第25話 結界の外と現れた彼
魔導具に魔力を注ぎ始めてからどのくらいたっただろう。火球が結界にぶつかってくる間隔が間遠になってきた。
コンスタンス陛下を抱き寄せていたフィリップ陛下が空を見上げ、辺りをお見回しになった。すぐにはっとした表情でこちらをご覧になる。
「オデット、イリヤはどうしたのだ!?」
フィリップ陛下が今までお気づきにならなかったのも無理はない。それだけの混乱と轟音が嵐のように劇場内を吹き荒れていたのだ。
わたしは喉に絡みついたようにうまく出てこない声を、なんとか絞り出した。
「それが……結界の外に出てしまった子どもを助けるために……」
フィリップ陛下の顔が蒼白になる。言うなら今しかない。わたしは握った拳を裏返し、魔導具の腕輪を掲げるようにしてから指差した。
「これは結界の動力源になっている魔導具です。わたくしはイリヤ殿下を捜しに参ります。恐れながら国王陛下、わたくしの代わりに、この魔導具に魔力を注ぎ込んでいただけませんか? 結界内で魔力を注げば作動しますので」
フィリップ陛下が頷こうとなさったその時、すぐ傍の一般席から声が上がった。
「大聖女さま、わたしたちはどうすればよいのですか?」
「攻撃はやんだのですか!?」
「どうしてこんなことになったのですか!」
ある者は不安げに、ある者は興奮した様子で、ある者は怒りを露わにしてこちらを見上げている。
彼らには全てを知る権利がある。でも、今は一刻も早くイリヤさんを捜しにいきたい。
「オデット、民への応対はわたくしたちがいたします」
逡巡するわたしにお声をかけてくださったのは、コンスタンス陛下だった。思わぬお言葉にわたしが驚いていると、コンスタンス陛下は微笑なさる。
「イリヤは子どもを助けにいったのですね。誰にでもできることではありません。彼が真っ先に目にしたいと思っているのはあなたでしょう。さあ、行っておあげなさい。あなたなら自分の身は自分で守れるでしょうしね」
「王妃陛下……」
優しいお言葉を受けて、涙が滲みそうになる。やはり、コンスタンス陛下はイリヤさんに冷たく当たっていらしたわけではなかったのだ。
フィリップ陛下も頷いてくださった。水属性の防御壁を解いたジェルヴェーズさまとそのお隣にたたずむルイ殿下も、こちらの背中を押すような表情をしていらっしゃる。ポーラもこくこくと首を縦に振っている。
わたしは腕輪を外すと国王陛下にお渡しした。
「みなさま、ありがとう存じます! この場はよろしくお願いいたします!」
わたしは大きな声でそう述べると、イリヤさんが消えた方向に向けて走り出そうとした。
「お待ちください、大聖女さま」
凛とした声が響いた。振り返ると、エヴァリストさんがわたしの前に進み出たところだった。その思惑が分からない彼からかけられた声に、わたしは思わず身構える。それには構わず、エヴァリストさんは真剣な眼差しで続けた。
「わたしもお連れください。お一人でおいでになるよりは安全かと存じます」
わたしは迷った。もし、彼が「至高の血」の一員だったら……そう思うと、とっさには判断できない。
「お願いいたします。わたしも……イリヤ殿下をお捜し申し上げたいのです」
エヴァリストさんは譲らない。彼が、嫌っていたイリヤさんの名を出したことで、揺れていたわたしの心は定まった。まっすぐにエヴァリストさんの目を見据える。
「分かりました。ともにゆきましょう」
「御意」
エヴァリストさんの声を聞きながら、わたしは身を翻す。ドレスを着ているので走りにくいが、両手でスカートを持ち上げ、とにかく走る。
ようやく結界の外に出た。周囲を見回す。野外劇場を取り囲む木々以外には何も見えない。
イリヤさんと男の子、それにあとから飛び出したセルゲイさんはどこに行ったのだろう。混乱しそうになる頭でわたしが必死に考えていると、黒衣をまとい、覆面をした人たちが木の陰からすっと現れた。数は十人ほどだろうか。
男性の声で、その一人が問いかけてくる。
「大聖女……いや、堕落した元聖女オデットだな?」
