第2話 ユリエ

「ピンポーン」

――キ、キター。 

文夫は、ウロウロを止め、玄関の引戸の端を凝視しながら

「どうぞ」と答えた。

ドアが少し開いて、とても可愛い女の子が顔を出した。

「こんにちは。 お待たせしております。 スウェック社の者ですが、ご注文のダッチワイフ、一時間ほど遅れております」

文夫は、またまた真っ赤になった。

――なぜこんな若い、しかも女の子に配達させるんだ。

「なんでも、お客様は、当社のダッチワイフのために二週間も前からマス断ちをしてくださってるとのことで、部長から『おまえ先に行ってお茶でもご馳走して来い』と言われて先に参りました。 お邪魔します。 台所はどちらですか?」 文夫は、入れともなんとも言ってないのにその女の子は、入って来たかと思うと直ぐに上がり込み、どっちと言っていないのに台所の方へ入って行った。 ベージュのスーツに胸の襟には社章らしい金属製のバッジを付けていた。 文夫は、さすがは一流企業ってとこかと思ったが、これはやり過ぎだろとも思った。

しかし、顔だけでなくスタイルもいい。 今までに会ったことないタイプだ。 なんだかいい。 流れに任せることにした。

「お湯わかしますね」

奥の方から声がした。 綺麗好きの文夫は、台所もいつも片づけていて、問題なくお湯を沸かすところまで行き着いたらしい。


間もなくして、お盆に湯呑みを一つ乗せて彼女が現れた。

「お待たせしました。どうぞ」

――なんだ、この違和感の無さは? まるで、ぼくがこの家のお客さんで来たみたいじゃないか。

「頂きます」

抵抗する間もなく、すんなり頂いてしまった。 興奮していたせいかのどが渇いていた。 しかも、お茶の温度もちょうど良く美味しい。 文夫は、一気に飲み干して気づいた。

「あっ、すみません。 スウェックさんも飲んで下さい」

「あははは、スウェックさん! 初めてそんな呼び方されました。 ユリエと呼んでください。 それに、私は、あまりお茶は飲めないんで、けっこうです。 お代わり持って来ましょうか?」

「いや、もう大丈夫です。 ありがとうございます。 ユリエさんですか。  外資系の会社だから下の名前で呼ぶんですか?」 文夫は、冷静を装って尋ねた。

「まあ、そんなもんです。 みんなも会社では、ユリエと呼んでいます。 フミオさんと呼んでいいですか?」

――下の名前まで覚えてきているのか。 さすが一流企業。 いやいや、なんか違う気もする。 まあいい。 配達が遅れたおかげで、こんな可愛い子にお茶をいれてもらっている。 文夫は、そんなことをブツブツ考えながら

「あっ、はい。大丈夫ですよ」と少し間を空けて答えた。

ユリエは、髪が黒く、肩くらいまで、まるでストレートパーマをかけているかのように真っ直ぐ伸びていた。 顔は小さくて可愛い。

文夫は、不思議な気持ちになっていた。

――今までに会ったことないタイプだがとても自分の好きなタイプであったような気がする。 どうしてこれまでこんな女性に出会わなかったんだろう? しまった。 ダッチワイフなんか買わなければ良かった。 でも、買わなければこの子に会えなかったし、ああ、世の中は上手くいかない。 ぼくは、こんなに頑張っているのに。 そんなことを心の中で呟いていたら、ユリエが喋り出した。

「ダッチワイフ、遅れてすみません。遅れないように部長と昨日の夕方トラックで大阪を出たんですけど福岡のショールームに寄る用事もあったし、朝食も取らずに走ってきたから部長は、少し食事をしてからトラックで追いかけるということで、私は、新幹線で熊本まで一足先にやって来たのです。 私はあんまり食事取れないから」

「お腹すいてないの?」

「大丈夫です。ジュース飲んだし」

「ジュースで大丈夫なんだ。 関西弁喋らないんですね」 文夫は、思い切って聞いてみた。

「喋りますけど、ここは、九州だし、お客様に合せてます。 熊本弁も少しだけ出来ますよ」

「へえ、凄いなあ。 なんか喋ってみて」

「ばってん、そげなこつ言われたっちゃ・・・・・・普通ですね」

「いやいや、とってもいい。凄い」

文夫は、そのイントネーションを聞いて益々ユリエが気に入った。

ユリエは、標準語に再び戻って話を続けた。

「この度は、当社のダッチワイフをお買い上げ頂いて誠にありがとうございます。 当社は、ダッチワイフの一流メーカー、スウェーデンのスウェック社の日本支社でございます。 当社ダッチワイフの特長は、人肌の体温。 一流メーカーならではのリアルスキンです。 文夫さん、当社のダッチワイフを、お選びになって正解です」

