第36話 稽古

 宿屋に戻り夕食を取り、風呂も済ませたあとで俺たち二人は男子用に取った二階の部屋で雑談をしていた。


「にしても、憧れのイグニス隊長にお会いできるとは思ってなかったな。しかも明日の朝稽古をつけてくれるって約束してくれたなんて夢のようだ!」


 クロトは明るい水色の目を更に輝かせてそう言った。


「クロトまでイグニスを知ってるなんて、かなり有名なんだな」

「言外に『世間知らずだ』とでも言いたげな言いようだけど、それは流しておこう。剣の道を目指す者でイグニス隊長の事を知らない人なんて居ないさ」


 目の前の彼はそう切り出して続きを話してくれた。


 今から15年ほど前は魔王軍の城塞警備隊長は魔人の男が務めていたのだが、そこに竜人の国から魔都へやってきたイグニスが勝負を仕掛けては彼を倒し、弱冠8歳で隊長の座に就いたのだとか。


「その時の戦いは終始彼女が圧倒し、その戦いの様子を見ていた兵士たちは絶対に逆らわないようにしようと決めた……らしい」

「らしい……って聞いた話だけかい」

「仕方ないだろう?僕だってその時は生まれたばかりで物心も付いてなかったんだから」


 そういう君は彼女について何か知ってるのかい?そう問いかけるクロトに対し、俺は彼女との出会いの一端を話すことにした。


「初っ端殺し合いに誘われたくらいだな」

「何それ怖い」

「後はそうだな……狩った獲物をバラして捌くのが上手く、作った料理も旨いことくらいか?」

「へぇー。いつか僕も食べてみたいものだ」


 そんな他愛ない話をしつつ、俺たちは床に就いた。


 翌朝、まだ日の昇っていない時間に目を覚ます。魔法の研究漬けの日々でほぼ眠らない俺にとっては通常どおりの時間だった。


 窓の外を伺うと、真っ先に目に飛び込んできたのは背の高い木々が形作る森だった。木立の間には霧がかかっており、レリフが説明してくれたエルフの生息域、霧が深い森そのものだった。


 その森から目線を落とすと昨日の広場が目に入る。そこにはすでに二人の人影が剣を交えており、窓を開けるとその剣戟の音も微かに聞こえてきた。


 何気なしにそれをぼぅっと見ていると丁度休憩に入ったのか、二人は礼をすると俺の方へ向き直る。そしてクロトがやや興奮気味に俺の事を呼んだ。


「カテラ、君もこっちに来ないか?魔界最高の剣を間近で見られるチャンスだぞー!」

「いまから行く」


 どうせ朝早く起きてもやることなど今の所は無い。暇を潰せるならとクロトの提案に乗って俺は部屋を出た。


 広場へと出ると、二人は再度剣を交えるために準備をしていた。イグニスが手にしている細剣は、鍔の意匠からして腰に差していた物だろう。


 刃の幅は指二本分ほどしか無く、その刀身は彼女の髪と同じく艶のある赤だった。


 対してクロトの持つ剣は対称的で、柄頭から切っ先まで氷の様に澄んだ水色をしており、やや反った形状の片刃剣だ。幅は手のひら位で、イグニスのそれよりも頑丈そうな印象を受けた。


 二人はそれぞれ刀身を検めて問題ないと判断したのか「では」「お願いします!」と短いやり取りを交わしてから向かい合う。


 互いに構えたかと思うと、先に動いたのはイグニスの方だった。


 まっすぐ突っ込み、袈裟懸けに剣を走らせるがクロトはそれを難なく受け止める。部屋で聞いたのとは段違いの音量で響く金属音から、二人の力――純粋な筋力がどれくらいなのかを推し量る。


 恐らく、二人の剣を素の状態――同年代に比べて特段非力な俺の力で受け止めるのは到底不可能だと判断した。好戦形態アグレッシブを弱めにかけてなんとかなるだろうというのが俺の目算だった。


 実際、昨夜入った風呂で見たクロトの体はかなり筋肉質であり、支援魔法なしに剣士としてやっていける説得力があった。


 思案している俺をよそに、二人の手合わせは次の手へと展開される。


 短い鍔迫り合いを終え、素の状態では厳しいと判断したのかクロトは後ろへ飛び退くと支援魔法を発動しにかかる。だが――


「遅い」


 全身をバネのようにして繰り出したイグニスの突きにそれは阻まれる。剣の腹でそれを受け止めるクロトの顔には焦燥が色濃く滲んでおり、早くも汗をかき始めていた。


 それからもイグニスの猛攻は続く。それはまさに彼女の炎のような髪に相応しい程の激しさで、クロトは終始防戦に徹するしか無かった。


 そして始まってから数分も経たないうちに手合わせは終わった。足さばきにより攻め込む角度を幾度となく変えたイグニスは汗一つかいておらず、反対にその猛攻を受け続けほとんど足を止めていたクロトは大粒の汗を流し、立っているのもやっとという状態だった。


 それでもなお、手合わせをしてもらったとお礼を示す為に肩で息をしつつ感謝の言葉を口にした。


「ありがとう……ございました!」

「こちらこそありがとうございました。久々に剣を受けられる相手に出会えてつい手加減を忘れてしまいました」


「あれがイグニス隊長の全力……!本当にありがとうございます!」


 傍から聞くと痛めつけられて喜ぶマゾヒストのような言葉を口にしながらクロトは再び頭を下げる。対してイグニスはどう対応したら良いのか困っている様子だった為助け舟を出す。


「クロト、汗がすごいからもっかい風呂入ってきた方が良いんじゃないか?」

「それもそうだな……それじゃ入ってこよう!カテラも良ければ後で手合わせしてくれ!」


 彼はそう言って宿屋へと姿を消す。それを見届けたイグニスは俺にある事を告げた。


「レリフ様からの言伝てです。『一昨日の夜に話した事を、拙との手合わせで実感せよ』とのことですが、何かお心当たりありますか?」


 あのとき俺がレリフに聞いた、「このままでも魔王になれるか」という質問。彼女はそれに「そこらへんの魔物にすら負けるだろう」と答えた。


 その答えをイグニスとの手合わせで実感しろということだろう。クロトとのやり取りでその答えはほぼ分かったが、俺は果たしてそれが正解なのか確かめるべく負け戦に挑むのだった。

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