血は争えぬ

ヨル

巡りゃんせ。


巡りゃんせ。


私の想いよ巡りゃんせ。


私の怨みよ巡りゃんせ。


雨垂あまだれよ、石を穿うがちて、川と成れ。


成れば、流れて、満ちりゃんせ。


七代先まで満ちりゃんせ。


巡りゃんせ。


巡りゃんせ。


私の怒り、病となりて


憎きこの地を巡りゃんせ。


巡らば、老若男女、腐らせて


溶けて流れて


魚を肥やす、糧と成れ。


巡りゃんせ。巡りゃんせ……─────



###


──アレは美しい女だった。

光に透かすと薄く緑が浮かぶ艶やかな黒髪に、切れ長の瞳。

薄く桃色に染まった頬に、形のいい唇。

引き締まっていて、それでいて柔らかな体に鈴を転がしたかのような声。

その容姿に優るとも劣らない気立ての良さ。


どこをとっても完璧で、男の理想を詰め込んだような、そんな女だった。


片田舎の地主の娘だったあの女をなんとしてでも手に入れたくて、家の権力に物を言わせて女を娶った。親にはどこの馬の骨とも知らん娘となどとしつこく小言を言われたが、女の顔を見ると渋い顔をしながらも結婚を認めた。あのうるさいお袋にさえも是と言わせる程に、女は美しかったのだ。


立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花。それでいて働き者で、誰にでも優しく、粋も忘れない、男顔負けの男前な性格と来たものだ。人に好かれないはずがない。

女はあっという間に屋敷に仕える者たちの信用を勝ち取り、町で評判の麗人になった。

春には子供も授かり、何一つ問題はない、なにもかもが順調な日々が続いたんだ。


──あの日までは。



軋む階段を降りて、岩壁が覆う通路の先を目指す。充満しているムッとした湿気とカビ臭さに顔をしかめながら歩を進めれば、頑丈に組まれた木の格子が見えてきた。


「…………」


格子の奥には以前より少し痩せたあの女が座っていて、そのすぐ側には異様な姿をした化け物が二体、女の傍らで眠っていた。が、そのうちの一体がこちらの気配に気づいたらしく、顔をあげ、ニタニタとした不気味な笑顔を向けてくる。背筋が寒くなるような、薄気味悪いその笑顔に気圧され、若干後退るが、相手は牢の中にいて出てこれはしないと言うことを自分に言い聞かせ、毅然とした振る舞いを持ち直す。

女もこちらに気づいたのか、顔をあげ、ゆるりとした動作でこちらを向いた。


「……畜生腹とは聞いていたが、本当に畜生を産むとはな。いや、畜生というより化け物か」


──七日前に、年を六つ七つ重ねた子供の上半身と、馬と魚をかけ合わせたような生き物の下半身を接合したような姿をした化け物を二体、女は産んだ。


手の指の間には薄い膜が張り、馬に似た深紫色の蹄のついた長細い4本の足には刺々しい鰭それぞれが生えている。

背には上半身、下半身共に背骨に沿って魚の背鰭のようなものが生え揃い、明らかに馬じゃない細く長い尾の先は魚の尾鰭のようだ。

肌や毛並みは死人の肌のように青白いし、本来耳があるはずの場所はのっぺりとしていて、代わりに頭頂部に馬の耳が生えている。髪は鰭と同じ青緑色をしていて水深が深い川の水の色そのままだ。

何より、山吹やまぶきの花の色をした瞳に浮かぶ、馬や牛と同じ、横長の瞳孔が浮かぶ目が悍ましくてならない。


貌が女と同じ、いや、それ以上に端麗であるが故に異質なその他の部位が強調され酷く目につく。そんな化け物同然の生き物を二体もこの女は産んだのだ。


改めて自分の目で認識したこの事実に、胃酸がせり上がって来るのを感じる。

産婆から、『奥方が産んだ子供が異様な姿をした双児だったため神の元に返そうとしたが奥方が許さなかった』『あれは外に出さない方がいい』と聞き、その日のうちに使用人に女共々座敷牢に送らせたが、その判断は正しかったと強く思う。仕事が忙しく、今日初めて女が産んだ子供を目にしたが、これは外に出してはいけないものだ。

どんな噂が立つか分からないし、最悪家が没落しかねない。


俺は懐から小刀を取り出すと、格子の隙間から投げ入れ、女に命じる。


「明日の朝までにその化け物共を片しておけ」


その言葉を聞いた女は立ち上がり、格子越しに俺に詰め寄ってきた。


「腹を痛めて産んだ我が子を私に殺せと申すのですか。貴方は」


「産婆が神の元へ返そうとしたのを邪魔したのはお前だろう。他人の手を許さぬのなら自分の手で送れ」


「この子たちは貴方の子供でもあるのですよ!?」


「そんな化け物が俺の子供なわけないだろう!誰にでも色気を振りまくから妙な呪いや気を貰って腹の子供が歪むんだ!!」


「色気など振りまいたことはありませんし、この子たちは化け物などではございません!!この子たちは」


「黙れ!!いいか!その化け物共を始末しない限り、お前をそこから出しはしないし飯も与えん!……分かったな?」


一息にそう言うと俺は踵を返し、もと来た道を引き返す。


「……えぇ。分かりました。乳を最後の一滴までこの子達に与えたあとは潔く飢えて死ぬとしましょう。一年と少しの間でしたがお世話になりました。義一かずよしさま」


鈴を転がすような声でそううそぶく女に舌を打つが、振り返ることはせず出口に急ぐ。強情を張れるのも今のうちだけだ。限界が来れば実行せざるをえまい。多少の口答えもその美しさに免じて許そう。

