波乱の予感と新たな出会い

第23話 女主人とその夫

 時は魔法使いが朝食と共に魔王から説明を受けている所まで遡る。


 レイノール魔法学院長であるレアルは、自宅にてある人物に向けて頭を下げていた。毛足の長い、赤を基調とした絨毯に頭を擦りつけるようにして地にうずくまるその姿には、大陸一の学院の長という威厳はどこにも見られない。


 そんな彼を見下すように椅子に座り、メイドを二人側に控えさせているのは彼の妻、ヴァレリカ。


 娘より濃く、それでいて彼女の背後に描かれた始祖よりかは薄い紫色の髪を一本の三編みにして左肩から前へと垂らしていた。


 年頃の娘が居るとは到底思えない美貌を備えている彼女は刺々しさを隠さない表情で苦言を呈する。


「それで、何故あなたは彼を追いやるような真似をしたのですか?」


 彼女の言う「あなた」には夫婦間で使われるそれではなく、第三者を呼ぶ時に使うようなよそよそしさが滲み出ていた。


 というのも、彼女は好き好んで目の前の男と結ばれた訳ではない。始祖の血を守る為、魔力の強い男と結ばれるというレイノール家のしきたりにより半ば強制的に結婚をした身であったからだ。


 では何故彼女が夫であるレアルのことをこれほどまでに見下してるのか、それは至極単純なことである。始祖の血を引くレイノール家は魔法使いの界隈において絶対的な権力を持っているといっても過言では無い。


 魔法使いの名家と言えば必ず最初に名前が挙がるレイノール家は、これまで他の名家から婿を迎えてその力と名声を高めていった。


 名家、それも界隈一の家に婿入りする。聞こえとしては良いが本人にとってその実情は決して良いものでは無い。


 大抵の場合、二人の関係は家柄の関係性がそのまま反映される。すなわち夫は妻に頭が上がらなくなり、常に彼女の顔色を窺っては気分を損ねないように徹する。


 例外としては互いが納得して結ばれたパターンだ。この場合は相手を尊重しあい、仲睦まじい夫婦が形成されるのだが、これは稀で今までの二十以上の夫婦の内一割にも満たなかった。


 立場が上の人間に凄まれているレアルは頭を上げ、恐る恐るといった口調で語る。


「それは……彼があなたの期待に応えられ……」

「あなたが決めることではないでしょう?」


 ヴァレリカはにこやかな表情を浮かべながら、それでいて怒気を孕んだ声で彼の言い分を一蹴する。その光景は家の中で彼の発言権が無いことを十分に表していた。


 彼女は一つため息を吐くと、申し訳なさそうにする夫に自身の考えを教える為、実演することにした。


「私たちの祖、アルティナ様は謂わば上等な葡萄酒です」


 彼女はそう言いつつ後ろに控えているメイドたちに、右手に持っているグラスへワインを注げと目で伝える。


 その内の一人が注ぎ始めると彼女は一口で飲みきってしまう程の量で制止する。意図が掴めない、といった顔をするメイドをよそに、彼女はそれを目線の高さに持ってきつつ、くゆらせて口を開く。


「ですが、あなたのような凡百な魔法使いなどただの水に過ぎません。葡萄酒に水を混ぜ続けては薄まっていき、その果てには水と変わらなくなってしまいます」


 彼女はテーブルにおいたグラスに水差しの水を注ぎ、その半分ほどまで満たす。当然、中の赤紫の液体は薄まり、色のついた水としか形容できないものへと姿を変えた。


「このなんとも言えない液体は私であり、エルトでもあります。代を経るごとに弱まる魔力は、遠い未来には凡百と変わらない物になるでしょう」


 私はそれを恐れているのですよ、と彼女は言葉を一旦切り、再度メイド達に短く指示を出す。先程ワインを注いだメイドは、主人の行動にようやく合点が行ったのか、落ち着いた表情に戻りつつ再度注ぐ。


「薄まった魔力を戻すには、アルティナ様と同程度の魔力を持つ血が不可欠です。そして彼の魔力量、そして知識は確実にアルティナ様に勝るとも劣らない。そんな人材を迎え入れない訳ないでしょう?」

