第24話 観劇と火球

 王室のみなさま方とジェルヴェーズさまの来訪の翌日。いよいよ観劇の日がやってきた。今日のアルシーも麗らかな日差しが降り注いでいる。

 舞台を半円形に囲むようにずらりと並んだ野外劇場の最後列の座席。最も高い場所にあるそこに、石造りの屋根に覆われた貴賓席はある。


 王侯のために大理石で造られた座席は、長時間座るには不向きなので、快適になるようクッションが置かれている。

 フィリップ陛下とコンスタンス陛下を中心に、ルイ殿下とジェルヴェーズさま、それに、わたしとイリヤさんが座る。


 従者用の席にはセルゲイさんにポーラ、賓客のみなさまの侍従や付き人たちが座り、周りではエヴァリストさんたちが厳重に警衛警護している。

 騎士たちの中には、イリヤさんが疑惑の目を向ける神殿騎士団長、ドニ・ワロキエ卿の姿もあった。


 一般席の周囲にも観客の邪魔にならないように兵が配置されており、曲者がいないか目を光らせる。

 一万人の観客を収容できるこの野外劇場は、丘を削って造られており、魔法を使わなくとも、舞台上で発せられた声や音楽の音響に優れている。とはいえ、客席から遠くに声を届けるには風属性の拡声魔法は必須だ。


 開演時間が近づくとイリヤさんが立ち上がる。予定通り、わたしはイリヤさんとフィリップ陛下の声を観客に届けるために、拡声魔法を使った。イリヤさんが観客たちに向け、今日集まってくれたことに対する謝辞を述べる。

 最後にフィリップ陛下からお言葉を賜ると、観客たちから拍手が起こる。


 お話から少しの間を置いて、劇が始まった。演目はリュピテール国民なら誰もが知る喜劇だ。

 実は当初、わたしとイリヤさんの出会いから婚約までの実話を基にした劇を上演したい、という申し出が劇団セゾン側からあった。


 わたしたちの馴れ初めとイリヤさんの劇的な人生は、吟遊詩人たちが既に手がけている人気のある曲目で、戯曲化もされているらしい。が、即座にイリヤさんは却下した。


「そんな劇を親戚一同の前で上演される俺の身にもなってみろ。まさに公開処刑だ」とイリヤさんは端正な顔を歪めていた。わたしはまんざらでもなかったんだけどなあ。


 セゾンの団員によって演じられる劇は素晴らしく、わたしは何度も吹き出してしまった。ちらりと横を見ると、イリヤさんは静かに腕を組んでいる。でも、表情から察するにつまらないとは思っていないようだ。


 フィリップ陛下やルイ殿下の笑い声も聞こえてくるし、滑稽な場面では一般席が爆笑の渦に包まれるので、こちらまでついつい笑ってしまう。

 そうだよね。セルゲイさんたちの助けを借りつつ、イリヤさんと二人で企画した舞台なのだから、楽しまなきゃ損だ。「至高の血」のことはひとまず置いておこう。


 そう思った時、妙な違和感を覚える。


 なんだろう。あ……これは魔力だ。暴力的で、殺意さえも感じさせる……。

 わたしはあらかじめ手首にはめていた魔導具に魔力を流し込む。


 一拍遅れ、轟音が耳をつんざいた。うしろからだ。貴賓席のうしろで強力な魔力が弾けている。壁があるので振り返っても何も見えないが、確かにそう感じる。

 突然の轟音に驚いた人々が次々に席を立とうとする。イリヤさんが立ち上がり、拡声魔法を早口で詠唱する。


「風の神アネモスよ! 我が声を届けたまえ!」


 イリヤさんは劇場中に響き渡るような声で叫ぶ。


「席から動くな! 安心しろ! この劇場全体に結界を張ってある! 中にいれば安全だ!」


 と、貴賓席の天井近くで巨大な火球が爆散した。

 一般席を中心として野外劇場全体に張り巡らされた半円球の虹色の膜に、次々と大小の火球がぶつかる。そのたびに観客が悲鳴を上げる。舞台上の役者たちも演技をやめ、うずくまったり右往左往したりしている。


