第17話 祈る相手

 朝、ベッドに横たわる俺は窓から差し込む日差しを受けて目を覚ました。赤い天蓋の端を寝ぼけ眼で見つめながら、ぼんやりと状況を整理する。


 のぼせて、それで冷たいタオルを頭に乗せてから記憶が無い。あの後そのまま寝てしまったのだろう。


 旅に出るまでの俺は、机に突っ伏して寝て朝日が昇る前に起きていたため、いつもより遅く、それでいて違う場所で起きる感覚になんだか違和感を覚える。


 せめて、日課にしていた冷水で顔を洗う事くらいはいつも通りにしよう、そう思い水を求めてベッドを這い出ると、背後から呻くような声が聞こえてきた。


「うぅ……ん……」


 目を擦りながら体を起こしたのは、ケルベロスだった。俺が横向きに寝ても余りある程の大きさを誇るベッドの端辺りに寝ていた為、今まで気付かなかったのだろう。


 その格好は薄布のようなピンクのネグリジェを一枚羽織っただけと女性耐性皆無な俺にはまぁ目に毒な物だった。


 俺はそんな彼女の姿を視界に入れないように、目をつぶって事情を問いただす。


「で、何で俺の部屋、それも一緒のベッドにいるのか説明して貰おうか?」

「私、番犬、ご主人、守る」

「何でカタコトになる……ともかく、気持ちは有りがたいがそこまでしなくて良いから、明日からは自分の部屋で寝てくれ……」

「えー。というか、ご主人何で目つぶってるの?」

「刺激が強すぎて耐えられないからだ。ほら、着替えが出来ないから自分の部屋に戻った戻った」


 はーい、と返事をした彼女が閉めたドアの音と共に目を開き、いそいそと着替えに入る。


 着の身着のままで魔界に来たにも関わらず、こうして着替えのローブが用意されているのもリィンのお陰だろう。


 用意されていた部屋着はピッタリで、かつ締め付け等はほとんど無いような気楽なものだった。それはまるで事前にサイズを測り、それを元に作られたかのようにも思える。


 俺が魔界に来てから用意したとすれば、手際が良すぎるほどの良い仕事だ。


「ありがとうございます」

「ッ!?……あのな、心を読むなって何度言ったら分かる?」

「癖なもので、つい」


 てへっ、と舌を出しておどけるリィンは、いつの間にか俺の部屋に入ってきていた。


 メイドとして、仕える人の邪魔にならないように気取られず動くことが出来るというのは誉めるべき点なのだろうが、こうも突然表れると心臓に悪い。


「今度からはちゃんとノックの後に入りますから。ほら、脱いだもの洗濯するので下さい」


 ローブを手渡すと彼女は部屋を出ていくが、すぐにドアから顔だけ出して一言告げていった。


「あ、あと朝食の用意が出来たので着替え終わったら食堂にお願いしますとイグニスさんが」

「分かった。すぐに行くと伝えてくれ」


 結局、俺の頭は顔を洗う前にきっちりと目覚めていたのだった。


 食堂へ向かうと、既に食卓の準備は整っていた。朝食ということで、パンにスープ、サラダなど軽めのものが純白のテーブルクロスの上に並んでいる。


 6人掛けのテーブルの長辺に座り、朝食を挟んでレリフとケルベロスが何やら言い合っていた。


「早く食べようよー。ご主人も来たしさー」

「待たんかケルベロス。リィンが来とらん上、食前の礼もしとらん。がっつくのは止めい、大人らしく無いぞ?」

「……野菜が嫌いで食べない魔王様には大人がどうこう言われたくないね」


 なんじゃと!?お主もそうじゃろうが!!と憤慨すし、ぎゃあぎゃあと二人で騒ぐレリフの隣へと腰を下ろし、俺は幼い頃の事を思い出していた。


 懐かしい。孤児院にいたときは毎食ごとに食前の祈りをしていたっけな。


 人間界では五神を祀る数多くの宗教があるが、あそこでは運命の女神を祀っていた為、その名前が入った内容の祈りを捧げていた。


 たしか食前の祈りが「我らが主神アルマ様の庇護の元、本日も食事を得ることが出来ました。感謝の心を持ってこれを頂き、心と体の糧にします」


 そして食後の祈りが「感謝の内にこの食事を終わります」とまぁ、シンプルなものだ。


 にしても、運命の女神に勇者という刺客を差し向けられている魔族が神へ祈るとは、よく考えなくとも奇妙な光景である。


 ただ、彼女たち魔族が祈る先は恐らく魔界で信仰を集めている魔神の類だろう。

 それも長ったらしい上にやけに濁点の多い名前に違いない。魔神と言えばそういうイメージだ。


 結局、ケルベロスとレリフの言い争いはイグニスの一言で決着がついた。


「本日のメニューですが、パンとスープは全てカテラ殿の物です。お二人にはたーんと野菜を食べていただきますので」

「「そ、そんな……」」

「それはあんまりじゃないか?」


 見かねた俺は助け船を出すが、イグニスはそれを突っぱねて続ける。


「止めないで下さいカテラ殿。お二方は好き嫌いの度が過ぎるのです。甘いものや肉ばかり食べていては……太りますよ?」


 その言葉がトドメとなったのか、二人はそれからリィンが来るまでの少しの間だけ静かになった。


 その隙にアリシアに謝るために人間界に一度帰って良いか聞こうとしたが、話がこじれて食事が後回しになることを避け、食中に切り出そうと考えた。


 俺も俺で腹が減っており、全員揃うことを今か今かと待ちわびていたのだ。リィンはそれから数分もしない内に食堂へと顔を出し、ケルベロスの横、俺の対面へと座る。


 食事の準備を終えたイグニスはリィンの隣に着席し、いよいよもって全員が揃う。


「すみません、お待たせしました。お兄さんの匂いをたんの…………ではなく雑事を片付けていたらこんな時間に」

「おい待て今なんか不穏な言葉が聞こえてきたような」

「よし、では食前の礼を始めるとしようかの。カテラ、お主、こういう事は初めてか?」

「俺の意見は無視か!……孤児院に居たときに毎食やってた。後から続くから始めてくれ」

「そうか、では――」


 間違えないように、一言一句聞き逃さぬように耳をそばだてる。だが、俺は彼女たちの後に続いて祈りの言葉を口に出来なかった。


「我らが主神アルマ様の庇護の元――」


 魔王が運命の女神に向けて祈っている、奇妙な光景を目にしたからだった。

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