それからが大変だった。

 それからが大変だった。

 孝士の検視を担当した医師やら看護師がただちに病院へ呼び戻され、彼は再検査を受けた。関係者各位は深夜だというのにお気の毒である。

 診断の結果は、心身ともに異常なし。結局、土砂災害による死亡と断定された孝士の検視結果は誤診となり、彼は手続上でも正式に生き返った。翌朝、連絡を受けて病院に駆けつけた両親にはわんわん泣かれ、おなじく会社の上司からも幽霊を見るような目で見られたりと、いろいろあった。そんなこんなで孝士がようやく落ち着けたのは、同日の夕方になってからだ。

 医者の話によれば孝士は身体面と精神面でかなりのストレスを受けたとのこと。よって現状での異常は認められないものの、数日間の経過観察を行うためにしばらく入院するはめとなった。

 あてがわれた病室のベッドで横になりテレビでローカルニュースを観ていると、昨夜の円島市臼山町にある外法壁で起こった土砂災害のことが報じられた。マスコミによって空撮された崖崩れの現場が、テレビの画面に映し出されている。

 外法壁は臼山町の東にある急斜面の名称だ。人里に近いが周りは草木が密に茂る場所で、野生の動物なんかにもたまに出くわす。孝士の勤める建設会社は公共工事として、外法壁近辺の道路整備と土地の造成を県から任されていた。崖崩れのあった夜、孝士はおなじ会社の作業員である宮城と建設重機の回収に外法壁へ赴いたのだが、えらい目に遭ったものだ。

 病室の隅に置かれた、備え付けのテレビにヘルメットをかぶった女性リポーターの姿が映った。孝士はリモコンでテレビの音量を大きくした。

『現場では斜面が大きくえぐられ、茶色い土があらわとなっています。工事関係者の話によると災害当時、ふたりの作業員が現場におり、そのうちひとりが崖崩れに巻き込まれて──』

 自分のことだ。なんともいえない気分になり、孝士はテレビの電源を落とした。

 横になって枕に頭を乗せると、スチール製のパイプベッドがぎいっといやな音を立てて軋んだ。昨日から今日にかけての出来事で、疲れていた。そうして仰向けの体勢で白い天井を見あげつつ、孝士が考えたのは、あの奇妙な臨死体験のことだ。

 ──へんな夢だったなあ、あれ。

 まっ白な空間。三途の川のタクシー。輪廻管理センター。そして、そこで出会った簾頭鬼という地獄の悪魔みたいな人物。自分は彼と契約を交わした。なんていったっけ。たしか、霊界データバンクとかなんとか。

 孝士は思わず苦笑した。あほらし。ラノベじゃあるまいし。彼は自身の想像力のたくましさに感心しつつもあきれた。自分が置かれていた現状に満足できず、あのような夢を見てしまったのだろうか。しかしまあ、貴重な体験といえばそうかもしれない。

 ふと病室の窓に目をやると、地平線に近い空が茜色に染まりはじめていた。昨日まで円島市に近づきつつあった台風は、温帯低気圧となり消えてしまったようだ。二階の個室から見えるのは、実にのどかな田園風景。青々と育った稲が密集する田んぼが連なり、その合間にぽつぽつと人家がある。田んぼのなかを突っ切ってのびる農道に、一台の軽トラックが走っていた。孝士はなんとなしにそれを目で追った。

 現実だ。ここは、現実の世界だ。

 ──あのまま、死んじゃったほうがよかったかな。

 ぼんやりと窓の外を眺めつつ、唐突に思った。この世はめんどうなことが多すぎる。夢のなかじゃ生き返ることをよろこんでいたけど、実際そうなってみれば、やはり現実を生きることに付随する苦しみや厭わしさが重く身にのしかかってくるのだった。

 これから先のことを考えると、なにもかもがいやになってきた。孝士はベッドに寝たまま、全身を脱力させた。

「はあ……」

 意識せずにため息が出た。と、まるでそれに呼応したかに、病室のドアがノックされた。

 誰だろう。孝士がそう思ってドアのほうに首を回すと、ふたたびノックの音が響いた。

 ベッド上の孝士は半身を起こし、返事をした。すると横にスライドする病室のドアが少しだけ開いて、その隙間にひょいと人の顔が現れる。

 ぼさぼさロングの髪型をした見知らぬ男だった。彼は孝士の病室内に目を走らせると、

「すんませ~ん、ここ針村孝士くんの病室?」

「はい。そうですよ」

 と孝士。それを聞いた男はスライドドアを大きく開けて、ずかずかと病室内に足を踏み入れてきた。

「ども」

 チャラい。孝士は歩きながらぺこりと頭をさげた相手を見た瞬間、そう思った。加えて、この手合いは自分などと決して相容れないタイプの人種だろうとも。

 趣味の悪いピンストライプ柄のスーツを着た男は、孝士よりも年上だろう。三十路間近といった風采である。しかし、八〇年代のロックスター風な見た目からくる果てしなく軽薄そうな雰囲気のせいか、まともな職に就いている人物とは思えない。

 男はにやけた表情でベッド脇までくると、ちょっとのあいだ孝士を品定めするように眺めた。

「あー、おれ折戸っつーの」

「おりど、さん?」

 孝士はあからさまに怪訝な顔で言った。いったい誰だ。来客なんて聞いてないし、そもそも自分は面会が制限されているはずだ。

「そう、折戸。えっと、はいこれ名刺」

 折戸と名乗った男が、よれたスーツの懐から一枚の名刺を取り出した。おずおずと受け取った孝士はそれに目を落とす。

 数舜のあと、孝士は息をのんだ。それから彼は、信じられないといった顔をして折戸へと目を戻した。


  幽限會社 霊界データバンク円島支社

  地域巡回スタッフ 折戸謙


 名刺には、そう書かれてあったのだ。

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