円島警察署を出て駐車場に

 円島署を出て駐車場に停めてある車まで戻った。炎天下にさらされた軽四の車内は、まるでサウナのようだ。折戸は車のエンジンをかけ、エアコンの風量を最大にして、しばし車の外で待つ。署の建物が作る日陰まで歩いてたばこに火を点けると、彼は自由と安らぎの香りを満喫しつつ、さてどこから手をつけるべきかと考えた。まず最初にゆく場所は決まっている。昼飯だ。それからあとはどうしようと迷ったあげく、折戸はとりあえず、いちばんのキーパーソンである焼死した少年の住まいへ向かうことにした。

 円島市の東、山地にほど近い郊外。円島署から車で三〇分ほど走ったそこは、田んぼや畑地にまぎれて住宅が点在するのんびりした場所だった。

 あらかじめ調べてあった住所へ到着すると、火事で全焼したアパートはすでに取り壊されたあとだ。六〇坪ほどがなにもない空き地となっており、生命力の強い雑草がすくすくと育っている。

 少年は両親が亡くなったあと、アパートでひとり暮らしをしていた。係累として面倒を見てくれる親族は近場にいなかったため、九州の遠い親戚が形ばかりの後見人となったことがわかっている。高校を卒業後は進学せず、漁網を製造する小さな町工場に就職したが、両親の保険金が支払われてからすぐに退職。以来、蓄えを切り崩しつつ生活していたらしい。

 空き地とは通りをはさんだ反対側に何軒かの住宅が並んでいた。折戸はそちらへ足を向け、最も近くにあった家のインターホンを鳴らした。

 玄関はモダンなドアで、ポーチのところにいくつも植木鉢を並べてある真新しい家だった。しばらく待ったが、反応はない。もういちどインターホンのボタンを押したが、留守のようだ。あきらめ、折戸は踵を回した。

 家の敷地から通りへ出るとき、ひとりの中年女性と出くわした。やたらつばの広いガーデニング用の帽子をかぶり、薄い紫の割烹着を着た女性は、葉野菜を入れたカゴを手にしている。自家製の野菜を畑へ採りにいった帰りだろう。折戸の姿を見て彼女は立ち止まった。

「こんにちは。こちらのお宅の方ですか?」

 折戸は家のほうを手で示し、声をかけた。そうですがと答えた相手へ、彼はゼネラル・データバンク機構のニセ名刺を差し出す。

「わたくし、保険会社の依頼で以前、この近くであった火事の件を調べている者です。ちょっとお話、よろしいでしょうか?」

 にこやかに切り出すと相手の警戒は緩んだ。つづいて折戸は表情をやや深刻なものに変えると、

「大変でしたね。大きな火事だったんでしょう?」

「ええ。そこにあったアパートが全部燃えちゃったのよ。恐かったわ」

 女性が空き地を指し示し、折戸もそちらをちらりと見た。

「おひとり亡くなったそうですね。アパートの住人の方が」

「そうそう。一階に住んでた若いお兄さん」

「お知り合いだったんですか?」

「知り合いっていうか、顔を見たら挨拶するていどだったけど」

「どんな感じの方でした?」

「そうねえ、あんまり社交的なほうじゃなかったわね。おとなしそうで、家から出ることもほとんどないようだったわ」

 この女性、意外と少年の両親が亡くなったことを知っているのかもしれないと折戸は思った。田舎の情報網はばかにできない。

「火事があったのは六月でしたね。アパートのほうで、なにか変わった様子はありませんでしたか?」

「それ、警察の人にも聞かれたけど、特になかったわねえ」

「さようですか。こちらも警察に話を伺ったんですけど、どうも火事の原因がまだはっきりとわかっていないんですよね。それでわたくしどもも困っておりまして」

「あらそうなの」

「どんな小さなことでもけっこうなんです。火事の前後にあやしい人物を見かけたとか、なにか不審な点はありませんでしたか?」

 折戸の問いかけに女性は眉を寄せ、首を傾げた。

「あやしい人物って言われてもねえ。このへん、地元の人しか足を運ばないところよ。──あ、そういえばあの火元の部屋、やんちゃそうな子たちが出入りしてて、溜まり場になってたみたい。それくらいかしら」

 例の四人のことだろう。やはり彼らが深く関わっているのは確定のようだ。しかしいま折戸が知りたいのは、問題の四人を狙っている何者かの情報である。

「ほかに、その部屋に出入りしていた人などはいなかったんですか?」

 だめもとで訊いてみる。が、女性は首を横に振った。

 警察もさんざん調べたろうし、やはりいまさら新情報が簡単に出てくることはあるまい。折戸は引きあげる潮時だと感じた。あとは適当に言葉を交わして、去ったほうがよさそうだ。

「でも、延焼しなくて幸いでしたね。真向かいですもん、びっくりなさったんじゃ?」

「ほんとよお。あそこね、見た目はきれいだったけど、古い木造のアパートをリフォームしてあったのよ。火の勢いがすごかったんだから」

 へえ、と折戸。

「それでね、わたし見ちゃったの」

「なにをですか?」

「死体」

 女性は口元に手を寄せ、ひそめた声でそう言った。折戸は相手と調子を合わせるように、あえて顔を大げさにしかめた。

「うへえ」

「あの火事があったのは早朝だったけど、近所の人の大声で目を覚ましたの。すぐに消防車がいっぱいきたわ。もう、ほんとすぐよ。でもなかなか消えなくてねえ。落ち着いたのは、朝の七時くらいだったかしら。それから警察の人がきて、現場検証ってやつ? なんかずーっと調べてたわよ。そのときに見たの。二階の窓から」

 急に口数が増えた女性は、もともと話し好きだったようだ。彼女が自宅の二階へ目をやり、折戸もそちらを見た。たしかに家の二階には、アパートの建っていた空き地のほうへ面した出窓がある。

「アパートは壁とか全部燃え落ちて、柱だけになっちゃってたわ。そこに、こんな感じで死体があったのよ」

 女性はわざわざ持っていたカゴを地面に置くと、両腕の肘を曲げて身体に引きつけるような体勢で縮こまった。いわゆるボクサー姿勢だ。焼死体は高熱により四肢の筋肉が収縮するため、そういった形となることが多い。

「言ってはなんですが、いやなもの見ちゃいましたねえ……」

「うん。でも、真っ黒だったからあんまり死体って感じじゃなかったわよ。それでね、その横にもうひとつ、小さい死体があったの」

「小さい死体?」

 折戸は純粋に興味を惹かれてそう訊いた。すると女性は、ほらわたし視力がいいからと前置きして、

「若いお兄さんがね、大家に黙ってなにかペットを飼ってたのよ。かわいそうに、火事の巻き添えで、死んじゃったんだわ」


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