子供はあの化け物共を始末したあとまた作ればいい。


そう考えて、俺は座敷牢を後にした。



###



『──ねぇ、おばあちゃん。どうしておばあちゃんのおめめは黄色いの?』


『それはねぇ、おばあちゃんやれんのご先祖さまに神様と結婚したご先祖さまがいたからよ。おばあちゃんに混じった神様の血が、おばあちゃんの目を黄色くしたの』


『へぇーっすごい!!れんにも神さまの血、はいってるかなぁ?』


『もちろん。漣の髪は光に透かすと緑に見えるでしょう?漣の中に流れる神さまの血が、漣の髪をそうさせたのよ』


『わーっっ!!やったぁっ!!れん、髪だいじにする!!!あっ、ねぇねぇ神さまってなんの神さまだったの?お米?』


『うふふ、漣も知ってるはずよ。この村で祀ってる神様はなんの神様だったかしら?』


『えっ、水神さまなの?!!すごい!!!!』


『そうよぉ。神様と結婚したご先祖さまは天へと登られたけど、神様はまだここに留まって、ここに暮らす人たちと私たち子孫を見守ってくれているの。だから漣も、あまりお転婆ばかりして神様を心配させちゃ駄目よ?』


『うっ、はぁ〜い……でも、そっかぁ。まだ、いてくれてるんだぁ。そっかぁ。

……じゃあ、いい子にしなくちゃ。神さまに心配かけたくないもんね!』


うふふ


あはは……



###



この目が開いて意識がはっきりしたとき、最初にこの目に写ったのはあにさまだった。その次にかかさま。


かかさまは僕たちに名前と姓をくれた。

あにさまには、“みお”。

ぼくには、“すみ”。

そしてぼくたち二人に、“天満戸あまのと”という姓を。

この姓はぼくたちのご先祖さまからもらった姓なのだと、かかさまは笑っていた。


『かかさま』


ぼくが初めてそう呼んだとき、かかさまは目を丸くしたあと、『なんだい?淑。私の可愛い子』と笑って、頭を撫でてくれた。あにさまが『かか』と呼んだときもそうだった。

あの柔らかく、暖かい手がぼくは好きだった。きっとあにさまも同じだろう。




あにさまは無口な方で、部屋の隅に座っていつもニコニコ笑っている。偶にかかさまに寄りかかって少し寝ては、また部屋の隅に行って格子の方を向いて座る。

頭の耳がいつも前を向いているので格子の向こうを気にしていることは分かるけれど、常に警戒していて疲れないのかと少し心配。だからあにさまにそう言ってみたのだが、あにさまは優しく微笑んでぼくの頭を撫でたあと、何も言わずにまた格子の方へ向いてしまった。




この部屋は狭く、薄暗い。

時間経つにつれて大きくなっていく体が恨めしい。


『いつか外に出られる日は来るのでしょうか』


そうかかさまに聞くと、かかさま眉を下げて、分からない、ごめんなさい、とぼくたちに謝った。このことはもう口に出さないようにしようとぼくは心の中で誓う。かかさまの涙は見たくないから。




『どうして僕たちは母さまと同じじゃないのでしょう?』


そう母さまに尋ねると、母さまは『淑と澪は神様に似たからだろうねぇ』と言って優しく笑った。


母さまから生まれたのに?


そう疑問付を飛ばす僕を撫で、かかさまは懐かしそうに目を細めながら言った。


『偶にそういうことがあるんだよ。お前たちがかかと違うのは、お前たちに流れる神様の血が色濃く表に出たからさ』


そう言って格子の向こう……いや、こことは違うどこかを眺めながら母さまはそう言った。僕を撫でる母さまの手は骨が浮き出ていた。




時折、格子の向こうに人が来る。

いつも大きな声を出しては格子の向こうへ戻っていく義一という人。


一度だけ僕たち用の着物を持ってきた次郎という人。(母さまは正しい着方を教えてくれたけど兄さまは窮屈なのが嫌らしくいつもはだけている。髪も母さまに言って切ってもらっていた。)


四、五回程、米結びという食べ物を持ってきた梅という人。


一度だけ水の入った桶と手拭いを持ってきた咲という人。


時々来ては大きな声を出して戻っていく大奥様という人。


色んな人が来たけれど、今は義一と大奥様という人しか来ない。

かかさまは最初と比べて随分細くなって、今はずっと横になっている。岩肌に染みだす水もあまり飲まなくなった。










───かかさまがうごかなくなった。


ゆすっても、こえをかけても、なんにもいわず、よこたわったまま。

へんじをかえしてくれない。こえをかけたら、かならずへんじをかえしてくれたかかさまが。


どうして?