 この野外劇場にはイリヤさんの発案で、魔導具による結界が張られている。もしもの時は、腕輪の形をした魔力供給用の魔導具にわたしの魔力を流し込めば、魔法を含めたあらゆる攻撃、それに魔物の侵入を防ぐ結界が発動する仕組みだ。


 その「もしもの時」が今さっき起こったので、わたしは前もってイリヤさんから手渡されていたパスカルさんお手製の魔導具を使い、結界を発動させたのだ。

 わたしの魔力が尽きない限り、結界は維持し続けられる。仮に魔力が尽きたとしても問題はない。揃って魔力総量の多い、イリヤさんをはじめとした王室のみなさまやジェルヴェーズさまが代わりに魔力を供給してくださればいいのだから。


「オ、オデットさまあ……!」


 いつの間にか傍にいたポーラが半泣きになりながらすがりついてくる。わたしは彼女を元気づけるために笑ってみせた。


「大丈夫よ、ポーラ」


「はいぃ」


「オデット、もう少しだけ辛抱してくれ」


 わたしにそう声をかけたイリヤさんの顔が強張った。彼の視線の先に目をやると、泣きじゃくる五歳くらいの人族の男の子が結界の外に出ようとしている。この混乱の中、親とはぐれてしまったのだろう。


「危ない! 外に出るな!」


 イリヤさんは獣族の血を引く者ならではの俊足で、わたしが瞬きをする間に男の子に駆け寄ろうとする。だが、ほんのちょっとの差で男の子は結界の外に足を踏み出してしまった。イリヤさんが男の子に手を伸ばす。


 その時、二人の傍に大きな火球が撃ち込まれた。凄まじい爆風が巻き起こる。二人の姿が炎と爆風に包まれてかき消えるのと、わたしが席から立ち上がるのが同時だった。


「イリヤさん!!」


 これ以上ないわたしの叫びも、きっと爆風の音にかき消されてしまっただろう。

 結界に阻まれ、爆風は劇場内には入り込まずに四散したものの、二人の姿は見つからない。


 どうしよう。イリヤさんを捜しにいくか。ここに残って魔力の供給を続けるか。


 もし、イリヤさんとあの子が怪我を負っているなら、一刻も早く駆けつけるべきだ。

 それには、魔導具をどなたかにお渡ししないと……。結界内にいないと、この魔導具は作動しないのだ。


 王室の方々とジェルヴェーズさまに目をやる。フィリップ陛下はコンスタンス陛下を守るように抱き寄せておいでになる。ジェルヴェーズさまは結界が破られた時に備えてか、水の防御壁をルイ殿下の周りに張り、彼を守っていらっしゃる。とても説明している余裕などない。


 火球はなおも降り注ぎ続けている。人々は身を縮めながらも、それぞれ大切な人と寄り添い合い、互いを守ろうとしている。

 へたり込んだポーラが、心配と恐怖が入り交じった表情でわたしを見上げてくる。


「オデットさま! イリヤは僕が捜してきます! そのまま魔力の供給を!」


 そう叫んだセルゲイさんが劇場の外に走り出ていく。


「イリヤさん……」


 唇から、誰よりも愛しい人の名がこぼれ落ちた。

 左手には婚約指輪が光っている。わたしの魔力の暴走を防ぐ効果のある指輪だ。胸元では、イリヤさんから送られた翠玉のペンダントが揺れていた。


 わたしはカリスト公イリヤ・フェリックス・ローランの婚約者だ。彼が不在の時は代わって領民を守るのがわたしの役目。

 わたしは震えそうになる両足で立ち、腕輪に魔力を注ぎ続けた。

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