円島警察署のとある一室。

 円島警察署のとある一室。殺風景な室内だった。スチール製の簡素な椅子と、灰色の机。窓は壁の高いところに小さいのがあるのみ。

 折戸謙は狭苦しいそこで焦れていた。ずいぶん待たされている。スマホを出して時間を確認すると、昼を過ぎたところだ。腹が減った。それでよけいにイラつく。ここは灰皿が置いてなかったので、気を紛らわせるためにたばこを喫うこともできない。

 部屋の隅で年代物のエアコンがカタカタ鳴っている。明かり取りの横に長い窓から、四角く切り取られた夏空を眺める。ため息、貧乏ゆすり。無為な時間が刻々と流れる。

 ふいにドアをノックする音を聞いて、折戸は脇腹を突かれたように身体をびくつかせた。椅子の上で居住まいを正すと、ドアが開いてひとりの男性が部屋に入ってきた。

「刑事課の北室です」

 椅子を引いて折戸の正面に座った男性はそう名乗った。髪を短く刈った彼はどこか硬い雰囲気があり、いかにも刑事然としている。

「ども。おれ、こういう者っす」

 折戸は用意したあった名刺を北室へ手渡す。

 名刺を受け取った北室は、それを顔の前まで持ってゆくと目を細めた。北室は四〇代半ばといった容貌。早期の老眼だろう。

「株式会社ゼネラル・データバンク機構──の、折戸さんね」

 自分の口にした言葉が本当かどうか確かめるように、北室が折戸の顔へぎょろりと目を移す。折戸は薄笑いを浮かべて肯いた。

「あのそれで、話のほうは通ってますよね?」

「ああ、聞いてるよ。でもその前にさ──」

 北室は折戸の名刺を机の隅に置くと、腕を組んで背を丸めた。そうして、まるで内緒話でもするかのように机の上へ身を乗り出してくる。

「折戸さん、あんた、いくつか前科あるね」

「は? ええ、まあ昔ちょっと……ハハ、そういうの、調べたんすか?」

「そりゃ調べるよ。だってそうでしょ。いきなりわけのわかんない会社から、うちの職員そっちに送るんで捜査資料を見せろ、なんて言われたらさ」

「ま、たしかに」

 いま折戸が北室に渡した名刺は円島署の窓口でも見せた。さすが警察、市民の情報は深いところまでがっちり握っているのだと、折戸は妙なところで感心した。

「でさ、このなんとかデータバンク機構って、なにやってる会社なの?」

 言われた折戸は北室から視線を外すと、ぼさぼさロングヘアーの頭を掻いた。

「いやあ実のところ、おれもペーペーなんで、よく知らないんすよね。なんか、クライアントから依頼を受けていろんなリサーチしたり、コンサルみたいことやってるとしか」

「じゃあ、今回のは保険がらみ?」

「そういうことっす」

「誰に依頼されたの?」

「言えませんよ。守秘義務あるんだし」

 折戸は着ているワイシャツの下で、脇汗が横腹を伝って腰のところまで流れるのを感じた。さすがに刑事を前にして堂々と嘘を並べるのは、肝が冷える。

「あの、なんか取り調べみたいになってません?」

 と、笑いながら冗談めかして折戸。しかし北室はそれを黙殺した。彼はしばらく真意を探るかの鋭い目で折戸を眺めたあと、この部屋に入るときから携えていた事務用ファイルを机の上に置いた。

「なんにせよ、びっくりだよ。上からの命令だとはいえ、正式な手続もなしで警察が事件記録開示するんだからね」

 折戸も同じ気持ちだった。さきほど北室に渡したニセ名刺、それにゼネラル・データバンク機構という架空の会社──いずれも霊界データバンク本社からの指示によるものだったが、まさか警察にそんな小細工が通用するとは。

 おそらくは自分や北室の知らないところで、事前に上層どうしの協議が行われたのだと折戸は思う。もっとも霊界データバンクはあの世とこの世を仲立ちするほどの企業である。それが国家権力と渡り合えたとしても不思議ではない。ことによれば、警察のほうから霊界データバンクへ依頼があったとも考えられる。折戸は自分の所属している組織ながら、あらためて霊界データバンクという存在に薄ら寒いものを感じた。

 気を取り直し、折戸は机に置かれたファイルを開いてなかを見てみる。なんの変哲もない青い事務用ファイルには、数枚のペラ紙が綴じてあった。すべてコピーだ。内訳は警察の調書や死亡診断書など。しかし、どれも肝心な部分は黒いマジックで塗りつぶされていた。

