第20話 布告と演説

 急いで城館に帰ったわたしたちはセルゲイさんら側近を集め、次の行動について話し合いを進めた。

 領民への布告は領都から離れた町や村であれば役人が行うことになり、この領都アルシーではイリヤさんが直接、演説のような形で行うことになった。


 わたしとしては、もし結界を破損させた犯人が「至高の血」だったら、イリヤさんが暗殺の危険に晒されるのではないかと気が気ではなかったが、彼は堂々としたものだった。


「俺が直接布告したほうが、民たちの信頼を得られるはずだ。それに、お前が防御魔法で守ってくれれば大丈夫だ。な、大聖女殿?」


 そう言われてしまえば、わたしは顔を赤らめて頷くしかない。

 初め、イリヤさんは領民たちにより近い街の広場で布告したがっていたくらいだ。それではさすがに警衛が大変だからやめてくれ、とセルゲイさんや他の側近たちに反対され、断念したけれど。


 その結果決まった布告場所が、城館正面に突き出したバルコニーだ。祝祭の日などに城館の門が領民たちに開放された時、領主とその家族が顔を見せる場所でもある。

 ここなら、最初から警備のことも念頭に置いて設計されているので、幾分か安心だ。


 さらに、光属性と風属性を組み合わせたわたし独自の防御魔法でバルコニー全体を覆い、布告中のイリヤさんを守れば鉄壁の防御だ。たとえ矢や魔法が飛んできても怖くない。

 防御魔法には大きく分けて三種類ある。空間それ自体にかけるものと人などの対象にかけるもの。それに、かけた物体を身につけることにより作用するもの。今回、わたしが使おうと思っているのは空間にかける防御魔法だ。


 布告はできるだけ早いほうがいいということで、わたしたちが城館に帰った翌日の午前九時に行われることになった。ちょうど陽射しの弱い時間帯だし、早めの昼食時とも重ならない。

 領民には領主から大切な話があるので、九時前に城館の門を開放する旨を役人や看板を通して伝えてある。


 そして、当日。まだ柔らかい陽光を地上に送ってくる真夏の太陽のもと、街中に時を知らせる鐘が鳴り響く。イリヤさんが布告する時間が訪れたのだ。


「光の神ミルラよ、御身のお力により、この空間に壁を作りたまえ。風の神アネモスよ、御身のお力により、この空間を守護したまえ」


 わたしはちょっとした広間くらいの大きさのあるバルコニー全体に、防御魔法を張り巡らせた。大体一時間半くらいは効果が持続するはずだ。

 正装をしたイリヤさんは、わたしとともにバルコニーに出る。うしろには護衛の騎士たちや衛兵たちが姿勢正しくたたずむ。その中にはエヴァリストさんもいる。


 下が手すりになっている大きく半円形にくり抜かれた穴の前に、イリヤさんはその姿を晒した。地上を見下ろすと、溢れ返らんばかりの民衆がいっせいにわたしたちを見上げていた。人族ひとぞくも獣族もイリヤさんの話を聴くために集まってくれたのだ。


 これだけの人々の前で布告するなんて。

 わたしは手に汗が滲むのを感じながら小声で短縮詠唱をし、イリヤさんの声が多くの民に届くように風属性の拡声魔法を使った。こうしておけば、場合によっては短所となる、風の防御壁に自動的に付加された防音の特性も打ち消せる。

 わたしたちを前にざわついている領民に向け、イリヤさんは声を発した。


「みな、今日はよく集まってくれた。こうして、わたし自ら布告の場を設けたのには訳がある。アルシーにその亡骸を運び込んだゆえ、知っている者も多いかもしれぬが、実は先日、北の国境付近にツチグロトカゲという魔物が出現した」


 ある者は短く悲鳴を上げ、ある者は連れ立ってきた人たちと何事かを言い交わしている。


「むろん、そなたらも知るように、既にツチグロトカゲは倒してある。兵や騎士、そして、ここにいる婚約者オデット嬢の協力あってこそだ」


「さすが大聖女さま!」という大きな声が聞こえてきた。面映ゆくて下を見ていられなくなる。


「だが、なぜ、ツチグロトカゲのような強力な魔物が出現したのか? ここからは心して聴いて欲しい。調査の結果、北の国境の結界が破損していたことが発覚した。人為的なものだ。何者かが、悪意を持って結界の一部を破壊したのだ」


 集まった女性の中には衝撃のあまり卒倒し、周りの人たちに抱えられている人まで現れた。「神々のお怒りだ!」という声も聞こえてくる。そこまで過剰な反応はしていない他の領民たちも、不安そうな顔でこちらを見上げている。

 イリヤさんは片手を顔の高さまで挙げ、民を制した。


「安心して欲しい。既に結界は修復済みだ。結界にはオデット嬢の魔力が流し込んである。今まで以上に強固な盾となって、そなたたちを守ってくれるだろう」


 改めて公の場でそう言われると、照れてしまう。


「約束しよう。わたしはそなたたちを危機に陥れようとした者どもを必ず捕らえ、二度とこのような真似はさせぬと」


 イリヤさんはそこで言葉を切ると、静かな目で人々を見つめた。


「わたしの父は獣族だ。それゆえ、わたしのことを信じられぬ人族の民もいるだろう。だが、わたしが目指すのは人族も獣族も、ともに手を取り合い、穏やかに暮らしていける地だ。そのことをどうか心の片隅に置いて欲しい。ひとたび、祖父たる国王陛下からこの地を賜った以上、わたしはそなたたちのために尽くすつもりだ」


 最初はおずおずとしていた人々も、次第に熱狂したようにイリヤさんの言葉に応えた。「イリヤ王子!」「カリスト公爵!」と歓声が続き、どこからか「銀狼公!」という声が聞こえてきた。

 イリヤさんは傭兵隊長時代、「銀狼のイリヤ」と呼ばれ、恐れられていたのだ。


 声の主以外もその呼称が気に入ったようで、漣のように人々は「銀狼公! 銀狼公!」と口々にイリヤさんを讃え始めた。よく見ると、熱心に叫んでいる人々の中心には、御用商人ゴセックさんの姿がある。


 人族も獣族も、老若男女がイリヤさんの名を叫んでいた。

 イリヤさんは少し呆気に取られたような顔をしながらも、すぐに手を振って歓呼の声に応えた。


 よかった。演説と言ってもいい熱のこもった布告の甲斐あって、イリヤさんは本当の意味で民に受け入れられたのだ。


 なおも民衆の声が鳴りやまなかったので、イリヤさんはもう一度手を振ると、わたしを連れて屋内に戻ろうと踵を返した。うしろにたたずんでいたエヴァリストさんと彼の目が合う。

 エヴァリストさんの水色の瞳が苦悩に満ちているように見え、わたしは思わず息を呑んだ。

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