「で、ですが……」


 反論しかけたレアルは、目の前の彼女から発せられる魔力に思わず再び頭を下げた。立場も、魔力でさえも格上の怒りは、地に這いつくばる男を震え上がらせる。


「攻撃魔法が使えない、魔法使いと呼べない者。そう言いたいのでしょうが……それでもあなた達よりは遥かにマシです」


 徐々に膨張する魔力は彼だけではなくメイド達をも震え上がらせる。それでも当の彼女は魔力を収めることはせず、そのままの調子で続けた。


「魔法が使える使えないの話ではありません。今私に必要なのは純然たる魔力の強さなのですよ。そのためには彼の存在は必要不可欠です。それをあなたは……」


 まるで壊れた蓄音機のように謝罪の言葉を繰り返す夫をこれ以上問い詰めても無駄だろう。そう判断した彼女は呆れた様子で言い放ち、うっとおしい羽虫を追いやるかのように右手を二、三度払い退出を促した。


 彼がしょげた背中を見せて退出したのを見届けると、彼女は二人のメイドも追いやり広い部屋に一人残る。テーブルの上にある、先ほどのワインを手に取り一口つけるとその味の感想を述べる。


「一度薄めた分、やはり本来の味よりは劣りますか……ですが薄まったままよりかは大分マシです」


 その感想が自身の血筋の事を示しているのかは分からない。だが、彼女はその鍵となる魔法使いの事を思い浮かべていた。


 彼とは数回顔を合わせ、二三度家族ぐるみのでの会食をしただけ。その少ない時間の中でも、あの子は私達と喋るときには見せないような笑顔で彼と話していた。


 家のしきたりに沿い、婿を迎えるのであれば彼以上の適任は居ないでしょう。魔力的な面でも、そしてあの子の事を考えたとしても。


 自分の様に、しきたりに縛られて愛の無い結婚をするよりかは、外部から多少の批評が飛んでこようとも意中の男性と過ごす方がよっぽどマシでしょうから。


 母親である彼女は娘の事を考え、とある行動を取ることにした。彼女の夫が貶めて姿を眩ませた彼の事を家を挙げて捜索する。そして、誰が反対しようとも二人を強引にでも結ばせるのだと決意した。




 一方、夫のレアルは荒々しい歩調で廊下を突き進んでいた。苛立ちの原因は言うまでもなく先ほどのやり取りである。


 彼は自室である書斎のドアを騒々しい音をたてて閉め、机に備え付けられている椅子へどっかりと座り込む。一目で不機嫌であることが分かる顔を両手で覆い、しばらくして離すといつも通りの顔に戻っていた。


 妻の尻に敷かれている生活の中で編み出した気分転換法だった。大声で喚くでもなく、物に当たるのでも無く、目を瞑ってただひたすら自分はイラついてなどいないと言い聞かせるのだ。


 ともあれ落ち着きを取り戻した彼は机の引き出しから一冊の本を取り出した。勇者から譲り受けた魔法使いの日記だ。


 すべての内容を解き明かすことは出来なかったが、分からないなりに内容を見た彼は訳者に後半を重点的に翻訳しろと命令した。


 というのも、後半からは文字だけでは無く魔方陣や図解などもあり、さながら論文のような物に見えた為だ。彼の予想は的中し、優秀な訳者は一日でそれが魔法使いが旅に出る直前に完成させた、まだ未発表の論文であることを突き止めた。


 彼はそれを使い、魔法使いの手柄を横取りしようとしていた。その動機は魔法使いの事実を暴露した時とは違う。


 魔法使いがいなくなり空いた勇者一行の穴へ彼の娘エルトを入れる為に、彼が無能であることを公表した、あの時は少なからず『魔王を倒した勇者一行の一員』という箔を娘に付ける為行動した。


 だが、今回の動機は全くもって別だった。魔法が使えない魔法使いへの当て付けと、ただの憂さ晴らしに過ぎなかった。


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