エピローグ

「ここかあ……」

「ここかあ……」

 針村孝士が言った。

 古びた日本家屋を玄関先から見あげる孝士の隣には、制服姿の覆盆子原れのんの姿があった。

「ずいぶん荒れてんね。ま、何年も放置すれば、こうなっちゃうか」

 れのんの言った通り、その土塀に囲まれた大きな屋敷には傷んだ部分が目立つ。壁や屋根瓦は汚れてくたびれ、横手の庭も雑草がのび放題。長いあいだ手入れされていないのが一目瞭然だった。

「んで、どういうケースなの?」

 れのんが訊いた。

 孝士はリュックからタブレットPCを取り出し、ルートナビのアプリを起動させた。すると画面にこの周辺の地図が表示され、小さな情報ウィンドウが開いた。情報ウィンドウには今回の要対処に関する詳細が記されている。孝士はそれにざっと目を通した。

「えーと、殺人事件だね。被害者はこの家の家主の人。死因は刺殺。奥さんに殺されたみたい」

「うげ、いやな事件……」

 れのんは顔をしかめ、鼻筋に皺を寄せた。

「ここに住んでた老夫婦、もともと不仲だったらしいよ。ケンカが絶えず、近所でも有名だったと。事件の当日、スライスチーズの袋を手でちぎって開けるか、ハサミで切って開けるかで口論になったって書いてある」

 そんなつまらない理由で殺人にまで発展するとは。あきれたれのんが小さく息を吐いた。

「奥さん、どうなったの?」

「もう亡くなってるね。警察に自首したあと、高齢だったのと諸々の事情を考慮したうえで実刑は免れたみたい。けど心労がたたったのか、釈放後からまもなくして、臼山町の病院で死亡が確認されてる」

「……マジで気が滅入ってきた」

 とれのん。

 孝士も同じ気持ちだった。彼は後ろを振り返ると、そこに突っ立っていた折戸謙に声をかけた。

「折戸さん、鍵くださいよ。勝手口の鍵、持ってるんでしょ」

「ん? ああ……」

 ここにきてからひと言も発していなかった折戸が、そう生返事で応える。

 折戸から鍵を受け取った孝士とれのんは、正面から見て左側となる屋敷の庭へと向かった。だが、ぼーっとする折戸はなにかに深く考えをめぐらせているようで、その場を動かない。

「折戸っち、なにしてんの。いくよ」

 れのんに言われ、ようやく折戸は歩き出した。

 荒れるがままな雑草だらけの庭を横切り、三人は裏の勝手口へと回り込んだ。途中、たまたま居合わせた野良猫が一匹、孝士たちの姿に驚いていずこかへ逃げていった。

 土塀と母屋の隙間が狭い家の裏側も、草がぼうぼうだ。そこにはボイラー用の大きな灯油タンクが設置されていた。すぐ横に勝手口のドアがある。

 孝士が勝手口の鍵を開け、アルミ製のドアに手をかけた。よく言われる人の住まない空き家が劣化するというのは、本当だ。窓や出入口の開け閉めがなくなるため、換気がされず湿気がこもるのだ。いま三人が勝手口から覗き込んでいるのは、家の台所だった。そこからも黴臭く湿った空気が感じられた。

 古い家だとて土足はまずい。孝士は外のコンクリでできたポーチのところで靴を脱ぎ、家へあがった。れのんも同じようにしてつづく。そして折戸も靴を脱ぎかけたが、彼はふと思い立ったように、

