一種…位しか認識しておらず、先輩方も「ウイスキー」を薦めておられたので…普通なら話は「終わり」です。

ですが私はそのお客様のニーズに答えられなかった事が喉の小骨の様に引っ掛かっておりまして。

街の個人の酒屋さんに押しかけ弟子入りをして様々なお酒の種類やブレンド、旬や、良心的な酒屋さんの見分け方迄伝授して頂きました。

自前でカタログや指南書も揃えました。それが「お客様の為の接客」につながると信じて。


結果として「お客様」には手前味噌ですがご満足頂く機会が目に見えて増えました。

ご予算、酒類、味の好み…お伺いしながらご案内させて頂いていました。

お客様に応対する職業でしたら、お店側店員は単一に相手を「お客様」としか見ない事が多いです。

ですが「お客様」からしますと「担当店員」は店の顔であり、「名前の見える個人」です。

ですので私がお客様から「店員さん」から「○○さん」と呼ばれる迄時間は掛かりませんでした。

次第に酒類以外にも販売商品全体について「ご案内」を求められる様になりました。

「がむしゃら」の結果…ですね。

給料に見合わない!

そう言われる人も多いと思います。

ですが「信頼」はお金では買えません。ですから私個人としましてはお引き回し下さる「お客様」は大切でした。



ですがやはりがむしゃらではいけないのです。


数ヶ月で私は「地下監獄」と呼ばれる左遷部署に回されました。

理由は簡単です。

同僚が私を嫌ったからです。

序盤の上記にも「怠けの天才」達が居るとお話しましたが、同僚、後輩、上司は天才でした。

はじめは私に多くお客様案内が回るので、「俺達は楽だな」と歓迎されていました。

ですが次第に他の同僚が私に「良い気になるな」と言い出します。

同僚がお客様のご案内をする時に「○○さん」ならすぐに分かるのに…と仰るとか。

更に私が私費で仕事の書籍を読むのも「バカの買い物」と誹ります。

「お前が頑張ると迷惑なんだよ。消えてくれ」部署ではいつの間にかそんな扱いになっていました。

しまいには責任者が「頭を冷やせ」として地下監獄に送りました。


うだうだと、太刀山は何を言いたいのだ…

迂遠な話で申し訳ありません。


申したいのは、今の世の中「がむしゃら」な努力は「怠けの天才」に貶められ、自身の出世や安楽を妨害すると判断されるとすぐに「排斥」されてしまうのです。


ですから「ほどほど」が今の世の中の処世術と言えるでしょう。

それもほどほどにサボる事です。


今の世の中「がむしゃら」「真面目」は命がありません。


因みに飛ばされた地下監獄ですが。

地下二階にあり、数時間毎に大型トラック5台程の荷物を数人で仕分けねばならず、電気も空調も切られているので、夏は熱中症、冬はあかぎれ凍傷は当たり前の場所で、「専属」は私一人で、他部署からたまに応援が入る程度。

ですがそうやって退職を迫られても親からの援助無しが当たり前の生活ですから辞めれません。

ギックリ腰も局部のブロック麻酔で誤魔化し、同僚にトン車で轢かれた足も、救急車や労災にもならず、引き摺りながら仕事です。

その地下監獄の「おつとめ」の最長記録を出しました。

地下監獄は販売品全てが集まります。幸い私は販売部門全体を勉強していたので滞りなく「仕分け」をしてエレベーターに乗せますので、以前の罰直的に地下監獄に配置された人々は「仕分け」していなかったので、「仕分け」をして売り場に上げる私に同情的な同僚も出てきて…


ですが「がむしゃら」には変わりありません。

最後は給料をカットされて職場で熱中症で倒れました。



救急車等来ません。


辛うじて空調のあった「喫煙室」の床に転がされていました。


目覚めた私に、責任者が「生きてたのか」

そう冷たく言いました。



皆様。

「ほどほど」でいいのです。

私の様に後にはボロボロの心身のみが残るなんて馬鹿な事にはなって欲しくないのです。

「努力の否定」等はしたくはありませんが…


生きている事が一番の「大事」です。


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