――ダッチワイフ、ダッチワイフってよくもまあ、買った本人の前で言ってくれるよなあ。 やっぱり、早まったかな? 文夫は、またまた顔を赤くした。

続けてユリエが喋りだし、

「まあ、ここまでは、営業トークですが、ここから先は、少しくだけていいですか?」

――もう、めいっぱい恥ずかしい。 なんと言ってもらってもかまわない。

「どうぞ」

文夫は、どうにでもなれと、ややなげやりになって答えた。

「文夫さん、ダッチワイフを買わないといけないくらい溜まってるんですか? 

ひとりエッチじゃだめだったんですね。 恋人はいないんですか?」

ユリエは、ずけずけと訊いてきた。 文夫は、少し戸惑ったが、素直に

「いないよ。 仕事ばっかりしてたらこの歳になった」

「この歳って、いくつなの? けっこうかっこいいし、もてそうなのにね」

「そうなの、45、そんなこと言われたの初めてだよ」

――ユリエ、カワイイ。

文夫の心にユリエへの愛着が一気に湧いた。

「ダッチワイフの一流メーカーの社員の私が言うのもなんですけど、ダッチワイフなんかとやらないで恋人見つけてやればいいのに。 きっと若い彼女見つかるわよ」

――ぼくも今そう思ってる。 君は若くて可愛い。 ああ、出来ることならぼくと付き合ってくれ。

文夫は、心の中で叫んだ。

「ダッチワイフとやったって、死体みたいでつまらないわよ。 まあ、うちの社のは人肌にあったかいけどね。 そんなの買うより私を買わない?」

――あーっ。しまった。売春婦だったか。 どおりで人なつっこいと思った。騙されたぁ。

「だめだ、だめだ。そんなこと言わないでくれよ。 ぼくは、売春婦は絶対に買わないと決めてるんだ。 そんなの許せない」

「そうなんだ。ダッチワイフも似たようなもんよ」ユリエが言った。

「いや、人間と人形は、絶対違う。 人間にそんなことしちゃいけないんだ」

ユリエは、少し涙目になって 「じゃ、人形にならしてもいの? 人形なりに魂や心があるんじゃないの?」とやや反抗的に言った。 文夫は、驚いたが

「人形は、ただの物だよ。心なんてない。だから許されるのさ」と自分に言い聞かせるように答えた。

「そうかなあ」

ユリエは、そう言うと黙ってしまった。 そして、しばらく沈黙が続いたが文夫が耐えられなくなって沈黙を破った。

「とにかく、ぼくは、売春婦は買わないから諦めてくれ。 君もそんなに可愛いんだからそんなことは直ぐにやめるんだな。 そんなにお金に困ってるのかい?」

「ううん、文夫さんがどう思ってるか聞いてみただけだよ。 お金には困ってないわ」

――あーっ、また騙された。 ひっかけられただけ? まあいいや。 こんな可愛い子が売春なんてするはずないもんなあ。 良かった。 何十年ぶりかに好きになりかけてる女の子が売春婦じゃなくて。

「あっ、そろそろダッチワイフ着く頃かな?」

――あっ、ユリエに見とれて、ダッチワイフの事忘れてた。

そう思ったと同時に玄関のチャイムが鳴った。

「ピンポーン」

「こんにちは。 スウェック社の者です。 遅れてたいへんすみません。 御注文のダッチワイフお届けに参りました」 玄関の外で、近所中に聞こえるような大きな声で男性が叫んでいた。 文夫はまたまた我に返って顔が赤くなっていた。 そして、慌てて靴を履いて玄関の外へ出た。 門の外の道路には白い2トントラックが横付けされ、荷台のホロが左半分めくられていた。荷台には、ダッチワイフの透明なケースが二台縦に並べて寝かしてあった。