間違いない。彼らは「至高の血」だ。だからイリヤさんと婚約したわたしを悪し様に言ったのだろう。今回の襲撃の実行者は彼らなのだ。
エヴァリストさんが無言でわたしの前に出、剣を構える。黒衣の者の一人が彼に目を留め、眉を動かす。
「ん? お前は……」
わたしはエヴァリストさんを援護すべく身構え、闇属性の眠りの魔法を放とうとした。この魔法なら広範囲に作用する上に、味方にはかからないようにもできる。
その時。影が走った。
影は黒衣の者たちのうしろにしなやかな動作で回り込み、その間を縫うように驚嘆すべき速さで動いていく。影がさっと移動するたびに、黒衣の者たちは次々と倒れ伏す。
その反対側からは大きな影が、これもまた俊敏な動きで黒衣の者たちを倒していく。
さらに、わたしたちに近い木陰から現れた、もうひとつのやや小柄な影も加わる。
最後の一人を倒した時、細身の影が動きを止め、こちらに歩いてきた。その姿を見て、思わずわたしは叫ぶ。
「イリヤさん……!」
わたしが今一番会いたかった人、イリヤさんが優しくほほえんだ。
「オデット、捜しにきてくれたのか。心配をかけたな」
鼻の奥がツンとして、涙が溢れそうになる。彼に駆け寄り抱きつこうとして、わたしは足を止める。イリヤさんの斜めうしろから、見知った獣族がぬっと現れたからだ。
巨体といっていい、毛皮に包まれた長身、獅子の顔と黒い鬣、房飾りのような尻尾。がっしりとした肩には
どこからどう見ても、以前、イリヤさんの傭兵団、パドキアラ団の副団長でありながらロドリグ元王子に雇われ、団を放逐されたヴァジームさんだ。
「よお、聖女さま。あ、今は大聖女さまだったか。ま、どっちでもいいか」
「ヴァジームさん……どうして……」
わたしが動揺していると、イリヤさんがヴァジームさんを横目で見た。
「今回はこいつに助けられた。降り注いだ火球は、とっさに水属性魔法で防いだんだが、爆風が酷くてな。覚えているか? ヴァジームの恩寵、「大盾」はあらゆる物理攻撃を防げるんだ。魔法に伴う爆風も対象になる優れものでな。こいつが現れて大盾を使ってくれなかったら、俺もあの子も大怪我をしていたところだった。セルゲイもすまなかったな」
イリヤさんのうしろからセルゲイさんも現れる。セルゲイさんはイリヤさんと目を合わせたあとで、こちらに笑いかけた。
「ご心配をおかけしました。外に出たら、イリヤのにおいの他に、あの黒衣の連中のにおいと声がしたので、多分、イリヤは機会を窺っているのだろうなあ、と思って身を潜めていたのです。ヴァジームのにおいもしたのには驚いたけどね」
セルゲイさんが声をかけると、ヴァジームさんは「ケッ」とそっぽを向いた。
イリヤさんはくすりと笑い、近くの大木を見やる。
「……もう出てきていいぞ」
イリヤさんの声に応じ、男の子がぴょこんと木の陰から現れた。トテテテと走ってきて、イリヤさんの横にぴったりとくっつく。
「りょうしゅさま、おかあさんとおとうさんは?」
男の子と手を繋ぎながら、イリヤさんは笑った。
「これから捜しにいこう。大丈夫だ、すぐに見つかる。お前も来い、ヴァジーム」
「へいへい」
「あの、ヴァジームさん。イリヤさんとこの子を助けてくださって、ありがとうございました」
わたしがお礼を言うと、ヴァジームさんはむず痒そうな顔でこちらをちらりと見た。イリヤさんが、わたしの傍を離れずにいたエヴァリストさんに目を向ける。
「エヴァリスト卿、オデットを守ってくれたのか。礼を言う」
「いえ……」
エヴァリストさんは言葉少なに応じると、沈黙してしまった。イリヤさんは気にした様子もなく、わたしに告げる。
「この黒衣の奴らは火球を放っていた術者だ。こいつらが一箇所に集まるのを待っていたせいで、戻るのが遅くなったというわけだ。さ、祖父たちのところに行こう。この騒ぎを起こした黒幕と、白黒つける必要がある」
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