「あ、そーだ。おれ、あれやるわ。ほら、お札で──」

「今回、お札の結界は必要ないですよ。ここにいるの地縛霊でしょ。ほかの場所に逃亡する可能性は薄いですから。いちおう説得して、だめならすぐに強制成仏させましょう」

 サボる口実をあっさり孝士に潰され、折戸が鼻白む。仕方なく彼も家のなかへ足を踏み入れた。

 台所からは家の奥に長い廊下がのびていた。が、古めかしい木の雨戸が閉じられているため、外からの採光がない廊下は暗い。

 れのんが壁に電気のスイッチを見つけた。手をのばしてパチパチやってみるが、天井の電灯は点かなかった。

「電気、止まってんじゃん」

「れのん、どこの部屋にいるのか、わかる?」

 孝士が訊ねる。すると、れのんは複雑な表情をして彼を見返した。

「……あのさ、なんであんた、あたしのこと呼び捨てにすんの? 初日からなれなれしくない?」

「あれ、いやだった?」

「いや、べつにいいけど」

 調子を狂わされたのか、れのんは宙に視線をさ迷わせる。

 霊感の鋭いれのんは廊下の先から幽霊の気配を感じ取ったようだ。彼女が率先して歩き出し、あとのふたりはそれを追った。

 板張りの廊下は三人が歩くとひどく軋んだ。どうもこの家はところどころガタがきているようだ。やがてれのんが足を止めたのは、源氏襖で仕切られている部屋の前だった。

「ここだね」

 言って、れのんがスクールバッグからコルト・パイソンの霊子ガンを取り出す。

 孝士は暗がりのなか、手探りで襖の表面を探った。指が引手のへこみに触れた。孝士は手に力を込めて、ゆっくりと襖を開いた。

 趣のある和室。茶色い染みのついた雪見障子を越して、外からの光が射し込むそこは八畳ほどの広さだ。中央に大きな木製の座卓が置かれ、床の間もある。

 人の姿はなかった。だが、いる。

 孝士にも、すぐ近くに幽霊の気配が感ぜられた。そして三人が部屋に踏み入ると、どこからか声が聞こえた。

「こら──」

 座卓の手前に、すうっと人の姿が浮かびあがった。

「部屋に入るときには、ひと声かけんか。あと、襖を開け放しにするんじゃない」

 しゃがれた厳格そうな声。和服姿の男性だった。三人に背を向けて座っている。

「この家の方ですか?」

 と孝士。

「そうだが。おまえらはなんだ?」

「申し遅れました。わたくしども、霊界データバンクの地域巡回スタッフです。この物件の管理者である不動産屋の依頼で参りました」

「当家の主人はわしだ。用などないぞ、とっとと帰れ」

「いえ、ここはもう相続登記が済んでます。つまり、この家はあなたのものじゃない」

「死んだ者にまで法律を押しつけて縛ろうというのか」

「とおっしゃられても、こちらも仕事なので」

「栄利にかかずらう塵界の浅ましさには、あきれるな」

 人は誰しも年齢を重ねれば思考が硬化し、とかく傲慢になりやすい。

 これはめんどくさそうだ。孝士は相手に気づかれぬよう、小さく鼻を鳴らした。

「自分が死んだこと、ご存知ですよね?」

「ばかにするな。死んだとてボケてはおらんぞ」

「では、成仏していただけませんか。この土地には新しい住宅を建てる予定なのですが、取り壊しに際して、幽霊が邪魔をするという被害が発生しています」

「自分の屋敷に押しかける不届き者を追っ払って、なにが悪い」

「ええ、わかります。ですが、現世にいるからには、人間側のルールに従ってもらわないと……」

「それを言うなら、この屋敷内ではわしが規範だ」

「いや、だからですね──」

 目の前にいる幽霊の姿が、ふと黒ずみはじめた。危険な兆候。

「あの、あまり圧を強くされますと、こちらもそれなりの対応を取らざるをえないので」

「くどい。帰れ」

 話は平行線の一途だ。孝士の隣にいるれのんが霊子ガンの撃鉄を起こした。霊子増幅器作動。霊子力ビームがいつでも撃てる状態に。

 孝士はれのんの肩に軽く触れて、彼女に待ったをかけた。

「そこをなんとか。いま成仏していただけると、あの世で輪廻転生するときに、転生先が優遇されるクーポン券とかもらえますけど、だめですか?」

「いるか、そんなもの!」

 怒鳴ると同時に、幽霊の身体が急激に膨れあがった。天井に届くほどに巨大化し、孝士たちのほうへ振り向いたその姿は、完全に悪意が具現化した悪霊のものだ。肉体を持つ魂を憎悪する目が爛々と輝いている。血肉を求めるように、三人へと襲いかかる。

