25、言葉を語らう

 仕事の話は一度、マネージャー同伴で行われた。様々な契約書を取り交わし、俺の絵が正式に使われることとなる。羽山タカトならもっと選択肢はよりどりみどりだろうに、なぜ俺なのだろう、という卑屈な気持ちばかりがつのっていく。

 彼が要求したのは二つ。一つは、今後もできる限りCDのジャケットに絵を使いたいということ。もう一つは、友人としても彼と交流をもつこと。

「俺の歌と君の絵とは、たぶん相性がいい。その上君はすごく筋がいい。もし今回のがうまくいったら、そのあとも俺と組んでほしい。だからさ、まずは友達になろうぜ」

 恐れ知らずなカリスマの笑み。彼の言葉は不可解なほど自信に満ちていた。それに対し、俺は信じられない気持ちでいっぱいで、何度も本当に自分の絵でいいのかと聞いた。CDのジャケットが店頭に並ぶのを見るまで、そして次の仕事が来るまで、その気持ちは決して拭われなかった。

「どうしてそんなに自信がないかなあ。あんなにいい絵なのに」

 ある時、小さな飲み屋でグラスを交わしながら、タカトに言われた。タカトはさらりと距離をつめてくる。本名は貴仁と書くらしい。俺を「ヒサ」と呼ぶ彼に倣って、俺も「タカ」などとなれなれしく呼び捨てにした。それでも、恐縮する気持ちだけはしばらく抜けなかった。

「価値観とか、哲学とか、そういうものが合う人間同士って、仕事でもなんでも、自然とうまくいくでしょう? 俺とヒサはそうだと思うんだけど」

 なぜだかタカトは俺を過大評価している節があって、そのたびに俺は、自己評価との温度差に戸惑っていた。自尊心は、芽生えては折られることを繰り返すうちに、とっくにしなびて使い物にならなくなっていた。タカトはその萎れて腐りかけた自尊心に、少しずつ水と肥料を与えた。手放しに絵を褒められることは素直に嬉しかった。

 実際、タカトと一緒にいることは居心地がよかった。他の人には言わなかったようなことでも、不思議と、タカトになら話せるときがあった。母親のこと。先生のこと。弟のこと。木立のこと。クマのこと。大家のこと。ひばりのこと。俺が傷つけてきた人たちのこと。後悔は酒にのまれると自然と口から零れた。

 優しい人になんかちっともなれていないのに、優しい、などと当てつけのように言われることも、いつの間にか彼にこぼしていた。

「でも俺、ちょっとわかるよ」とタカトは言った。「なんでだよ」と俺は腕に顎を埋める。酒のせいで顔の真ん中の一帯がぼんやりと熱くなっている。

「ヒサは樹みたいだから」

「え?」

「なんていうか、来るもの拒まずって感じだからさ。動物とか鳥とかが休憩をしたり、幹の下でもたれかかって座れるような、大きな樹みたいだなって。わかる?」

「全然わかんねー」

 タカトは時々(というかいつも)へんなことを言い出す。

「要するに、ヒサは人に興味ないんだよね」

 へんなことを言ったかと思えば、急に核心をついてくる。

 優しい、と言われることに違和感はあるが、人に興味がないと言われれば、なるほど確かに、と腑に落ちるものがある。

「俺もヒサのそういうところ好きだよ。やりやすくて楽だ」

 どんどんビッグネームになっている彼のことだ、変に勘ぐってくる奴も多いのだろう。俺を誘うのはほとんどタカトからで、そのたびに彼は、少し疲れた顔をして、色々なことを語る。おそらく業界人には喋れないようなことも。女優であり高校の同級生でもある立川幸のことを、憧れながらずっと追いかけているのだという、淡い片恋のことも。

 そんなこんなで、俺は彼の手中にまんまとはまった。

 見るからに好青年のタカトと、人好きのしない俺。明るくてコミュニケーションの上手いタカトと、卑屈で口下手で日陰者の俺。正反対の俺たちは不思議と波長があった。それは、彼の言うように価値観や哲学の一致によるものかもしれないし、施設という共通の出自があるからかもしれなかった。

 タカトはとりわけ愛とか恋とかいう話が好きだった。それは彼が立川幸に執心しているからでもあるのだろう。あの人はほんとうにきれいでかっこよくて、と手放しに誉める傍らで、件の女優が週刊誌に枕営業をリークされていた。それが何とも言えず切ない。

「愛って何だと思う?」

 こういう抽象的なことを訊き始めたら、酔いが深くまわってきた証拠だ。酔ったタカトは少し面白い。妙に哲学的なことを言いたがったり、「お前は本当に頑張ってるよぉ、最高だよ」と肩を組んできたり。

 愛とは何か。「執着の美化語」と言うと、間髪入れず「じゃあ恋は?」と返される。

「発情の詩的表現」

「身も蓋もないなぁ」とタカトは愉快そうに笑う。

 訊かれながら、念頭に浮かんだのはひばりの顔だった。表向きは波風の立たない穏やかな付き合いが続いている。タカトから仕事をもらうようになってからは、バイト漬けになる程度も少なくなり、構ってもらえるようになったひばりは満足そうだった。その代わり、締め切りの直前になると、露骨に機嫌が悪くなる。

「恋、したことある?」

「さあ……」

 ひばりのことを考えながら、さらりとそう答えられる自分が、ひどく残酷な生き物に思えた。恋人という肩書なのに。タカトの言う通りだった。俺はただ、樹のようにもたれかかられているだけ。

「あの絵、のもとになった女の子とかは? いつも話してくれるじゃない」

「あれは……わかんねえよ。死ぬほど謝りたいとは思ってるけど」

「どうして? 助けたんでしょ」

「そのせいで転校した」

「違うと思うけどなあ……」

 タカトは納得していない様子で、俺のことをのぞき込む。もうその話はいいだろと、俺は強引に話を終わらせる。

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