「ありゃ……」

 折戸がつぶやき、上目遣いで北室を見る。

「全部見せるわけないでしょ。必要な分だけだよ」

 北室は当然だといった表情。彼はさらに、

「持ち出しはもちろん、コピーも禁止だよ。スマホで写真を撮るのもだめ。アイズ・オンリーってやつね」

「はあい」

 と折戸。居丈高な北室だったが、特に腹は立たなかった。向こうは仕事なのだ。こちらもやることだけをやって、とっとと帰ろう。

 捜査資料は部分的にマジックで塗りつぶされているとはいえ、大まかな内容は把握できた。

 まずは発端となった事件から。四人の高校生がクラスメートをいじめて金銭を巻きあげていたというもの。よくある話のようだが、高校生がやるカツアゲなどとは額がちがっていた。被害に遭った少年は、親の銀行口座から数回にわたりカネを引き出し、数十万円を四人へ渡していたそうだ。しかし事が発覚後、被害者側と示談が成立し、容疑者の少年四人は家庭裁判所へ送致されたが保護観察処分となり、この件は終了。

 つぎは保険金が絡んだ殺人放火事件。前述のいじめに遭っていた少年の両親が交通事故で亡くなった。事故に不審な点はなく、ふたりが加入していた保険会社は満額を受取人である遺族の少年へ支払った。問題なのはそれからしばらくして、保険金を受け取った少年も火事で亡くなったことだ。多額の遺産を狙った殺人──真っ先に容疑者として浮かんだのは、高校時代に彼を脅していた四人だ。しかし、あまりにも短絡的で杜撰な犯行にもかかわらず、証拠は見つからなかった。嫌疑は濃厚でも、証拠がなければ立件できないのが司法である。まだ四人が未成年だったことも影響したのかもしれない。当時、マスコミが県警の不甲斐なさを批判していたのは折戸も憶えている。この事件は発生から二カ月経ったいまも解決に至らず、警察が焼死した少年の口座を凍結したため、遺産だけがあとに残り宙に浮いた形となっている。

 気の滅入る話だった。折戸はいったんファイルから顔をあげると、

「たばこ喫っていいすか?」

「だめ」

 北室は取りつく島もない。

「いや、そこをなんとか」

「こっちも我慢してんだよ」

「ハハ、そっすか」

 乾いた笑い。折戸は仕方なくふたたび捜査資料へと目を戻す。

 肝心なのはここからである。折戸はこの別件の詳細を知るために円島警察署まで足を運んだのだ。

 一週間ほど前、一連の事件に関わったであろうと思われる少年四人のうち、ひとりが死んだ。彼は円島市を離れ、別の土地で大学に通っていた。死因は頭部損傷。歩道橋から車道へ転落したのち、車に轢かれたのだ。目撃者によると、まるで誰かに突き飛ばされたように、歩道橋の手摺りを勢いよく乗り越えて転落したそうだ。しかし当時、夜の歩道橋の上にいたのは被害者と目撃者のふたりだけだった。

 それから四日後、四人のうちの別なひとりがまた死んだ。高校を中退後、ぶらぶらしていた無職の少年とあったが、どうやら地元の暴力団と関係を持っていたことが発覚している。死因は複数の外傷による出血性ショック。殺人事件の被害に遭ったのだ。犯行時刻は深夜。現場は被害者の自宅近くの路上。死体には無数の切創、刺創に加え、擦過傷が多数あったという。凶器は不明。先端が鋭く尖った錐のようなものと推定される。擦過傷については殺害後、地面を何度も転がされたのだろうと補足してあった。目撃者はなく、警察は四人のうちの残るふたりに任意で事情を聞いたものの、彼らは関係ない、憶えていないの一点張り。円島警察署は警察本部の刑事部とも協力して、現在も捜査中とのこと。

「いやあ、こえーなー」

 折戸はファイルを閉じた。そして頭の後ろで両手の指を組むと、彼は上半身をのけぞらせて天井を見あげた。

「犯人、誰だと思います?」

 そのあまりに素朴な質問にあきれ、北室は鼻を鳴らしてちょっと笑った。

「目星がついてりゃ、とっくに挙げてるよ」

「刑事さんの見立ては?」

「言えるわけないだろ。まだ継続中の事件なんだから」

「これ、たぶん同一犯ですよ。あきらかに怨恨でしょ。特にふたり目の殺し方がえぐい」

「ほお。ご立派な推理で」

「死んじゃった一家の関係者で、こういうのやりそうな人いなかったんすか?」

「そりゃこっちが知りたいよ。あんたもこの件、調べてるんだろ。なんか情報ないの?」

 言われた折戸はしばらく考え込んだ。

「もしかして、殺された誰かのユーレイがやった、とか……。ほら、いま時期だし。真夏の怪談」

「ばか言ってんじゃないよ。警察も忙しいんだ。終わったんなら、もう帰りな」

 北室は聞いて損したといわんばかりの顔で、犬か猫でも追っ払うようにひらひらと手を振った。

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