 すぐさま待ち構えていたれのんが霊子ガンの引き金を絞った。霊子ガンの銃口から加速された霊子が飛び出す。その光線に撃ち抜かれた悪霊は、霊子どうしの霊子核反応により、質量をエネルギーに変換されて消滅する。ほんの一瞬だけ、はかない輝きを最後に残して。

 幽霊の構成体である霊子が消えた。すると依り代をなくした魂はあの世へ逝くのだ。

 何事もなかったように部屋が静まりかえる。要対処完了。三人は家の外へ出た。

 夕暮れだ。臼山町の空が茜色に染まっている。

 三人はきた経路を逆にたどって屋敷の玄関先に戻った。孝士はルートナビに仕事が終了した旨を入力した。そのデータはすぐにネット回線を通じて、霊界データバンク本社のメインフレームサーバーへと送られる。

 今日は、孝士が円島支社へ配属された二度目の初日。予定の業務はこれですべて終わりだった。

 外の道路には円島支社の軽四が路駐してある。孝士たちは事務所へ帰るべく、屋敷の門戸へ足を向けた。

「まあ、あんたがんばったよ。初仕事にしてはね」

 並んで歩く孝士へ、れのんが言った。

「でも、ああはなりたくないよねえ。生きてたころの財産に執着してさ。幽霊ってこんなのばっか」

「幽霊、きらい?」

 孝士が訊いた。

「うん。きらいだね」

 とれのん。

「そっか。でもあの人、自分の家を守りたかったんだよ」

「え? なにそれ」

 れのんが孝士のほうへ顔を向けた。すると、彼は足を止めて背後の家を顧みている。

「ここ、立派な家だしね。長いあいだ住んでて、思い出がいっぱい詰まってたんだろうな。いいことも、そうじゃないことも。その場所と別れるのがつらかったんだよ。未練を捨てられないって、わるいことかな? ぼくはそういう気持ちをなくしちゃうほうが、さみしいし、悲しいと思うよ」

「ん……」

 いまひとつ釈然としないれのんだったが、孝士の言わんとするところを汲んだのだろう。孝士のことを本社から送られてきたばかりのド新人だと思ってなめていたが、ちょっと見る目が変わった。

「ああっー!!」

 突如、大声を出したのは折戸である。

「いいの思いついた! こいつのあだ名、ハリソン!」

 孝士を指さしてドヤ顔を決める折戸に、れのんは口をぽかんとさせた。

「なに、折戸っち……ずっとそれ考えてたの?」

「おう。こいつ、これからいっしょに仕事する仲間だからな。ハリソンて、悪くねえだろ?」

 折戸に言われた孝士は、ちょっと戸惑ったあと、苦笑いで肯いた。

 そうか、仲間か。助け合い、これから起きる悲喜交交を分かち合う同士。

 多少のゆらぎはあったものの、孝士は結局、霊界データバンクへ戻ってきてしまった。

 あの外法古墳での一件があったのち、本社の四門仁那が言っていた〝いい働き口〟とは、もちろん霊界データバンクのことである。孝士は円島支社へ配属となった。待遇はボーナスなし、通勤手当なし、残業手当なしの最低賃金。まさしく飼い殺しだ。

 しかし、どれだけ時間を跳び越えて三千世界をめぐったとしても、きっとこうなるのは宿命だったのだ。ならば、受け入れるしかない。

 車のほうから、折戸とれのんが孝士を呼んでいる。

 これからは大変だろう。でもたぶん、あのふたりとならうまくやってゆける。孝士はそう思う。

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幽限會社 霊界データバンク 天川降雪 @takapp210130

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