「かかさま、かかさまっ、おきてくださいかかさまっ!」



おきない。



「かかさまっ!ねぇっ、おきてくださいっ!!」



おきない。



「ねぇったらっっ!!!」



おきない……っ



「──すみ」


かかさまをゆすっていたぼくのてのうえに、あにさまの手が重なる。あにさまの顔をみれば、いつものような笑顔はなく、ただただ、ぼくを見つめていた。


「あにさま、かかさまが」


「すみ」


「ゆすってもおきなくて、それでぼく」


「すみ」


あにさまがぼくの背に腕をまわし、ぼくの体を自分のほうに近づけると、あにさまはポソポソとした静かな声でぼくに言った。


「かかは……もう起きないの」


「な、なんで?どうして?」


「かかが、かかであるための材料が尽きちゃったんだ」


「じゃ、じゃあその材料をかかさまに」


「一度食べた食べ物は元には戻らないでしょ?それと同じ。材料が尽きたかかは、もうかかには成らないの」


「………っ、!」


兄さまの言葉が信じられなくって、でも、母さまはまだ起きて来なくって、返事も返してくれなくって、それで───


───兄さまの言葉は本当のことなんだって、分かってしまった。


ボロボロと涙が頬を伝っては兄さまの着物を濡らしていく。胸が苦しくて、ギュッとなって、兄さまの背中に腕を回して着物を握り締める。兄さまの顔は見えないが、微かに鼻を鳴らす音が聞こえた。



###



すみは、ひとしきり泣いて、泣いて、泣き疲れて、かかだった物の側に丸まり、眠った。

涙の跡がついてしまった頬を撫で、また目の縁に溜まっていく涙を拭ってやる。


──優しい人だった。


あの暖かくて、柔らかな手のひらを想う。

あのからからとした明るい声を想う。

戻りはしない日々を想う。


全てが遠い過去のよう。


つう、と涙が頬を流れる感触に、私は思考する。


かかがこうなってしまったのはどうして?

──材料が足りなくなったから。


どうして材料が足りなくなったの?

──食べ物が足りなくなったから。


食べ物が足りなくなったら私たちもいずれこうなる?

──今のままだと、いずれ、必ず。


どうしてかかはここから出なかった?

──私たちが大切だった。


私たちを、かかをここへ閉じ込めたのは誰?

──一義と大奥様。外の人。


あの人たちが居なければ、かかはまだ、かかだった?

──多分、きっと、恐らく。


あの人たちが私たちから、かかを奪った?

──うん。


かかが居なくなったら次は私たち?

──うん。


すみも?

──うん。



────────許さない。


グラグラと腹の奥が揺れる。胸の奥がゾワゾワとした何かが湧き出て体中を巡る。


これは怒り。


これは怨み。


これは憎しみ。



ゾワゾワ、ざわざわ。



私は一つ息を吸って目を閉じた。瞼の裏には青白い毛並みと立派な鰭を持ち、山吹色の目をした──私たちによく似た者が、そこにいた。


『偶にそういうことがあるんだよ。お前たちがかかと違うのは、お前たちに流れる神様の血が、色濃く表に出たからさ』


いつかのかかの言葉が、頭の中に木霊する。


ゆっくりと目を開けると、格子の向こうから慌てた様子でやってくる人を見つけたので、私はその人に向かってとびっきりの笑顔を作った。



「巡りゃんせ。巡りゃんせ。私の想いよ、巡りゃんせ────」



###



かの者は、水と病を操る力を持った大妖だった。

妖は雨雲を呼びいくつもの町を川の底へ沈め、恐ろしい病を呼んでは何百年もの間人々を苦しめて来た。

討伐を掲げ、挑んできた人間もいたが、全てを返り討ちにし、邪智暴虐の限りを尽くした。


そんなある時、妖は一人の娘に恋をした。

素朴な娘だったが、働き者で優しく、溌剌とした娘だった。

そんな娘であったから妖のしてきたことを知り、受け止めた上で、妖の恋にも応じたのだろう。

娘は妖とつがい、子供を作ったとき、その娘は妖と一つ、約束をした。


曰く、娘の故郷である村の守り神になって、これからも生き死にを繰り返して続いていく娘と妖の子孫を見守る、と。


妖はその約束を守り、村人たちの信仰によって水神となった。

そして、娘が死んだ今でも、自らの血が流れる子孫たちを見守っているのだと。




───さて、今回の豪雨による洪水と、突然流行り出した疫病の追い打ちで町が一つ滅んだわけだが、その町で最も栄えていた商家の瓦礫の下から、言い伝えの妖にそっくりな貌と体を持った二人の子供が、骨になりかけた女の亡骸を持って這い出てきたのち、どこかへ去って行ったのはこの話と何か関係があるのだろうかねぇ?


水神改め、天満神あまのみつるのかみ



「さぁ………?私は恵みの雨を降らし、病を退ける水神さまだからその手のことにはさっぱりだ。

…………しかし、あぁ、そうだな。

これだけは言えよう。




───血は争えぬものだ、とな」


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血は争えぬ ヨル @amezisuto

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