「こんにちは。文夫さんでいらっしゃいますか? たいへんお待たせして申し訳ありません。 ご依頼のダッチワイフ、只今お届けに参りました」

――こいつも下の名前で呼ぶのか。

「分かった、分かったからもう少し小さな声で喋ってくれ」

文夫は、両手で男性の口を押さえんばかりになりながらささやいた。

「あっ、失礼しました。 スウェック社、日本支社の部長、ケンゾウ、平原研三でございます」とその男性は今度は小さな声でひそひそとささやいた。

――いや、そこは普通に喋ってもらってかまわないけど。

「当社のダッチワイフいかがですか? ほら、本物の女性みたいでしょ?」

確かに、何も知らない人が見たら女性の死体をケースに入れていると思うに違いないほどリアルだった。

文夫は、ドキドキしながらも、先ほどのユリエのことがとても気になってダッチワイフを素直に喜べなかった。 それに文夫にはもう一つ、さっきから気になっている事があった。ダッチワイフが入っているケースには、モデル 116‐001863と書いてあったが、空のケースの方にはモデル117‐000001と書いてあるのだ。

――しまった。 最新モデルがあったのか。しかも製造番号1番が誰か近くの人の手に。 文夫は、最新型や1番という文字に弱かった。

「あっちのモデル117って? 二週間前にはなかったですよね?」

文夫は、研三に尋ねた。

研三は、少し困ったように 「ああ、あれはまだ一体も売れていませんし、お客様には失礼ですが合わないかもしれません。 ちょっとお値段が・・・・・・」

「金ならいくらかはあるよ」

「いや、それが、2、30万円じゃないんです」

「いくらなんですか?」文夫は、もうすっかり最新型の1番を手に入れてやるという気になっていた。

「1120万円です」

文夫には、コツコツと貯めた3000万円があったが、さすがにダッチワイフに1000万円も使ったとあっちゃ、笑い者になるとためらった。

――うーっ、どうしよう。 そうだ、機能を聞かなければ。

「どうですか、お客様には、お合いにならないでしょ?」

そう研三に言われて文夫は少し意地になって来た。

「116とどこが違うの?」

「全てです。 全てが違います。今までに決してないダッチワイフです。 私もこんなのを世の中に出していいものかと今迷っているところです」

――でも0001の中身ないじゃん。 どこだ?

「カタログかなんかないの? 本物はどこに行けば見れるの?」

文夫は、買うか買わないかよりもどうしてもモデル117を見たくなってきた。

「そうですね。 あっ、そう言えば今日、そちらに先に伺ってませんか?

ユリエって言ううんですけど」

――グェーッ、ユリエ。 彼女がダッチワイフ? 私を買ってとは、そういう意味だったのか。 文夫は、びっくりして玄関の方を振り向いた。 ユリエは、半開きにになった玄関のドアに身を隠し、顔だけを斜めに出してこちらを見て微笑んでいた。

―― 可愛い。 彼女のどこがダッチ? どこがロボット? どこがアンドロイド? どこがレプリカント? いや、レプリカントレベルかな。

「半額でも今日振り込んで頂いたらユリエをこのまま置いていってかまいませんよ」

―― えーっ。

「買います、買います。振込みます」 混乱した文夫は、つい買いますと言ってしまった。

すかさず研三は、「クーリングオフは、効きませんので、先ずは半額の560万円で良いですよ」

「はい、分かりました」

文夫は、なんとなく納得して分かりましたと言ってしまった。

「それでは、この書類にサインをお願いします。 モデル116については、キャンセルということでよろしいですか?」

「はい、もちろん」

文夫は、116が届いた時のモヤモヤが一気に解消される気がした。

「それでは、先にキャンセル手続きを行いますので、文夫さんは、差額の540万円を振り込んでいただければ、今日から動きますよ」

―― 今日から動きますって、さっきからもう動いてるじゃん。

「ユリエは、お家の中に入って待機モードに入っていなさい」

―― あぁ、そう言うことか。

「はぁぃ」

文夫は、ユリエのどこか悲しげな返事と目の潤みが気になった。

――やっぱり可愛い。 ぼくは、この子に逢うために今まで生きてきたような気がする。 今日が運命の日だったのか?

