第14話 広い厨房とたくさんのお菓子

 イリヤさんはセルゲイさんに話を通し、仕事の日程を調整してくれた。その結果、執務室で話をしてから三日後に二人だけの休日を取れることになった。

 当日の朝、イリヤさんに今日の予定を告げると、彼は目を瞬いた。


「……そんなことでいいのか?」


「いいですよ。どうせ遠出もできないですし」


「それなら俺にも異存はない。料理長には話を通してあるのか?」


「実はですね……昨日、厨房を使いたい、と伝えたところ、わたしはともかく、イリヤさんも料理をするということを信じてもらえなくて……」


 さらに、部外者には自分の仕事場に入って欲しくなかったのか、料理長に「ここは、あなたさまのようなお方が出入りなさるような場所ではございません」と体よく追い返されてしまった。あれは悲しかったな。


 それはさておき。わたしは普通の恋人同士だった頃のように、イリヤさんと料理を作りたいと思ったのだ。

 イリヤさんは絶対に手料理なんか作りそうにない外見をしているのに、師匠の家で家事をちゃんと教わった上に、一人暮らし経験者だけあって料理がうまい。


 今は王子とその婚約者という身分のわたしたち。それだけに、久しぶりに料理を作り、お互いの手料理を食べるというのは最高の贅沢だと思う。食事は全ての基本なのだから。

 イリヤさんは軽くため息をついた。


「仕方ないな。俺が話を通す。お前もついてこい」


「はい!」


 わたしたちは厨房に向かった。実は昨日初めて中に入ってみたのだが、この城館の厨房は百人近い人員が働いているだけあってだだっ広く、二人くらい加わっても問題なさそうなのだ。

 厨房に入ると、料理長は昼食の下ごしらえの指示を出していた。よかった。今ならまだ間に合う。顔を上げた料理長はイリヤさんに気づくと、ぎょっとする。


「……こ、これは殿下、このようなむさ苦しいところに……どうなさいましたか。昨夜の夕食に何かご不満でも?」


 この国では、肉体労働をする庶民に限り一日三食を摂り、清貧を旨とする聖職者や戦時など緊急事態以外はきつい労働をしない王族、貴族が食事をするのは昼と夜だけだ。


 神殿で長く過ごしたわたしはともかく、数か月前まで一日三食だった働き者のイリヤさんにとっては、少し身体に応える習慣だ。といっても、彼は上手に間食を摂りながら、涼しい顔で毎日を過ごしている。

 イリヤさんは首を横に振った。


「心配するな、いつも通り美味かった。昨日、オデットがここに来ただろう。同じことを頼みにきた」


「と、とと、おっしゃいますと、まさか料理を殿下御自らお作りに……!?」


「そうだ。別に驚くこともないだろう。わたしだって料理くらいする」


「し、失礼いたしました! ささ、オデットさまも、どうかこちらをお使いください! ほら、お前たち、わたしらは出ていくぞ!」


 料理長が指示を飛ばすと、固唾を呑んで事態を見守っていた料理人たちが慌てて厨房を出ていこうとする。

 イリヤさんは呆れ顔だ。


「そなたたちが出ていってどうする。これからわたしたちを除いた、城館の者たちのための料理を作るのだろう?」


「は、はい! そうでございました!」


 うーん。イリヤさんって獣族云々以前に、使用人たちから恐れられているのかもしれない。まあ、「最強の傭兵隊長」と謳われていたくらいだから仕方ないか。


 わたしとイリヤさんは厨房の一角を借りて料理を作れることになった。

 どこに何があるかはイリヤさんが料理人に訊いてくれたので、材料と道具は無事集まる。

 イリヤさんが腰から下げる形の前掛けをつけた。久々に見る姿に目が釘づけになる。こういうイリヤさんもやっぱりすてきだ。


「で、何を作るんだ?」


 イリヤさんに問われ、わたしは説明する。


「昼食に、牛とキノコのテリーヌと鴨胸肉のポワレ、それに、キイチゴフランボワーズのタルトを作ろうと思っています」


 しばらくぶりに料理を作れるからか、イリヤさんは生き生きとした表情で頷いた。


「テリーヌは残っても保存がきくな。よし、作るか」


「あ、それでですね、この計画の相談に乗ってくれたポーラがわたしたちの料理を食べたいと熱望していたので、彼女の分も作らせてください。いつも身の回りの世話をしてもらっていることですし。それと、全員に行き渡らせるのは無理でも、タルトは小さいものをたくさん作って、使用人や騎士、兵士のみなさんにも召し上がってもらおうと思うのですが……」


 そして、イリヤさんと城館のみなの距離を縮めるのだ。せっかく今では自由にできなくなったことをするのだもの。それくらいしておきたい。

 イリヤさんは意表を突かれたような顔をしていたが、ふっと笑った。


「そうだな。俺としたことが目の前のことに手一杯で、形あるものでみなを労うことを忘れていた。傭兵だった頃は、それなりに気をつけていたんだがな……」


「じゃあ、決まりですね」


 わたしたちは料理に取りかかった。キイチゴのタルトをたくさん作らなければならないから大変だけれど、イリヤさんが一緒なので心強い。

 それに、イリヤさんは料理人の邪魔にならないように動きつつ、借りたいものがある時はきびきびと断りを入れてくれる。惚れ直さずにはいられない。


 料理人たちの声が飛び交う中、一生分かと思われるタルト生地を作りながら、交代でテリーヌとポワレも調理していく。タルト型が大量にあって助かった。宴席で多くの客人を招いた時のために用意されているのだろう。


 豚の背脂を塗った長方形のテリーヌ型に、刻んだキノコや野菜、牛挽肉を入れ、オーブンで湯煎して蒸し焼きにする。鍋に鴨胸肉と出汁フォンを入れ、こちらも蒸し焼きにしてポワレを作る。

 大きいオーブンがあると本当に便利で、料理もはかどる。高級品の砂糖がふんだんに使えるのも嬉しい。


 イリヤさんの手際のよさは相変わらず見ていて気持ちがいい。必要な場面では魔導具の冷蔵器や魔法を使い、わたしたちは手を動かし続けた。


 お昼の鐘が鳴り響いてから少し過ぎた頃、わたしたちは料理を終えた。少し話し合った末、わたしたちのための昼食は冷めてもおいしいので、少し我慢してあとで食べることに決まる。

 まずはできたてのキイチゴのタルトをみなに配ろう。

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