第27話 野宿

 日も傾き始め、視界が徐々にオレンジ色に変わり始める頃、馬車は森の前に差し掛かっていた。真っ直ぐだった道も、森に入ってからはすぐにうねるのか、ここからでは中の様子は分からない。


 当然そのまま進めようと馬の魔物たちに命令を送ろうとするが、そこに隣に座るレリフからの待ったがかかる。


「待てい。すでに日が落ちそうじゃし、今日はここで野宿にしたほうがよい」

「見晴らしのいい草原ここよりも森の中の方が安全じゃないか?」

「森人は森の中で火を使われることを嫌う。指定された場所以外で焚き火などしようものならすぐさま矢や魔法が飛んでくるぞ」


 それを受け、冷や汗をかく俺をよそにレリフは指示を飛ばしテントの設営や焚き火のための薪集めをリィンやケルベロスに命令していた。


「拙は夕飯の食材を探して参りますので設営の方はよろしくお願いします」

「ああ、頼んだぞ。早めに帰ってくるのじゃぞ?」

「ええ。大物が獲れるといいのですが」


 そう言って荷台から降りたイグニスは森へと姿を消す。その姿をぼーっと見ていた俺にも、隣の彼女からの命令が下された。


「何をしておる。さっさと馬車を脇道に止めて夜営の準備を始めるぞ」


 その言葉を受け、馬達に脇道にそれるようにと指示を出し、馬車を停めてからテントを張り始める。それから数十分経ち、固定用の杭を打ったりするのは新鮮でまぁまぁ楽しいのだが……。


「なんで俺しか働いてないんだよ!?おかしくないか!?」

「おかしくないですよー。一番下が一番働くのは当たり前じゃないですかー。しかも楽しいならいいじゃないですかー」


 馬車に座ったリィンはぶらぶらと足を遊ばせながらやる気の無い声で答える。そんな彼女に俺は憎たらしげに言うが、それが面白かったようで小バカにしたような口調で返された。


「魔王になったらコキ使ってやるからな……!」

「きゃーこわーい。早く魔王になれるといいですねー」


 クスクスと笑うその態度に脳内の血管が何本かブチ切れそうになるのを我慢していると、後ろから足音がしたので振り返るとイグニスが戻ってくる所だった。


 だが、俺の視線は当の彼女にではなく、その上へと吸い寄せられる。


 そこには彼女自身の角よりも立派な物をお持ちの鹿さんがおりました。彼女は鹿の脇腹を枕にするかのように、それぞれ束ねた前足後ろ足を持って担いでいた。


「えーっと……イグニスさん?これは一体?」

「何と言われても……鹿ですが……?」


 首を傾げながら答えたイグニスは衝撃の余り言葉の出ない俺に変わって二の句を継ぐ。


「血抜きと洗浄はすでに済ませてありますので今から捌きますが……ご覧になりますか?」

「いや……済まないが遠慮しとく。見たら多分吐くだろうからな」


 そうですか、とやや悲しげな口調で言う彼女は俺には見えない、馬車の向こう側に鹿を担いだまま移動した。そして解体作業を始めたのだろうか、時おりゴキリ、と骨を外す音が響く。


 その音をBGMにしながら引き続き三つ目のテントの組み立てを行っていると、ものの十数分で作業は終わったのか音は鳴り止んだ。


 俺もちょうど作業が終わったので様子を見に行ってみるとそこにはもう鹿の姿は無く、きれいに切り分けられた肉の塊が数個あった。


 彼女は切ったそれらを、二つの塊を残して水色の一抱えはありそうな四角い箱へと入れて行く。その箱は俺も見覚えがあった。人間界で購入するとかなりの高値がつく魔道具の一つだ。


 その名もフリーザー。一言で言ってしまえば魔力を流すことで氷の魔法を発動してくれる道具で、このように食物の腐敗を防いでくれる。


 この仕組みの秘密は材料にある。魔道具の材料には指向性触媒という、魔力を流せば決まった効果を発揮してくれるタイプの触媒が必須なのだが何分産出量が多くなく、それが高値になる原因とも言える。


 このフリーザーの原料は言うまでもなく氷の魔法を発現する触媒なのだがその効果をコントロールする魔法陣を刻まないと暴走する危険性がある。


 代表的な刻み方としては古典的で安定性はあるが複雑な模様を描かなければならないレイノール式とそれをもとに俺が開発した略式のフェンドル式があるが、魔界ではどのような方式の魔法陣が使われているのだろうか。


 脳内で目の前の魔道具を査定している俺に対し、イグニスは問いかけてくる。


「本日はロースのステーキにする予定です。お腹の減り具合はいかほどでしょうか?」


 口から返事をするよりも速く腹の音が返事を返す。それを聞いて彼女は苦笑した。


――――――――


 それからしばらく経ち、日も完全に落ち辺りが暗闇に包まれる頃。俺たちは焚き火を囲んで食事を取っていた。


 もちろん、食前食後の礼は欠かさず、それどころか今から食べられる鹿の命を無駄にしない為、朝よりも長く手を合わせてから手を着ける。


 新鮮な肉を丸ごと焼いただけの料理。不味くなるはずなど無いが、俺はその味をはっきりと覚えていなかった。


 というのも、こんなにも命を丁寧に扱う彼女たちが本当に好きで人間達と血みどろの戦いを繰り広げているのか?その疑問が頭の中でずっと巡っていた為だった。


 全員が食べ終え、何をするでもなく焚き火を囲んでいる今が切り出し時だろう。俺はすかさず頭の中の疑問を問いかける。


「レリフ、一つ聞きたいんだが……何でお前は、いや、魔族達は人間と争おうと思ったんだ?」


 百年続く人魔戦争だが、その始まりは定かではない。一説によれば魔界に渡った人間たちが見るも無惨な姿で帰ってきたからだとか、逆に魔王から『同族が人間に虐殺された』と宣戦布告があったからだとか。


 ともかく、その真相を俺は知りたかった。


 囲んだ焚き火の爆ぜる音だけが静かに響く。彼女は逡巡しゅんじゅんをその顔に滲ませると、重々しい口調で答えた。


「我とて好きで人間と争っている訳ではない。平和が一番なのは分かっておるが、そんな理想論がまかり通るほど現実は甘くないのじゃよ」

「人間とは争いたくないっていうのがお前の、魔族の答えなんだな?じゃあ、戦争を終わらせたいとは思わないのか?それくらい教えてくれたっていいだろう!?」


 興奮の余り立ち上がり、一息に言い切った俺の少し荒い呼吸音だけが辺りに響く。その場にいる全員は魔王がどう答えるのかを固唾を飲んで見守っていた。


 彼女は物憂げで、それでいて申し訳なさそうな顔をして力無く答える。


「それも今は答えることが出来ぬ……が、お主が魔王になった暁には必ず説明してやろう。じゃから、今は何も聞かないでくれ……」


 たまらず俺はリィンへと視線を向ける。心を読む彼女であれば、と思ったが彼女すら何も知らないのだろう。横に首を振った彼女は溢すように言う。


「魔王さま。それが私に『心を読まないでほしい』と言った理由なんですね?」


 ああ、そうじゃよ。そう答え立ち上がった彼女は一足先にテントへと戻っていったが、その背中はいつも以上に小さく見えた。

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