ユリエは、またつかつかと部屋へ上がり込み、壁に背を持たれた格好で両膝を抱えて座り込み、目を静かに閉じた。

研三がまた説明を続けて

「さて、これが保証書になります。 取り扱い説明は、全てユリエが行いますので、ユリエが反応しなくなった時だけここの私の携帯にお電話ください。 遠隔操作で修理いたします。 それから、契約書に書かれている口座へ入金ください。 入金が確認され次第、動き出すと思いますが、本社が確認するまで少し時間がかかりますので申し訳ございません。 二、三時間はみておいて下さい」

――えっ、ここにきて二、三時間も待てと。 まあ、いいだろう。 ネット銀行から振込めば早いだろう。 文夫は、郵便局長であったが、ネット銀行にも密かに貯め込み、大きな買物の時、使っていたのだ。

「他に何かご質問はありませんか?」

「あっ、燃料はなんですか?」

「電気ですよ。 それにたまにジュースみたいなものを飲みます。 大丈夫ですよ。ユリエが自分で充電するし、ジュースは、ユリエが勝手に本部に連絡して注文しますから郵便で配達されます。 費用は、ユリエからも説明すると思いますが、最初の五年間は無料です。 あと、いろんなことは、ユリエから直接聞いてください。 では、文夫さん、ダッチワイフモデル117 製造番号1番ユリエをどうぞ可愛がってくださいませ。 私はこれで失礼いたします」

研三は、そそくさとトラックに乗り込み帰って行った。

―― ああ、帰ったかぁ。 なんだったんだろう? 騙された? でも、ユリエはいるな。 あるな。 そうか、お金を振り込まなければ動かないんだった。 まあ、いい。 ユリエはいるし、振り込むか。

文夫は、目を閉じて体操座りをしているユリエを横目で見ながら書斎へ行き、パソコンで540万円を振り込んだ。

再びユリエの所へ戻った文夫は、ユリエの右に座ったり、左に座ったり、前に座ったりしてじっくりユリエを眺めた。

―― すごい。 さすがは、ダッチワイフの一流メーカー、スウェック社製だ。 可愛い。 肌は、本物の女性みたいだ。

文夫は、両手を出して目を閉じたままのユリエの頬を触ろうとした。

―― いかん、いかん。 まだ動き出してない。 振り込み確認出来てないんだ。 まだぼくの物じゃない。

文夫は、訳のわからない正義を貫き、「おあずけ」状態の犬のようになってユリエの前に座りこんだ。

―― 可愛い。 いくら見ても飽きない気がする。 まつ毛、長いなあ。 早く目を開けてくれないかなあ。


 それからもう三時間が過ぎようとしていた。

―― まだかなあ。 遅いなあ。 早く目を開けてまた昼みたいにくだけて喋ってくれないかなあ。 文夫は我慢できなくなって、気づかず段々ユリエに近づき、キスしてしまいそうなぐらいなところまで接近していた。 もう、唇と唇がぶつかるかと思うくらいになった時、突然、長いまつ毛のまぶたがパッチリと開いた。 そんなに大きい目ではないが、とても澄んだ瞳をしている。

ユリエは、その澄んだ瞳をキョロキョロとさせるとムックと立ち上がって、

「スウェック社のダッチワイフ、お買い上げありがとうございます。 私は、モデル117、製造番号1番、ユリエでございます。 これからどうぞよろしくお願いします」と言った。

文夫はちょっとびっくりしたが気を取り直して

「ここまでは営業トークでしょ? また昼みたいにくだけて喋ってくれる?」

ユリエは、少しく首をかしげて、

「昼? 私、昼間にお客様とお話したのですか? 私は、新しいお客様にお買い上げ頂くとそれ以前の記憶は全て抹消されてしまうので分かりません。 記憶しますので、お客様のお名前を教えていただけませんか? ご契約様と同じであれば文夫様ですが、同じですか?」

――そうなんだ。 もう昼間のユリエではないんだ。 だが、ユリエという名前もぼくを下の名前で呼ぶのも同じだな。 前の記憶が全部消され、ぼくだけのものになりますって感じかな? 結婚式で花嫁が白無垢姿になるのにちょっと似てるな。

「ああ、同じだよ。 堀内文夫、文夫と呼んでくれ」

「かしこまりました。 文夫!」

「えっ?」

「冗談です。 文夫さんと呼びます」

――冗談も出来るじゃん。 良かった。

「それでは、しばらくはくだけずに取り扱い説明をいたしますので、ご付き合い願います」

ユリエは、それから約二〇分間、取り扱い説明や注意事項、契約のことなどについて説明した。 エネルギーは、電気で、充電には6時間がかかることやダッチワイフがメインで、他の事を言いつけるなどむちゃな扱いをした場合は、契約を解除したり、逃げ出したりすることもあり得るといった内容だった。 文夫は、早くくだけた喋りになってくれとばかり考えていたので内容はあまり頭に入らなかった。

