第34話 黒歴史

 俺は目の前に差し出された黒い本を見て、数秒の間思考を停止していた。それは数年前に汚部屋に埋もれて無くしたと思っていた自分の黒歴史、つまりは魔法が使えるようになったら高々と詠唱しようと思っていたカッコイイ呪文がつらつらと書かれたノート、別名黒の書だった。


 無くしたと気づいた時は嫌な汗が止まらなかったが、ルウシアとクロトにそれを読まれていたという事実を実感するとその時よりも更に多くの汗が流れて止まらない。


 それにしても、なぜ魔界ここに流れ着いているのかが分からない。ルウシアは商人から買ったといっていたが、隣に座るリィンのように姿を隠して人間界で活動する魔族が買っていったのだろうか。


 ともかく、それとなく回収して処分しなければ――


「なんですか?これ」

「これはですね、カテラ様の叡智が詰まったと言っても過言では無い書物です。ご覧になりますか?」

「ええ!是非見せて下さい!」


 リィンが目を輝かせてルウシアに迫る。その目の輝きは中身そのものへの興味では無く、それが俺をからかうのに役立ちそうだという期待から発せられる物だったのだが……


「ってなんですかコレ!?字が汚すぎて全然読めないんですけど!?」

「そうですか?慣れれば普通に読めますよ」

「慣れないと読めない時点で汚い字ですよ!!なら……お兄さん本人に聞いて見ましょうか」


 ニヤニヤと意地の悪い笑顔で俺を問い詰めるリィン。無論俺は即刻反対した。


「何で黒歴史ノートを皆の前で音読しなきゃいけないんだ!絶対に嫌だ!!」

「へぇー。そういう恥ずかしい物なんですね。で、ルウシアさん。どういったことが書いてあるんですか?」

「読ませるか!回収だ回収!」


 そう言いながら目の前の本を懐にしまうが、ルウシアはそれを気にすること無く水色の瞳を輝かせ、興奮気味に内容を口にした。


「それはですね、カテラ様が編み出した呪文の数々ですよ!先程わたくしが詠唱した『雷帝の威光』を始め、この黒の書には様々な――」

「ストォォォップ!!そこまでにしてくれルウシア!それ以上話したら俺が死にそうになるから止めろ!!」


 そうなのですか?と首を傾げる彼女は俺の言う通り口を閉ざした。そのスキになぜ変身魔法で姿を変えていたのか聞くことにした。


「質問ばかりで済まないが、何でルウシアも姿を変えていたんだ?さっき聞いた、その……夫婦を演じるならそのままの姿でも十分だと思うが」

「お兄さん……口説こうとしてるんですか?『そのままの君でも十分素敵だよ』だなんて」

「はぁ……いつ俺がそんなこと言ったよ?あと口説いてなんかないからな?」


 溜息を吐いてからそう言うと、やれやれといった表情をしたレリフが割って入ってきた。


「ほれ、二人共そこまでじゃ。ルウシアが困っておるじゃろ。してルウシアよ、カテラからの質問の答えは?」


 またもや恥ずかしそうにしながら彼女はレリフの質問に顔を赤らめて答える。


「えっと…そのですね、先程の黒の書に『自分はこのような女性が好みだ』という特徴が記載されてまして、夫婦を演じるならその格好をしてみようと……」

「つまり、お兄さんの理想の人を演じようとしてあんな格好をしてたってことですか?」


 ルウシアは真っ赤になった顔で頷くと両手で顔を隠してしまったが、代わりに隣に座るクロトが申し訳無さげに言った。


「ああ、すいません。妹はカテラさんに憧れる余り兄の僕に演じて欲しいと頼み込むほど熱狂的でして……僕もほとほと手を焼いているんですよ」

「良かったですねお兄さん。凄く熱狂的なファンが居ましたよ」

「あ、ああ……そうだな……」


 二人がこうも興味を持ってくれて嬉しいことは嬉しいのだが、些か期待が大きすぎる気がする。恐らく、二人は俺の事を黒の書黒歴史ノートに書いてあった通り、「全ての魔法に精通し巧みに操る偉大な魔法使い」だと思っているはずだ。


 奇しくも、人間界にいた頃と同じような境遇になっていた。実際よりも「出来る」奴だと誤解され、失望されたくないが為、そんなに出来る奴ではないと言い出せない。


 唯一違うことといえば、今回は自分が書いたノートが原因の為100%自分が悪いということだけ。


 現実では叶えることの出来なかった理想を書いたのが悪いとはいえ、よもや魔界にノートが渡っているとは思いもしなかったし、それを読んで真に受ける者がいるとも思わなかったのだから仕方無いのだが。


 ともかく、このまま真実を言わずに二人のそばに居ると、また二人を失望させ、怒らせてしまうことは目に見えている。


 であれば早めに二人が抱いているイメージは真っ赤なウソであり殆どの魔法が使えない、魔法使いの中でも出来損ないであるとでも言うべきだろう。


 だが、やはり自尊心が邪魔をして口をつぐませる。


『今バレてないのだからこれからも隠し通せるだろう』

『人間界にいた頃も10年間隠せたのだから今言う必要は無いだろう』


 心の中で黒い感情が渦巻くが、それを見透かしたリィンが一言だけ言った。


「お兄さん、さっきの『約束』守って下さいね?」


 レリフとの勝負に負けた際に下された約束、もとい命令。『初めて会った人に恥ずかしい過去を話す』という罰ゲームじみた行為。


 今それをやれと言うことは、リィンには二人の心内が見えているのだろう。

 俺が正直に話しても大事にはならないということが。


 腹を括れ、心を決めろ。

 話した結果ビンタ一発程度で済むなら儲け物だ。

 嘘つき、臆病者となじられるよりかは百倍マジなのだから。


 まだ少し震える手を強く握りしめて俺は二人に真実を話すことにした。


「クロト、ルウシア。二人に話しておかないと行けないことがあるんだ。少し、外に出てくれないか?」

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