しかし、ユリエは、説明をひと通りしてしまうと、くだけて喋り出すことはなく「しばらくおとなしくしています」と座り込んでしまった。

ずいぶんと陽も長くなり、夏ももう目の前という五月の半ばであったが、気づけばもうあたりはすっかり薄暗くなっていた。人間の本能なのかこの時期の夕方は、妙にムラムラとするものである。

――そろそろ暗くなってきたし、いいかなあ? やっちゃうか。でも、どうやってすればいいんだろう? 説明なかったなあ。

文夫は、童貞というわけではなかったが、現実の世界で相手に近づくところから始めるのは、もう何十年も前の記憶しかなく、どうしたらいいかよく分からなかった。

とりあえず、壁の中央に正座しているユリエの横の方から近づこうとした。 すると、ユリエがこちらヘゆっくりと首を振り、あまり大きくはないが切れ長で長いまつ毛をした目をパッチリとあけて文夫を見た。

――やばい、見つかっちゃったよ。どうしょう。 待てよ、あれは、ダッチワイフじゃないか。 人形じゃないか、好きにしていいんじゃないか。 そうだよなぁ。

文夫は、そう思いながらもユリエの正面の方へ角度を変えながら逃げた。 ユリエの首と目はその文夫をまたしっかりと追いかけた。

――なんだよ。 近づけないじゃないか。

今度は、最初の方向と180度反対側まで行ってユリエを見た。 やや間をあけてユリエの顔がやっぱり追ってきた。

――あんまりリアル過ぎて、人間の女性より近づきづらいじゃないか。 一流企業過ぎたか。 文夫は、一流企業にこだわったことをやや後悔していた。

――そうか、話をしながら近づけばいいのか。 くだけた話をしよう。

「もう、取り扱い説明は、終わったの? 一番肝心な君の脱がせ方が分からないんだけど」

――よし、我ながら上手く言ったぞ。 文夫は、そう思いながら二、三歩ユリエに近づいた。 しかし、ユリエは、微笑むどころか今にも泣きそうな潤んだ瞳で文夫を見つめていた。

――あれ? ロボットだから冗談は通じない? 文夫は、めげずに続け、

「どうしたらいいの?」

するとユリエは、ますます文夫を見つめて今にも泣きそうな顔になった。

「ひょっとして正座がつらいの?」

文夫は、精一杯の言葉でこの気まずい雰囲気をかき消そうとした。

そしたら突然、ユリエは、畳に両手をついて「ごめんなさい。 文夫さん、私、人間なの」

「ええーっ?」 声に出しながら文夫は心の中でも大きな声で叫んでいた。

――ああ、また騙されたあ。 そうだよなぁ。こんなアンドロイドみたいな、レプリカントみたいなロボットがたった1120万円で買えるわけないもんなあ。 ちょっと考えれば分かりそうなもんじゃないか。 今日のぼくは、いったいどうしてたんだろう。 ああ、560万円・・・騙されたあ。

文夫にとっては、ユリエがダッチワイフでなかったことと560万円騙し取られたことはどちらも同じくらいのショックで、ダブルのショックが襲った。

「本当にごめんなさい。 二人の幼い息子たちもいるし、シングルマザーで生活に困ってたら、研三さんに声をかけられたんです。 こんなことしたの始めてなんです。ほんとです。 どうか許してください。 文夫さん。もうこんなこと二度としません。 だから許して」

ユリエは、涙目でそれだけ言い終わると玄関のドアを開けて逃げるように走り去った。

――えーっ。 何、 行っちゃうの?

「待ってくれ、ユリエ。ぼくと、ぼくと・・・・・・」 一緒に暮らさないかと言いたかったが、文夫がユリエを追いかけて玄関の外に出た時にはもうユリエは門の外で待っていた昼間の白いトラックに乗り込んでいて、言葉が届くことなく、むなしくトラックは走り去って行った。

――えーっ、ユリエも560万円も無くなってしまった。

文夫には、560万円よりもユリエが逃げ去ってしまった、いなくなってしまったことがとても悲しかった。 お金なんてどうでもいいくらい悲しかった。 ここ何十年も泣くことはなかったが自然と涙が流れていた。

――ユリエがいなくなった。 ユリエは、レプリカントでもアンドロイドでもロボットでも人形でもない。 ということは、人間か? さっき、無意識のうちに言おうとした「一緒に暮らさないか」は、まんざら間違いでもなかったのか。 シングルマザーとも言っていたなあ。 文夫は、ダッチワイフだったはずのユリエに知らずしらず好意以上の気持ちを持ってしまっていたようである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る